なにしろびっくりした。
ガイドブックにはピックアップトラックと書いてあったので、タイのソンテウ(1tピックアップトラックの荷台に屋根と座席をつけたもの)みたいなものを想像していたのだが、これはただの4トンダンプではないか。ダンプの荷台に木の板を渡し、そこに6~7人が腰掛ける。ダンプの荷台巾は約2m、一人当たり 29cmの巾しかない。さらにそれが7~8列、ダンプの荷台長は約3,4m、一人当たり40cmくらいの長さしかない。40cm×29cmに一人!
体育座りで乗りこんでも前の人にひざがつく。こんな窮屈な乗り物は生まれてはじめてである。
ここはチャイティーヨー、ヤンゴンから東に向かい、大仏で有名なパゴーなどの町をとおりながら車で5時間ほど、山頂に一見今にも落ちそうな黄金の大岩が鎮座している場所、今も昔もミャンマーの人達には大事な巡礼地のひとつである。岩盤の上に大岩、さらにその上に高さ7m位のパゴダがあり、この中に納められている仏陀の髪の毛がバランスを取っているといわれている。昔は麓から5時間かけて徒歩で登るしかなかったのだが、途中までトラックで登れる道を作り、一時間で登れるようになった。一時間で登れるようになったとは言っても登れる車は4トンダンプのみ。こんなぎゅうぎゅうづめで一時間もじっとしていなければならないとは。ガイドブックには35人乗りと書いてあるが、今私が乗っている昭和62年製三菱ファイターミニヨン4トンダンプ(日本からの中古ダンプ)には50人以上がびっしりと乗っている。
ミャンマーは軍事政権下、経済が破綻しており、車を新車で買える余裕は全くない。というわけで、街で見かける車はほとんどが日本の中古車。ヤンゴン市内を走る路線バスも神奈中、京急、小田急、伊豆箱根、横浜市営、東京都交通局、西東京、西武、東武、京成、新京成・・・・徳島市営や小豆島バスなど、なんでこんな車が、と思うくらい日本の中古車だらけ。塗装もそのまま、ワンマンボタンもそのままで走っている。と思えば第二次世界大戦終了後に入ったシボレーのバスも現役で走っていたりする。50年以上古い車が現役で走っているなんて!現在は中古車でさえも新規に購入することが出来ず、壊れても修理に修理を重ねて大事に使っているらしい。どおりで古い車が多いわけだ。ヤンゴンからチャイティヨーまで乗ってきた車も日本からきた中古タウンエース、しかもエアコンが効かなくなってしまっているので暑気のこの時期にはきつかった。やっとチャイティヨーの麓に着いたと思ったら今度は4トンダンプの荷台、ミャンマーの旅行は耐えることが多い!
ぎゅうぎゅうづめのダンプが発車した、と思ったら1分ほどで停車。お寺の改修などの寄付を求める場所で、信心深い何人かが少しのお金を寄進した。さあこれで山に登れると思ったら今度は木の下で停車。350チャットの運賃を集め始めた。荷台に乗るときに一人ずつ集めていればこんなところで停まって集めなくても、と思うのだが、それはせっかちな日本人の考えること、ここはミャンマーなのだから郷に入れば郷に従えと言う事でおとなしく座って待つ。集金が終了したら出発だ。運転手はアクセル全開、スピードを上げる。登りにかかった。エンジンが悲鳴を上げる。激しい使われ方だ。しかし三菱の6D14は悲鳴を上げながらもぐいぐい坂を登っていく。山道だが多少の登り下りはある。下りはまるでジェットコースターのようだ。ほとんどブレーキを踏まず下っていく。ずっとブレーキを踏まれっぱなしでペーパーロックになってブレーキ利かなくなるよりはマシか、と運を天に任せる気持ちでゆられるのみである。荷台がゆれると人と人との隙間がぴっちりしてきて荷崩れ?の心配も無くなってきた。
車が突然停車した。ここから先は道が狭く、坂の途中ですれ違うことが出来ない為、下山してくる車を待ち、登る車は何台かまとめて登るという方式を取っている。炎天下で駐車するのはつらいのでちゃんと屋根付きの駐車スペースがある。おもむろにバックでそのうちのひとつに駐車し、下山して来る車を待つ。今日は政府のえらい人が山に登っており、その人達の車が降りてこないと登れないそうだ。荷台にいてもしょうがないので皆下車する。乗降用にステップもこしらえてあり、意外に親切。
山に登る車は全てここで止められる。10分に一台位づつ車が登ってくる。日産ディーゼル、日野、三菱・・・。皆4トンダンプ。屋根があるところは5台分しかない。そのうち屋根があるところは全部埋まってしまった。まだ登りの出発許可は出ない。更にもう一台ダンプが登って来た。屋根のある停車場はすでに無い。炎天下で停車するのはちょっと厳しいな、と思っていたらちょっと先まで行って停車した。停車した先に小川があり、皆ダンプを降りて水浴びをしている。
一台山からダンプが下りてきた。政府の要人、すなわち特権階級だからエアコンの効いた四輪駆動車で下りてくるのかと思っていたが、やっぱりダンプだった。乗っている人はあまり政府の要人らしくないが。これで出発かと重い腰をあげて荷台に乗ろうとするが、まだ下りて来るらしい、登る許可は下りない。すでにここに停車してから30分は経っているのだが。
回りの人達は慣れっこらしくお菓子を分け合ったりして楽しく談笑している。隣のおばさんが突然イチゴキャンディーをくれた。ジェスデンバーデ、と片言のミャンマー語でありがとうと言ったら発音がおかしかったのか大笑いされた。それをきっかけに回りの人と話しがはずみだした、といってもこっちはミャンマー語が出来るわけではなく、おばさん達は日本語が出来るわけではない。片言の英語と中国語!ミャンマーでは今中国語を習うことがブームである。経済的な面で中国とのつながりが強くなってきた現在のミャンマーで中国語を学習することはいろいろな面で有利なことらしい。が、こんなミャンマーの片田舎で中国語会話をするとは思わなかった。
ところで待っている時間はすでに一時間を越えているぞ、と車を止めている詰所に様子を見に行ってみる。21世紀のこの世の中に手回し式の電話で連絡を取り合っているとは。
しかもつながりが悪く全然話しが出来ない様子。じっと見ていたらいきなりどこから来たと英語で聞かれる。日本からだ、と答えると電話を直せないかと言われた。うーむ、有線電話はちょっと判らないな、といって無線電話が判るわけではないのだが。直せません、ごめんなさいと答えた。日本人なら誰でも直せると思わないでほしいなあ。ところであと何分位待ったら登れるのかと聞いたらもうすぐだとの事。
突然出発だとの声。慌てて飛び乗る。詰所に詰め寄ったのが効いたのかな?荷台に登るステップは人がいっぱいなので、逆サイドのバンパーに足を掛けえっちらおっちら荷台に上がる。運転手は全員乗ったことを確認したとたんに発車。あっという間にスピードが上がり、また強烈なアップダウンが始まった。さっきの長時間停車で荷台の人達の一体感が増してしまったらしい、車が見えれば歓声を上げて手を振り、下りでスピードが上がればジェットコースターに乗っているかのように手を上げて歓声をあげる。ゆれて隣の人にぶつかってももう大丈夫。すばらしい笑顔、笑顔、笑顔。みんな仲良しになってしまった。
約30分でダンプの終点、ヤテタウンに着いた。敷地は広く、あんなに待たなくても登って来れたのに、と思ってもここはミャンマー、楽しい経験をさせてもらったと考えた方が良いようだ。ここからは徒歩で登るのみ。
駕籠もあるが、駕籠に乗っては男がすたる。ダンプの荷台に揺られて疲れた体に一息いれた後、ゆっくり登り出した。荷物を持って登るのはきついので2000 チャットでポーターを雇い、ガイドと私の荷物を持ってもらう。ポーターは荷物を籠に入れて背中に背負う。
歩き出すと駕籠にのれと駕籠かきがうるさい。料金を尋ねると8000チャットとの事。約12ドル、すっかりミャンマーの金銭感覚になっており、ものすごく高く感じるので当然乗らない。道はコンクリートで舗装されており、ちょっと坂が急なところもあるが、大体は歩きやすい。運動不足なので自分のペースでゆっくり登る。駕籠かきは駕籠を持ちながらしつこく着いてきて、あと6マイルあるとかあと一時間かかるから大変だとか色々話しかけてくる。無視してどんどん登る。無視しても着いてくる。ミャンマー人は誰一人として乗らないので、彼らも仕事を逃してはなるものかとついてくるのだが、この炎天下で大変だなと思う。
暑さと勾配でちょっと疲れた。登り始めて20分位で1回目の休憩。駕籠も一緒に休憩。
ここからなら6000チャットで良いと少し値引きである。でもまだまだ高い、というかもともと乗る気はないのだから、ずっとくっついてきても乗りませんよ、とは言ってみたものの彼らもこんな上客の気分が変わって乗るとでも思ったのだろうか、歩き出したらまだ着いて来る。ポーターも律儀に一緒に着いて来る。大名行列みたいだ。
更に20分位登って二度目の休憩。我慢できなくなってミネラルウォーターを購入。200チャット、平地ではたしか150チャットだったのだが、山の上だから少し値上げされているらしい。駕籠はまだついてきて5000チャットでどうだ、としつこいがもう半分以上登っちゃたしな。もう少し頑張ります。
ところがここからがきつかった。勾配が少し急になり、ちょっと登っては呼吸を整え,ちょっと登っては水を飲み、駕籠かきはそれ見たことかと今からでも遅くないから乗らないかと誘う。いやいりませんと断りもうひと踏ん張り。コンクリートの道から土の参道に分かれるところまで来たら駕籠かきはいなくなった。駕籠かきがいなくなったと言う事は頂上が近いと言う事だ。回りを見まわすとガイドがいない。先に登っちゃったのかな?と少し歩を早める。ポーターはずっと私の横を黙々と歩いている。
参道の左右は土産物屋だ。参道自体にも屋根があり、直射日光は避けられ少し歩くのが楽になった。土産物屋ではいろいろな物を売っている。特に漢方薬の原料のようなきのこや木の枝、野草などが多い。野生動物の毛皮とかも売っている。いろいろな動物がいるらしいがむやみに買って日本に持って帰ろうとするとワシントン条約に引っかかってしまうものもあるだろう。勾配は平坦になったのだがこの参道が結構長い。長い坂を登ってきた後なのでこの道のりも思ったよりこたえた。最後に10段くらいの階段を登って山の上に着いた。ガイドが先に着いているかと思ったがガイドは見当たらない。とりあえず休憩しようと茶屋に入ってミネラルウォーターを飲む。ポーターは横で休んでいる。10分くらいしたらガイドが到着。いつのまにかガイドをおいてきてしまったらしい。
ガイドと一緒に山頂での手続きを済ませ、まずは今日宿泊するチャイトーホテルにチェックインする。このホテルはバンガローのようなホテル。部屋は思ったよりも広い。シャワーとトイレが付いており、こんな山の上だからお湯は出ないかと思ったが暖かいお湯がちゃんと出る。バスタオルとハンドタオル、石鹸もついている。バスルームは充実しているが、部屋にはテレビも電話もない。電気製品は卓上スタンドのみ。その他は中国製魔法瓶とミャンマーのお茶ッ葉がおいてあるだけである。
さっそくシャワーを浴び、さっぱりしてからゴールデンロックの夕陽を見に行く。ミャンマーのお寺には狛犬?がいる。ここにも比較的大きなものがいる。お尻がぷりぷりしていて大変かわいらしい。サンダルを脱ぎ、門をくぐって中に入る。通路は大理石が敷き詰められている。ゆるい勾配を登る。左右にある建物はお金持ちの人が巡礼に来たときに泊まる建物だそうだ。さらに奥に進むと夕陽をバックにきらきらと輝くゴールデンロックが見えてきた。
百聞は一見に如かず、写真をご参照下さい。このように大きな岩の上に金箔を貼った岩がのっている。絶妙のバランス。ガイド曰く、ここに1年に5回お参りするとお金持ちなになれるそう。じゃあ是非ともあと4回お参りに来なければ。岩のそばには女性は近寄れない。男性のみ。350チャットで金箔を買い、岩に貼りつけた。近くで見るととても大きい。思いっきり押したら岩が落ちちゃうのではと思われるほど絶妙なバランスでのっている。
夕陽が遠くの山に沈んでいく。夕闇がどんどん濃くなるが、ゴールデンロックはライトアップされきらきら輝いている。そのまわりで祈る人々。今は苦労したとはいえ、比較的簡単に登ることが出来たが、5時間かけて登っていた頃はもっと大変だったのだろう。先人の苦労を偲びながらゴールデンロックを後にした。
翌朝は早起きして日の出を拝み、山を下りる時は物はためしと4000チャットで駕籠に乗って下山した。今年中にあと4回参拝できるかな?しなきゃなあ。
石井 清史
2003年4月