多くの人が思うように、私もいつかは必ず訪れたいと思っていた。インドには何か不思議なパワーが潜んでいそうだ。今回のインド旅行で、私はまたインドを訪れたいと思うようになるほどインドに惹かれた。その不思議な魅力をお伝え出来るか分からないが、少しでもインドに興味を持っていただき、実際に訪れてみて欲しいと願う。
デリー
日本を発って約9時間、デリーに到着してガイドさんと御対面。あまりにも日本語を流暢に話すので驚いた。インド人はヒンディー語や英語、そして出身地の言葉などを巧みに操るので、どうやら語学には強いらしい。彼は今、中国語も勉強中あるという。外国に来ると人々の貪欲さと勉強熱心さに関心され、自分も見習わなければといつも反省させられる。
デリーはニューデリーとオールドデリー大別される。ニューデリーは道路も広く、両脇に木が植えられており整然としている。私がイメージしていた、人の多いゴチャゴチャとはほど遠い。しかし、それもつかの間、オールドデリーは違った。人や車、牛もが道を横断している。何だかやっとインドに来たという実感が沸いてきた。
デリー観光でまず案内してもらった場所は、ラクシュミー・ナーラーヤン寺院である。この寺院はその名の通り、ヴィシュヌ神(別名ラクシュミ)とその妻ナーラーヤンを祀った寺院である。このヴィシュヌ神は、世界を維持・発展させる神であり、慈愛の神として知られ、心からこの神に信仰を捧げるものには恩寵をほどこすと信じられているそうだ。私が、訪れたときも、多くの信者がお祈りにきていた。ヴィシュヌ神は、この世に悪がはびこると、人や動物に姿を変えて救済に現れると考えられているそうで、10化身をもつが、私が驚いたことは、その九代目が仏陀であること。したがって、ヒンドゥー教は仏教も、その一部と考えているのだ。また、日本でもお馴染みの帝釈天、毘沙門天といった神々が、元々はインドの神々でその後仏教に取り入れられたことをはじめて知った。ヒンドゥー教を元に他の宗教とのつながりが見え、またヒンドゥー教の考えや教えが、インド人の精神に根付いていることがガイドさんとの話から伺え、ヒンドゥー教に今大変興味がわいている。
ラクシュミー・ナーラーヤン寺院には、ヴィシュヌ神のその10化身の絵図や、幸運の女神ラクシュミー(吉祥天)や象の頭を持った商売の神ガネーシャなどがおり、ヒンドゥー教にふれる第1歩として大変興味深い場所であった。
デリーではほかに、非暴力による抵抗を説き、独立運動を導いたガンディーを偲ぶ場所、ラージ・ガートを訪れた。遺灰はヒンドゥー教の習慣通り河に流されたので、ここは火葬された場所であるが、ここにも多くのインド人が観光に訪れていた。また、世界遺産に登録されたクトゥブ・ミーナ―ルは高さ70メートル以上にものぼり、周囲にはコーランが刻まれ、美しかった。
夜7時に夜行列車に乗ってベナレスへ移動。駅は人でごったがえしており、階段等もあるので荷物運びはポーターさんに頼んだ。ポーターさんは来る列車を待って、席まで荷物を運んでくれるので大変便利である。彼には20ルピーほどを手渡した。通常ツアーで使用するエアコン2等寝台の車内は、通路を隔てて4 人と2人に分かれており、それぞれ2段ベッドになる仕組みだ。カーテンもあり、読書灯もついている。夕方になると毛布と枕も支給される。車両の両端にはトイレと洗面台がついている。たしかにトイレは大変簡易な造りで、要するに穴があいており、地面が見えるような物ではあるが、途中駅では消毒作業も行われていたし、それほど汚くない。私の思っていたより、普通の寝台列車であり、疲れていた私は、揺れる電車に揺られながら、すぐにぐっすり眠った。
ベナレス
朝起きると、景色はのどかな田園風景、まもなくベナレスに到着である。駅から車で2、3分のHOTEL INDIAに泊まった。ここのホテルは、レストランの食事が大変おいしかった。
今日は、ブッタが、初めて説法を行ったサルナートの観光である。仏陀に関しては手塚治虫のマンガ『ブッタ』を読んできた。マンガではあるため簡単に読め、仏陀の一生を知るにはよい。ちょうど何百人という僧がスリランカから来ており、この地の偉大さ、仏教徒にとって聖地であることを改めて感じた。のどかな心落ち着く場所であった。
一方、ヒンドゥー教徒が、「死ぬまでに一度はバラナシに行きたい」「死ぬならバラナシで死にたい」と願う大聖地がガンジス河である。翌朝、5時に起き、日の出前にボートに乗り込む。ガートに通ずる道は巡礼者と観光客と車、物売りで混み合っていた。しかし、皆が目指すガンジス河は、ただそこには悠然と流れていた。朝日に向かって祈りをささげ沐浴する姿は美しくただ見とれてしまう。地元のガイドさんが、ここ約20年、毎日かかさず小一時間沐浴を行っている男性を教えてくれた。彼はここで何を祈り、何を感じているのだろう。ベナレスはすべてを包み込むような不思議な雰囲気を持った土地であった。信者でなくとも、ただそこで何日もぼーっと自分と見つめあいながら時を過ごしたくなるような、そんな空気をもった場所である。
ベナレスを11時の予定であった列車は1時間ほど遅れて出発。ここからジャルガオンに向け約23時間の列車の旅である。夜は列車の車内食のカレーである。思ったより、美味しい。
ここでインドのカレーついて説明したい。旅行中インドでは毎日カレーを食べるかといえば、私は、1日1食はカレーを食べていた。カレーでなくても香辛料がカレーを思いださせる。ただ、当然ホテルでの朝食はトーストといった朝食も選べるし、夕食で中華の食事もある。選べるところ、私はあえて様々なカレーを選んでいた気がする。そして、日本に帰ってきてもインドのあのピリッとした香辛料の効いたカレーが懐かしいものである。
アジャンタ、エローラ
ジャルガオンに到着したのは朝の11時。やはりちょっと疲れたが、今日はそのままアジャンタの石窟寺院に向かう。なぜこの山奥に僧院を造ったのだろうか思わざるをえない場所に突然現れる。虎刈りに来ていたイギリス人が偶然発見したというのが頷ける。ワーグラー川に沿うように並ぶ何窟もの遺跡。そのたたずまいと美しさは本当に素晴らしい。アジャンタは仏教寺院であり、約28もの窟が断崖中腹に刻まれている。窟の中には壁画、彫刻が当時の宮廷生活や仏伝などが描き出され、ガイドさんの説明から初めてわかるそこに描き出されたストーリーは、大変興味深い。
翌日訪れたのはエローラ石窟寺院である。ここには仏教、ヒンズー教、ジャイナ教と3つの宗教が存在する。アジャンタには仏教のストーリーが伺える壁画の美しさがあるが、ここエローラでは彫刻の大きさや精密さに圧倒された。そこに刻まれた神々の微笑みや、力強さは美しく、建物の構造では、直線や曲線など、これを人の手のみで行ったとは偉業である。石窟に僧院を造り上げたその内部は、きれいな曲線を描き、木目をほどこし、壁や入り口には、神々が刻まれている。エローラの遺跡で中でも最も素晴らしいのはカイラーサナ寺院であるといわれているが、そこは何と寺院全体を1つの岩山から掘り出した、巨大でかつ精密な彫刻である。
アジャンタとエローラの石窟遺跡は、大変素晴らしい宗教的な遺跡である。この偉業を、素晴らしさを見て欲しいと思う。
ムンバイ
ムンバイでは商業の港町であり、建物が欧州的なものが残っており、デリーとは全く異なった佇まいを見せる。夜遅く到着したにもかかわらず、町がまだ賑やかであるのは、この町の発展を表しているのだろう。ただその一方で、地方からの都市移住者が後を絶たず、巨大なスラム街を生み出している。暑いので彼らは地面にござを敷き、車がすぐ横を走る道路で、家族で寝ているのを見ると、なんともいたたまれない。ただ、それがインドの現状なのであろう。
真っ青な空の下に広がるアラビア海沿いには、マリーンドライブと呼ばれる海岸道路が走っている。そこを走り抜けインド門を、その前にたつタージマハルホテルを眺めた。その後、ジャイナ教寺院を訪れた。熱心なジャイナ教徒がお祈りするこの寺院には、なんとも言えない神聖な空気が漂っていた。その後、この旅行の締めとしてプリンス・オブ・ウェールズ博物館を見学し、そして、当然最後の食事はカレーでこの旅行を締めくくった。
自分がイメージしていた「インド」よりも、もっと奥深い神秘的な国がそこには存在した。是非、多くの方にインドを訪れ、実際にそのパワーを感じてほしい。きっとそこには、想像もしなかった何かがある、それがインドであると思う。
浅野 美樹
2003年10月