今回は目的地ブータン。ブータンへのゲートとなるパロ空港は国内唯一の空港で、発着するのはするドゥルク航空というブータン国営の航空会社のみ。国内線はなく近隣のアジア4カ国からの国際線だけで、外国からの旅行者などを受け入れて30年という、まだ多くの人が足を踏み入れていない神秘的な国です。ブータンは世界一幸せな国とも言われています。この世の中、「世界一幸せ」とまわりに言わせてしまうその理由は何?そんなインドと中国チベットにはさまれた人口約70万人のとても小さい、神秘の国ブータンへ、4泊5日で行ってきました。
喧騒の街インドのデリーから飛行機で1時間15分(直行の場合)、途中ヒマラヤの山々の上を通過しパロ空港へ到着しました。よくある国際空港の姿、たくさんのジェット機や大きな空港ビルはありません。別の飛行機1機と私の乗っていた飛行機の2機だけがとまっていました。降り立ったその場所も飛行機がエンジンを落とすと吹き抜ける風の音しかしない空港とは思えないような静かなところでした。今回の旅のガイドは日本語を流暢に話すツェリン・ニドップさん。知らないことばかりのブータンで一番身近にいるブータンの人、これはチャンスと根掘り葉掘り・・・とても若いガイドさんですが、ツアーを通してわかりやすくブータンの歴史、文化から最近の暮らしまで教えてもらうことができました。
空港のあるパロは首都のティンプーに次いで大きな街。それでも空港から外へでても、空や山をさえぎるような高い建物は一切なく、日本の山あいの田舎の村を走っているようです。そのままパロの市内観光へでかけました。到着してブータンでダショー(ブータンで王様から権威のある人へ与えられる称号)と呼ばれた日本人がいたことを初めて聞き、到着して早々に「日本人が日本人を知らない」というよく海外で遭遇する恥ずかしい目にあうこととなりました。昔、今以上に遠い国だったブータンで活躍していた日本人がいたのをご存知でしょうか。その人は西岡京治先生。西岡さんは戦後ブータンへ渡り日本の農業技術をブータンに広め、安定した生活ができるようサポートをしていた方で、当時の国王さまからも深く感謝をされていたそうです。1992年にブータンでなくなられたあと、その意思をJICAが引継ぎ、農業の分野で協力は続いているそうです。西岡先生のチョルテン(仏塔、お墓)がパロの丘の上にあります。西岡先生の冥福を祈り現在も異国で活躍する日本人がいることを誇りに思い、その場所を後にしました。その後ビューポイントなどを経由し(山がちな国ということもありブータンのツアー中数々のビューポイントに立ち寄りました。写真が好きな方にもベストディスティネーションです)ホテルに向かいました。
ブータンのホテルに関しては、やはり国の事情もあり設備面で不便なところが多々あると考えていましたが、考えていた以上にどこのホテルも清潔ですごしやすかったです。聞くところによるとブータン政府が公定料金を外国の旅行者からとっていることもあり、政府が厳しくホテルの状況をチェックしているのだとか。パロや、首都のティンプーといった大きな街では国営ではないプライベートの会社によるおしゃれなホテルが続々とオープンしており、その競争も全体的な質をよくしているのだと思います。スタンダードクラスのホテルも、こうしたおしゃれホテルも規模がそれほど大きくないこともあり観光から帰るとスタッフが暖かく迎えてくれ、とてもアットホーム。あえて言うのであれば、どのグレードであっても電気の供給が安定しないのが問題で、シャワーのお湯や暖房の設備が今一歩。ただここは異文化体験として現地の状況を理解をしたいところです。
翌日はパロから首都のティンプーを通過しプナカという街へ行きました。トータルで5時間のドライブです。途中のティンプーではランドマークともいえるメモリアルチョルテンで、仏教を信仰するブータンの人の姿を目の当たりにしました。たくさんのおじいちゃん、おばあちゃん、若者がマニ車という仏具(まわすことでお経を読むのと同じ意味がある)をまわし自分自身や家族の平安を祈っていました。人々の信仰心はずっと変わらず、生活の一部に仏教があることがわかりました。今回ティンプーでは美術学校や織物や紙すきの工房にも立ち寄り、間近に文化や伝統も見ることができました。紙すき工房や織物の工房では観光客が実際に体験することも可能です。(その場合事前手配が必要です。)
ティンプーの観光を終え、このルート中最高地点の標高3,200メートルのドチュラ峠を越えてプナカへ向かいます。ドチュラ峠にも108の仏塔があり見ごたえがあります。2004年にブータンとインド国境でおきた戦闘でなくなった軍人のお墓とのことでした。峠にはカフェもありお天気がよければヒマラヤの山々が見られます。こうして街の雰囲気やつづら折りの山道の景色、ゾンと呼ばれるお寺、ビューポイント、小さな村などたくさんの見所が点在していて飽きることなく5時間が過ぎました。
プナカではプナカゾンというお寺がツアーのハイライトとなります。ブータンの人が(特に男性が)ゾンに入るときは正装をする必要があり、いつもの男性が着ている民族衣装「ゴ」の上からカムニという布を体に巻きます。私のガイドさん、ドライバーさんもそれぞれがそのカムニを持ってプナカゾンに入りました。日ごろの参拝だけでなく仕事でゾンに入る際にもきちんとした身なりで入ります。この旅行の間、数々のゾンを見ましたが、プナカのゾンはいたるところの装飾、規模は随一。中の様子は写真撮影ができないためお見せできないのですが、ゾンの内部全面に描かれている大きな壁画も見事でした。また両側を川にはさまれていて遠くから眺めるゾンもとてもすばらしかったです。
ブータン旅行の場合、ツアー中ほとんどの食事がついてきます。パロやティンプーといった街以外ではホテルなどのそばに個人でいけるようなレストランがないことも多くあります。ブータン料理はどれもとてもマイルド。日本人の口にもよく合います。ただ残念なことに、こうした旅行者の食べるブータン料理のほとんどは、真のブータン料理ではないんです・・・。ブータン料理の本当の姿は激辛です。唐辛子が味付けのベースです。いやベースというより、唐辛子はブータンの人にとっておかずのひとつになります。ガイドさん用の食事はご飯の横に大きな唐辛子が置いてありました。挑戦したい方はガイドさんに声をかけてみてください。(写真はガイドさんの食事です。端のほうにあるのが大きな唐辛子です)ブータンの味といえば、ローカルビールもおすすめです。インドやシンガポールなどからの輸入のビールが主流のようでしたが、ブータンメイドのビールも製造が始まったそうです。ホップをフィルターにかけていない「にごりビール」(?)のようなのもありました。少しアルコール度数が高いのが特徴です。それだけに、飲みすぎにはご注意。ブータンは全体的に標高が高い国なのですぐに酔いがまわります。
あっという間に最終日。午前中はタクツァン僧院という山の中にあるお寺を目指してトレッキングです。山の中というより山の斜面にへばりつくようにあるお寺を見ると、どうしたらこんなところに寺が作れるのか、その不思議なロケーションに驚きます。途中のレストハウスからもきれいに僧院がみえますが、やっぱりその先にさらに進んで僧院まで行きたくなります。車が入れる山の入り口からレストハウスまで約45分。結構レストハウスまででもキツい道のり。弊社のブータンへ行ったスタッフもこのブログで言っておりますが、それでもやっぱり間近に僧院を見たくてやせ我慢の心境でさらに45分かけ僧院を目指しました。お堂の中にはグルリンボチェ(ブータンに仏教を広めた)の神様がいます。お賽銭をしてサフランの入った水を少しかけてもらいます。それを少しすするのがよいそうですが、生水ですので外国人は注意が必要。ここは髪の毛や手につけて体を清めるくらいにした方が無難かと思います。
午後は農家を訪問します。プナカの街から車で20分程度のところのドルジさん一家を訪問しました。現地旅行会社のドライバーをしている方のご家族で、お父さん、お母さん、ドライバーさんの妹さん、弟さんとお会いしました。ドライバーさんはティンプーに暮らしていますので、日ごろは4人で暮らしているお宅です。現在ティンプーやプナカの街中では家畜ともに生活をすることは禁止されているとのこと。そんな中このドルジさんの家では1階は牛、鶏を育てており、2階は家族それぞれのお部屋、3階にリビング、台所があり典型的なブータンの田舎のお家のスタイルだそうです。到着するとお茶やザオというお米のお菓子などをいただきました。ドライバーさんも一緒にお家へお伺いしましたので、久々にご家族がそろったティータイムだったそうです。その後はドツォというブータン式お風呂の体験です。もちろんのこと、日本のお風呂のように水を張って沸かして10分という簡単なものではありません。川から水を運んできて、それを木の風呂釜に入れます。その合間に焚き火の中で人の頭くらいの大きさの石を焼きます。相当な時間焼いたと思われる石をお風呂の中に3つくらい放り込むと適温に。電気やガスであたためたお風呂とは違い、じんわりと体の芯から染み渡るようなそんな温かさになるのがドツォの魅力。しかもドルジさんのお宅のお風呂はオープンエア、すぐ向こうにあるパロ川の流れる音が聞こえてくる贅沢なお風呂です。(幅の狭い川なので、向こう岸にいる学校帰りの学生たちから丸見えなのが気になりましたが・・)短い時間ではありましたが、ブータンの素朴な生活スタイルを垣間見ることができました。
旅行中ガイドさんが、現地の旅行会社はブータン政府が外国人旅行者に対しての滞在費用の下限を決めている現状が変わったり、ドゥルク航空が増便したりすることは望まないという意見がほとんど、と聞きました。これから旅行者がより増えることを強くは望んでいないそうです。ガイドさん曰く、美しい文化芸能と素朴なブータンの人々の生活をこの先も美しいままに残していきたい、とのこと。こんなことを言うガイドさんがいる国を私は見たことがありませんでした。日本の雑誌でブータンが取り上げられたり、ドゥルク航空の運航ルートが少しだけ増えたりしていることからも、ブータンへの扉は開きつつあると思いますが、費用面、ビザの取得などの面からまだまだ自分から近づいていかない限りは遠い国で「大人の秘境」であると思います。
なんとなく遠く感じられたブータンも1度入ってしまえば、そこはあふれんばかりのやさしさとホスピタリティで迎えられる国でした。ブータンの人にとって神聖なお寺に私が入っても、1日の観光を終えホテルに戻っても、農家のお宅を訪問してもどこでも暖かくどこまでもやさしい人々に出会いました。ガイドさんから現地で教えていただいた国民総幸福量のこと、現在もある民族衣装着用義務のこと、昨年民主主義化した政治のこと・・・どれも私にとっても不思議と共感できる、親しみを感じる国でもありました。ブータンでも携帯電話が急速に普及していて、お邪魔した農家のドルジさんのところにもありました。各家庭にケーブルテレビが入り、外国のテレビも自由にみられるようになっています。荘厳な文化や独自の生活観、アイデンティティを大切にする一方で、新しい文化や思想を拒絶することなく広くバランスよく取り入れているブータンの暮らしがとても新鮮でした。
「幸福」は神様に感謝して生きること、時代に調和させつつ独自のユニークな暮らしを守って生きることで、ブータンの人たちが言う「幸せ」は彼らにとって特別なものではありませんでした。日本でもブータンでも、世界中どこでも「今は今」、同じ時代が流れているのにどうしてこんなにブータンの人が幸せそうに見えるんだろう。決してお金持ちではないのに、何もかも余裕があって優雅な感じ。初めて行った国なのに、心になじむ、いつまでもいたくなるような国。日本に戻ってもすてきな暮らしだったと感じる国。いったいどこに幸せがあるの?っていいたくなるようなこの世の中ですが、ブータンはそんな中で幸せで豊かな暮らしを見せてくれる国でした。
2009年11月 吉木