人・街・宗教 すべてがアツい!! イスラエルへ

人・街・宗教 すべてがアツい!! イスラエルへ

地図を持って歩いていると道に迷ったのかと心配してよく声をかけられた。高校生くらいの若者からおじいさん、おばあさんの世代まで穏やかで本当に人懐こい人がいっぱいだったテルアビブ。週末にはマーケットで若手のアーティストが自慢の作品をお客さんと必死の値段交渉。誰が書いたのか街角のいたずら書きはもはや落書きの粋を超えてアートのよう。夜遅くまでにぎやか、活気にあふれた街、テルアビブ。一方24時間いつもどこかで祈りがささげられているエルサレム。エルサレムは宗教、政治、民族、人々のアイデンティティにかかわるものがすべて集まった混沌の都。とにかく「危険」そんなイメージばかりが先行するイスラエルを実際に見て、日本とはまったく変わらないとまではいかないが、人間味あふれる風景がそこにはあったような気がします。9月末、外務省の危険度情報も引き下げられ、より行きやすくなったイスラエルの2つの街を見てきました。


今回はヨルダンよりイスラエルに入国しました。イスラエルとヨルダンの間には3つのボーダーがあります。そのうちのひとつ、両国を隔てているヨルダン川にかかるアレンビー橋をってイスラエルへ入りました。いつものことながら一度にいろいろ体験したい性分で、旅はヨルダンの死海からのスタートとなりました。死海の対岸はもうイスラエル。死海のホテルからヨルダン側の国境までは約20キロ30分程度の道のりです。ホテルの敷地のすぐ外はヨルダン軍のヘリポートやレーダーが置かれ、リゾートの一歩外は物々しい雰囲気でした。やはり和解が進んでいる国同士とはいっても厳しい警備がひかれ、国境がすぐ近くにあるという実感がわきます。
死海で泊まったのは今年オープンしたばかりのホリディインデッドシーリゾート。プールは施設内に3つ、死海産?の泥やミネラルを使ったスパなどもあり設備の充実したリゾートでした。ゆっくりしたいところですが、目的地はイスラエル!
朝7時。早起きをして豪華な朝ごはんに後ろ髪をひかれつつ国境へ向かいました。

先ほどもお伝えしたように国境には橋がかかっていて、橋を含む国境の間約5キロは緩衝地帯になっています。その間はヨルダンのバス会社の運行するバスを利用することになります。(参考までにこのアレンビー橋は日本の資金援助でつくられているそうです。)ヨルダンの国境でパスポートを提出すると、そのパスポートはバスがイスラエル側のイミグレーションに到着するまでかえってきません。 イスラエルのスタンプが押されたパスポートをもっていると入国ができないイスラム国家があることはよく知られています。当然ヨルダン側の出国スタンプが押されていても同じこと。
イスラエルはスタンプを拒否できるのは有名な話だけど、ヨルダンは・・・どきどきで戻ってきたパスポートあけてみると何も押してありませんでした。

さてバスを降り、セキュリティチェックのためスーツケースを預けると、有名な厳しい入国審査の始まり。ボディチェック、手荷物、身辺チェックまで・・・まさかこの小さなプレハブのイミグレーションのオフィスで4時間も過ごすことになるとは考えもしませんでした。同行者は新品のパスポートだったからか、それとも英語がしゃべれないからかよくわかりませんが第一カウンターで審査は終了。 私はと言うと・・・カウンターでこれまで行ったことのある中近東の国をあれこれ聞かれ、その後、勤め先の緊急連絡先や父や祖父の名前まで、何の意味があるのかよくわからない質問表を書き、またさっきと同じことを入国審査官と思われる私服の若者数名にかわるがわる立ち話のような尋問あり3回ほどたっぷりゆっくり時間をかけ聞かれました。いろいろ考えてみると写真をイミグレーション内で撮りまくったり(写真禁止とは一言も書いてなかったから・・・)、イスラエルのスタンプは押してほしくないと言ったり(私は旅行会社勤めだから仕方ない)、質問に間違えて答えたり(話のつじつまが合わないって、同じことばかり聞かれたら間違えることだってあるでしょう・・・)するとつついてくるような感じです。そしてイミグレ内にはたくさんの大きな銃を持った私服の軍人もあちこちにいます。静かに人の動きを見ているんです。イミグレの中で写真を撮りまくっって、その軍人に入国審査の間で呼び出され、一部写真を消す羽目に。明確に写真撮影禁止の文字はなかったのに・・・言い訳は一切聞いてもらえません。気をつけましょう。イミグレーションの中には食堂や商店もあります。長い時間をかけて入国する人のためのものでしょうか・・・4時間かかって国境を越えました。

その日の行き先はテルアビブです。国境から途中パレスチナ自治区を通過し、一角が5キロもあるというテルアビブ空港を越え、1時間半程度で到着しました。道路も整備されており移動もスムーズです。

 テルアビブの街で印象的なのはとてもおしゃれなカフェやアートギャラリーが多いこと。イスラエルの商業の中心ということもあり背の高いビルや大きな建物は多いのですが、そのすき間に個性的なショップやカフェが立ち並びます。いたずらか、意図的なものかわかりませんが、商店の落書きもなんだかアーティスティックでした。

そんなテルアビブの「旬」を見るべく向かったのはカルメル市場。 ここではベーグルや野菜といった生鮮品の市場のとなりで週末は若いアーティストが作ったアクセサリーやインテリアなどのマーケットが開かれます。 ゴールドやシルバーのアクセサリーからドアにとりつけるベルや、アイデアグッズのようなものまでどれも個性的。作者かオーナーか、売主がどんなイメージで作ったか、 どのように作ったかなど商品の説明をしてくれますが、皆さん結構真剣。 ほとんどどのお店も値段はついていません。 交渉が必要です。買い手と売主の値段交渉がヒートアップしているところもありました。

私もなけなしのお小遣いの中から、ペンダントを購入。5ミリくらいのバラがビーズにあわせてたくさんついていますが、それぞれのパーツは毎日自宅で手作りしているそうです。その他の部分は好みの色でアレンジして、その場でペンチやはさみを使って組み立ててもらいます。(写真参照) カルメル市場は見ているだけでも楽しいところでした。

テルアビブから近いところにもう一ヶ所、見所があります。紀元前にさかのぼる歴史をもったヤッフォという旧市街が残されています。テルアビブはまだ街ができて100年と歴史は浅くどちらかというと近代的な町並みであるのに対し、ヤッフォの街はクラシカルなイスラエルの街並みが見えるところです。歩いてみても数時間あれば十分見ることができますので大きな町の喧騒に疲れた方にはおすすめです。

イスラエルの2日目はユダヤの人たちの週末にあたるシャバットの日。金曜日の日没から、土曜日の日没までが休息日となります。ほとんどのレストラン、モールなどが金曜日の午後から閉まります。日本でいう土曜日のような感覚です。シャバット明けの翌日土曜日(日本でいう日曜日)は夜から店が開き、深夜まで営業するところもあります。日中は静かだった場所も夜遅くになるにつれて人が増え街も明るくなり、日本の常識とは少し違う不思議な感覚です。そのシャバットの中いよいよエルサレムへ向かいます。
エルサレムへ近づくにつれ、正統派ユダヤの人が真っ黒のロングスーツに黒い帽子をかぶって歩いている人が目立ちます。気温は30度。かなり暑いのに、子供たちも同じような服装歩いています。ドライバーさんによればシャバットということで、この人たちは近くでお祈りをした帰りではないかとのことでした。
エルサレムではアメリカンコロニーという邸宅ホテルに泊まりました。かつてアメリカに住むユダヤ人がエルサレムに移住したときに建てた家が現在は改装してホテルとして利用されています。レストランや、ワインセラーや中庭は当時のままだそうで、ホテルというよりは誰かの家の一室を借りているようなそんな雰囲気です。そんな趣のある宿も、お部屋ではワイヤレスインターネットや薄型テレビなど完備で快適です。 アメリカンコロニーからエルサレムの旧市街までは歩いて10分。夜遅くても人通りが多く、治安も安定しているとのこと。安心して夜遅くまで街歩きができるのもイスラエルの重要なポイントです。

さていよいよエルサレムをまわります。この日は英語とスペイン語とフランス語が堪能というナディーさんというガイドさんとともに行動しました。主な見所はユダヤ人地区、キリスト教地区、アラブ人地区、アルメニア人地区と4つの区域に別れた、エルサレム旧市街と旧市街を見渡す丘、オリーブ山です。キリストが昇天したというオリーブ山の上の昇天教会から、キリストが生まれた場所へ、人生を逆走するようなイメージで見学しました。イエスが十字にかけられる前に歩いた道、ヴィアドロローサでは今も修道士とキリスト教徒が、キリストと同じように十字を背負い行進する様子を見ました。イエスが死刑にされ亡くなった場所では多くの人がその遺体が置かれたといわれる石に身の回りのものをなすりつけたり、涙する姿が見えました。旧市街に響くように一日に5回イスラム教徒へ礼拝を呼びかけるアザーンが流れ、途中にみかけたイスラム教のモスクではメッカに向かい祈る人がいました。 ユダヤ教の神殿のあったところでその壁だけが残ったといわれる、嘆きの壁ではユダヤ教徒が熱心にお祈りをしていました。嘆きの壁の向こうには岩のドームがあります。モザイクのとてもすばらしいこの岩のドームは、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の3つの宗教が現在もその聖地とみなしています。イスラエルのさまざまな問題の根幹ともいえるかもしれません。
ひととおりエルサレムの観光が終わると次はパレスチナ自治区にあるベツレヘムへ移動です。この終日のエルサレム観光はパスポートがないと参加できません。それはパレスチナ自治区があくまでもイスラエルの中にあるひとつの国として考えられているためです。いくつかのチェックポイントにてパスポートコントロールがあります。(入域に際し、スタンプなどはありません)
パレスチナ自治区内で一番のハイライトは聖誕教会。キリストが生まれたところといわれる場所が教会の地下のとても狭いところにあります。キリスト教の人たちにとってはやはり一番のルーツになる部分だということで、みな真剣にお祈りをしていたのが印象的でした。
イスラム教徒というガイドのナディさんの説明を話を聞いても、なぜエルサレムがこんなにも宗教的に、政治的に複雑になってしまったのか、どうしてなかなか解決ができないのか答えは見えてきませんでした。ただはっきりと見えてくるのは、エルサレムでみかけたお祈りをしている人たちはみなそれぞれわき目も振らず、自分の信じているものを真剣に信じているということだけ。時にその思いが強くなりすぎて他の宗教に理解をすることができなかったり、人の宗教が許せなかったりしてしまうのかもしれない・・・無宗教で日ごろから宗教観など考えたこともない自分が少し恥ずかしかったが、何かを真剣に祈って帰りたい。そんな気持ちになり翌日私は再び嘆きの壁に戻って、「とにかく早く平和が訪れますように」という願いだけを紙切れに書いて、壁に差し込みました。嘆きの壁には巡礼に訪れたたくさんの人々の願いが何十万と壁のすき間に埋まっています。

エルサレム旧市街、そしてベツレヘムは確かに宗教色の強いところでしたが、旧市街の中は教会、モスクの合間に、商店、レストランなどが所狭しと並んでいます。大きなマーケットの中にいるようで見ているだけでも楽しいところです。ユダヤ教の男性たちがかぶるキッパを色とりどりに並べるお店や、とても甘い中近東名物のお菓子を売る店、かんきつ類のフルーツを威勢良く売るお兄さん。水タバコとアラビックコーヒーを楽しむ人たち・・・
エルサレムはイスラエルのローカルの暮らしが垣間見えるところでもありました。
イスラエルをこうして1週間旅してみて何かテロでも起きそうな怖い雰囲気があるとか、そんなのは一回も目にすることはありませんでした。冒頭にも書きましたが、外務省のイスラエルに関する渡航情報はほとんどのところで引き下げられ、治安はかなり安定しています。そして取り上げられるときは政治や宗教、何かと難しい話題が多いイスラエルですが、実際中に入ってみると、そんなのどこ吹く風、イスラエルの人々は普通に毎日の生活を営んでいます。日本にはないような、人間味あふれる日常が垣間見えるそんな素朴で美しいイスラエルにぜひ足を運んでみてください。
2009年10月 吉木

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