この日は、前半チームと合流。そういえば昨晩出迎えなかったな、と思っていたら、雪で飛行機が遅れて、わたしたちより到着が遅かったそうです。お疲れさまでした。
ではでは、前半・後半チーム合同で、キエフ市内観光へ♪
バスの窓越しに見える朝の街は人もまばらで静か・・・土曜日ですからね。寒いですからね。寝てるんでしょうね。
タマネギの教会が街のあちこちにありました。色も鮮やかでかわいいっ。
このタマネギ型のドームはロシア正教のシンボルで、ほのおを現しているそうです。
ウクライナの宗教は、ウクライナ正教徒がいちばん多いのですが、まぁ似たようなものでしょう。
黄金の門、ミハイロフスキー修道院、世界遺産の聖ソフィア大聖堂、ペーチェルスカ大修道院などを見学しました。
キエフの歴史はたいへん古く、都市の創建は5世紀までさかのぼります。その後9世紀後半から12世紀までキエフ公国の首都として繁栄します。このキエフ公国が12世紀にモスクワを建設したのですから、当時はこちらがロシアの中心だったんですね。
キエフ公国が滅亡したあとは、東から西から北からさまざまな勢力が支配権を争って、次第にロシアの地方都市となってゆきます。1917年のロシア革命後の内戦、つづく第1次世界大戦でも戦場となり、第2次大戦ではドイツ軍に激しく破壊されてしまいました。
でも、建物の復元や修復が進み、今では戦跡も見あたりません。
街は年々発展していって、ロシアの地方都市より豊かになっているそうです。
ウクライナ全体も旧ソ連からの独立後、民主化が進んで発展しています。2004年のオレンジ革命で、親欧米派のユシチェンコさんが大統領となり、EU加盟を目指す路線で進んでいるようです。その一方で、当然ロシアとの関係は悪化していて、ロシアからの資源供給の値上げやらで騒動も起き、経済は停滞気味とも言われています。
ちょうど20年前の1986年に原発事故を起こしたチェルノブイリ原子力発電所は、キエフの北約100kmのところにあります。
事故当時はキエフでも放射能被害があったそうで・・・なんせヒロシマの90倍の放射能が空中に撒かれたっていいますからね。
当時子どもだった人の発ガン率の高さなど後遺症はまだまだ残っていますが、放射能レベル的にはもう大丈夫とのこと(ほんまか?)。ちゃんと許可を取ればチェルノブイリへ行き廃墟と化した原発跡を観ることができるそうです。
うーん、でもまだかなりの量のプルトニウムが残っているようだし、興味本位で気軽に行けるような場所ではないですね。怖い。
さて、全員での合同写真を撮り、ランチを食べ(ここのキノコスープがいちばんおいしかったというスタッフ多数)、再び空港へ。
あっけなくキエフ観光終了です。でも本気で寒いので、あんまり長く外にいるのもはばかられるんですよね。
ここで、前半チームとはお別れ。わたしたちはウクライナの航空会社アエロスウィートでクリミア半島のシンフェローポリへ向かいます。
アエロスウィートなんて聞いたことない!というスタッフも多く、いったいどんな飛行機なんだろうと不安と緊張がよぎったのですが、なかなかよかったです。(わたしが後方で三席分独り占めして乗っていたからかもしれませんが)
シンフェローポリから黒海沿岸の街ヤルタへ向かいます。
夏はリゾート、冬は避寒地とされるだけあって、キエフよりは確かに寒さもいくらかマシではありましたが、やっぱりさぶいっ!山肌には雪も積もってました。
この日の夕食は、ヤルタ会議の行われたリバディア宮殿でいただきました。
宿泊:ホテル・オレアンダー