スペイン旅の悪戯

スペイン旅の悪戯

マドリッドの空港に着き、そのままセビリヤに向かうために、タクシーでアトーチャ駅へ。駅の中心には巨大な熱帯性の木々が植えられており、ちょっとした植物園のようだ。待つこと数十分、館内放送が流れ、チェックインし AVE に乗り込んだ。夜だったため車窓も楽しめず、 2 等車だったが座席は飛行機よりもゆったりとし、日本の新幹線のようにゆれもなく快適だったので、長時間のフライトの疲れがたまっていたせいもあるのか、目を一度閉じるとコルドバの停車時以外はセビリヤまでまぶたが開くことはなかった。


セビリヤ
セビリヤ カテドラル 711 年から約 500 年、セビリヤはイスラム文化支配下で、グアダルキビル川の恩恵を受け、海上貿易の拠点として大いに栄える。 13 世紀、レコンキスタによりイスラム勢力が一掃されてしまうが、 1492 年の新大陸発見以降、大航海時代を支え、カスティリヤ王国のヨーロッパ最強国の地位を支える重要な都市となった。
アルカサルカテドラルの中
まず、向かったのがアルカサ-ルで、ここはイスラム時代の城をレコンキスタ後に、ペドロ1世がアルハンブラ宮殿を模倣して改築した宮殿である。ムデハル様式の繊細な漆喰細工が美しく、世界遺産にも登録されているのだが、色とりどりの花々や珍しい植物が植えられた庭園もみごとである。
次に向かったのが世界第 3 の規模を誇る大聖堂、カテドラルで、内部はたくさんのステンドグラス、コロンブスの墓、ムリリョ、ゴヤの絵が飾られていたりと隅々までみれば 1 日があっという間にすぎてしまいそうなところだ。神社やお寺もそうなんだけれども、こういった神様のために作られた場所は心に静けさと日常への反省の機会を与えてくれる。
夜のヒラルダの塔サンタクルス街はかつてのユダヤ人街で、細い道が迷路のように複雑に入り組んでいるが白い町並みが美しい。地図にはユダヤ人街中の道までは表記されていないので、どうしても迷ってしまう。しかし何度も迷ううちにどの道をどっちに入るとどこにたどり着くかがわかってくるので、その頃には地元の人になった感覚で街中を歩くのも楽しい。
セビリヤはフラメンコの本場だそうで、それなら観ないわけには行かない!ということでその日の夜はフラメンコを観に行った。運が良かったのかお店が良かったのかここでみたフラメンコは最高だった!複数の踊り子さんが順番に一人ずつ踊るのだがそれぞれにスタイルがあり、ギターリストの技術も確かで、歌い手もタブラオ中に響くいい声でそれが一体になって一つの完成した作品になっていた。 2 番目に登場した踊り手さんは紫のドレスをきたスタイルも顔もきれいな女性だったのだが、その人が踊っている姿は本当に美しくて、まばたきするのも忘れるほど見入ってしまった・・・。一緒に行った友達が「紫はあの人のためにあるんや!」と断言し、私も心の中でこの人にベスト・オブ・ザ・ビューティー・イン・スペイン賞をあげた。後日訪れるグラナダでもフラメンコを観に行ったのだが、残念ながらセビリヤで観たフラメンコがの素晴らしさには及ばなかった。
グラナダ
 イスラム教の本拠地セビリヤ、コルドバが陥落し、レコンキスタが進む中、 1238 年にグラナダ王国は建国された。アルハンブラ宮殿はグラナダ王国、スペイン最後のイスラム芸術の結晶である。アルハンブラ宮殿は大きく分けて 4 つ、宮殿の中心となる 14 世紀に建てられた「王宮」、 9 世紀以降に要塞として建てられた「アルカサバ」、レコンキスタ後にカトリック王により建てられた「カルロス 5 世宮殿」、王家の夏の別荘の「フェネラリフェ」に分けられる。「王宮」は 30 分に 300 人とアルハンブラ入場人数が限られており、夏やスペインの休日には込み合うので前もってインターネットでチケットを買うことをおすすめする。左右対称の調和が美しいアラヤネスの中庭、ライオンの形の噴水があるライオンの中庭、宮殿随一の精密さを持つ鍾乳石で飾られた天井の美しい二姉妹の間など見所はたくさんある。敷地内で一番高いところにある「アルカサバ」から見下ろした、世界遺産にも指定されたアラブ人街アルバイシンはとてもきれいだった。
アルハンブラ宮殿
アルハンブラ宮殿からのアルバイシン地区フェネラリフェ
コルドバ
花の小道 紀元前にローマ帝国によって建設されたコルドバは、 10 世紀、後ウマイヤ朝の下で全盛期を迎えた。その時人口は 100 万人を超え、市内に 300 ほどあったモスクには、学問を学ぶ場ができ、多くの文献は翻訳され、多くの知識人が輩出された。
コルドバのユダヤ人街にも美しい道々があるのだが、その中で有名なのが花の小道だが、残念ながらシーズンでないので花は咲き乱れてはいなかった。
ローマ橋 アラブ式浴場ハマムに行ってみた。水着をきて男女混浴、追加料金でアロママッサージをうけられる、いわばスーパー銭湯みたいな感じである。中は薄暗く、お香がたかれ、天井はイスラムの幾何学模様の星型にくりぬかれ月光が直接差し込むのでエキゾチックな雰囲気がただよう。しかし メスキータ30 人ほどがいっぺんに着替え、いっぺんに入り、 2 時間たてばみんなして出なければいけないし、お風呂自体は何種類もある日本のスーパー銭湯のほうが充実してて値段的にもお得なので、ここに来ている外国人全てに「日本のスーパー銭湯もいいですよ」と薦めたかった。
翌朝、早起きしてメスキータへ。後ウマイヤ朝を開いたアブデ・ラーマン 1 世により建てられた巨大なモスクで、何度か増築された。内部は赤いレンガと白い石を組み合わせたアーチが連なる部分と、レコンアヴェキスタ後に作られた中央部のカテドラル、とイスラム文化とキリスト文化が調和している。その日は、そのカテドラル部分でお祈りしている家族がいて、パイプオルガンが建物内に鳴り響いていてより一層、厳かな雰囲気が漂っていた。
その日の午後、コルドバ駅より再び AVE にのりマドリードへ向かった。アヴェ美人
マドリード
ヨーロッパで一番治安が悪い都市と言われ、行く前からも首絞め強盗の話や実際ああった友達の被害話なんかも聞いていたので、かなりびびっていた。この理由でカメラはホテルに預けていたのでマドリードの写真はあまり撮っていない。(すいません)持っているかばんに気をつけること、人通りの少ない路地に入らないこと、自分は狙われている、ということなどをいつも頭においていたせいもあったのか、幸い危ない目には一つも合わなかった。
ソフィア王妃美術館でかの有名なピカソのゲルニカがやはり一番感動した。残念ながら、アバンギャルドな作品がほとんどで私には理解が難しかった。プラド美術館は高校の教科書で誰もが見たことのあるエルグレコ、ルーベンス、ベラスケス、ゴヤなどの絵画がたくさんあり、有名な絵がこんなにたくさん・・・!と感動した。やはり写真としてみるのと、実際目の前にしてみるのとは全然違う。レアルマドリードファンの友達はその間練習場へ見学しに行き別行動しており、待ち合わせ時間が迫っていたため私は広い館内を駆け足で(本当に走った)絵を鑑賞したが、今度マドリッドに来たときは必ずまた訪れたい!
あとショッピングも楽しんだ。グランビア周辺には若い世代の人もたくさん行き交う。日本でも出店しているスペインの洋服のブランド「 ZARA 」(スペイン語では「サラ」と読むそう)の紙袋を持った女性を街中でたくさん見かけたが、スペインで大人気らしく、若いスペイン女性にとって「とりあえず ZARA をもってれば大丈夫」みたいな感じなのかなぁと思った。店に入ると人、人、人でごった返し、レジも長蛇の列を作っていた。私はここでショートブーツを購入。あと買った物は以前、日本でも流行ったらしいスペインのメーカー「 CAMPER( カンペール ) 」でスニーカー、スペイン各地にたくさんある庶民的大型スーパーの「 EL CORTE INGLES 」の地下で乾燥パエリヤ、グミ、チョコなどなど。
ス ペイン人は陽気で明るく、道を聞くと早口のスペイン語で返してくるのだが、みんな大きなジェスチャーで教えてくれるので迷子になっても困ることはない。英語は通じない場面もあるが、こちらもボディーランゲージで伝えれば意思は伝わるし、「 Hola! (やあ)」「 Gracias !(ありがとう)」とさえしゃべれればスペイン人はにっこりしてくれる。天候にも恵まれ、毎日晴天、青空が広がり、旅行中 1 度も雲ひとつさえ見かけることはなかった。また、今回アンダルシア方面を旅行したがイスラム文化とキリスト文化が交じり合う歴史のダイナミックさをダイナミックさを感じることができた。また他の地域にも歴史的遺産が非常に多くあり、 1 回の旅行ではきっとスペインの魅力を知ったことにはならないであろう。また再びスペインへ、今度はバルセロナにも是非訪れてみたい。
辻 理恵子
2004年11月

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