北京・武術合宿記

北京・武術合宿記

実は、私は中国武術を習っている。
大阪に異動になってから、ふと思い立って始めたので、まだ1年半ぐらいだが。
週に1~2回程度だが、けっこうがんばって通った。仕事がたまっていても、とりあえず練習に行って、その後会社へもどって残業したりもした。
なぜ、こんなに続けられたのか、理由は少なくとも二つある。
まず、二人のコーチが相当かっこいい。(ご夫婦です)私も本気で、強くかっこよくなりたと思ってしまった。それと、ストレートで飾り気のない仲間らが、とても居心地よかったからだ。
そしてこの年末年始、こんな大人になって、こういう事をするとは思ってもいなかった。
中国・北京へ武術合宿。
なんてかっこよくて、なんてわくわくする言葉だろう!メンバーは、コーチ一人と生徒五人。正月に単身海外脱出できる六名は、どういうわけか、同年代の女ばかりになった。


ちょっと、中国武術について、紹介。
日本で分かりやすいイメージでいうと、カンフーだ。中国では、武術といっても、300種類ほどの流派があるらしい。大きく二つに分けると、有名な小林拳を含む、北方系の長拳と、南方系の南拳というのがある。
私が習っているのは長拳で、動きは大きく伸びやかで、華麗といってもいいかもしれない。跳躍も多い。
南拳は、力強い腕の動きが特長で、「ハァ!」と声を出したりする。後に琉球(今の沖縄)に伝わり、空手の源流になったと云われている。
日本での競技としての中国武術は、対戦するわけではなく、体操競技にあるような、規定の型を表演する。この型を、套路(とうろ)という。日本で、実線的なことを教えているところもあるようだが、少ないと思う。
実は、合宿でやる予定の型・A套路というのを覚えていかなくちゃいけないのに、11月に社員旅行・その他で3回ほど練習を休んでしまっていたので、まだ覚えていなかった。
年末でもあり、出発までいろいろと忙しく、旅の準備を始めたのは前日の夜中。ああ、もう寝る時間がなくなっちゃうと思いつつも、やはり套路を覚えていかねばまずい・・・と、葛藤。うろ覚えでも、頭に入れて行った方がましだ。仕方ない!もう、本当にベッドが恋しかったが、ビデオと本を見ながら、ちらかった部屋で体を動かし始めた・・・。
そして、ほとんど寝てない状態で、なんとか出発。
北京の空港へ迎えに来てくれたのは、今回の私たちの受け入れ先の、北京体育大学の金さん。外国人留学などの専門の方で、日本語もできる。コーチの作った合宿案内では、「中国では、パーティーでブレザーにジャージを合わせる人もいる」と書いてあったが、金さんはお洒落なおじさんだ。「中国人で、こんなお洒落な人、見たことがない」と、中国通のコーチが感心。
私たちが一週間泊まるのは、大学内の招待所だ。覚悟は決めて来たのだが、部屋を見てびっくり。ホテルのようにきれいだ。暖房も全く問題なく、シャワーも時間制限はあるものの、充分熱いお湯が出る!そして、中国のほとんどのホテルにあるように、毎日の魔法瓶のお湯のサービスがある。掃除も毎日してくれる。
私たちの招待所の近くには、長期留学している、外国人用の寮があった。五階建てくらいの、古びたアパートという感じ。いつもベランダに洗濯物がいっぱい干してあった。この時期北京は、一日中ほとんど0度以下。乾くのだろうか?やはり凍ったりもするんだろうか?
着いた翌日の練習初日、午前は自主連だった。招待所から、校内にある武術館まで、5分もかからないが、ジャージの上にフリース・ダウンコートを着込み、マフラー・手袋も必需品だ。ほっぺたや耳は凍りそう。
「武術館」という看板がかかった建物の入り口の左右には、お寺のように石の獅子がいた。古い木の扉を開けると、中は不思議なほど静かだった。太極拳をやっている人が数人いる。明らかに、いつもの日常と違う空間だった。そして、かすかに懐かしく感じた。広い床には、暗い緑色の絨毯が敷いてある。高い天井の上の方まで窓があり、埃っぽいガラスから斜めに射す朝日が美しいと思った。奥には、中国の赤い大きな国旗。そして、何に使うのか、中国風の装飾がある、赤い木のテーブルがいくつか置いてある。姿勢をチェックする姿見も、古風な木枠に収まっている。何もかもが、古びているが、伝統的で美しいと思った。ここで練習できるのが、嬉しかった。
練習の始めには、必ず柔軟運動=ヤートゥイをする。普通の屈伸運動から始め、足を横・前・後ろに上げ、寒さで固まっている体を、ゆっくり、なんとか伸ばす。それから、体を動かす。基本功のティートゥイ。足を蹴り上げたりするのだが、前・横、内側からの回し蹴り、外側からの回し蹴り、拳での突き、掌(しょう)での突き(チョップいえば、分かりやすいだろうか)、その他いろいろと各自でやった。
そして、中国に来る直前にざっと覚えた套路の練習。それと、私たちは、剣術もやっている。剣の套路も思い出しながら、練習する。なんといっても午後は、中国の先生=老師(ラオシー)に見てもらうんだから!みんな各々、剣を持ち、空いているスペースを見つけ、人の間を縫うようにせっせと動く。
で、昼ぐらいになる。あー、おなかすいた!朝もたくさん食べたのだが、早起きして体を動かすと、すぐおなかが減る。ぞろぞろ、小白楼という食堂へ。
やはり、食事は、一日の大きな楽しみだ!私たちは一週間、外出しない時は全てこの小白楼でご飯を食べた。なんという事もない食堂だが、慣れると居心地がよかった。ここは、留学生が主に使う食堂で、大きな回転する円卓がいくつもあり、私たちが座ると、セットになっているコース料理が次々と出てくる。それを、すごい勢いでぐるぐる回して、みんなで食べていく。毎回違うメニューが出てくるが、なかなかおいしくて、どれも口に合った。校外へ出ない日は一日中ジャージでいるので、ウエストの規制が無いせいか、みんな、よく食べる。食べ終わってもすぐに帰らず、いつまでもお茶を飲みながら、話し続けたりした。
そして何度も、「小姐、茶!(シャオジェ、チャー)」(お姉さん、お茶!)
と叫んで、お茶をおかわりしたものだ。
ついでに言うと、毎日の楽しみが食事以外にもう一つあった。それは、校内に小さな商店街のような所があり、お菓子や雑誌やスポーツ用品などの店があった。練習の後、みんなでそこへ行くのが日課になってしまい、特にお気に入りのスーパーでは雑貨を見るのが楽しく、数十円のノートやお菓子を選ぶのに、30分以上いる事もあった。
そして、その日の午後、初めて老師に会った。以外に若く、お兄ちゃんといった感じのジャンレイ老師。とりあえず、少し緊張。また、ヤートゥイをするが、今度はみんなで合わせてやる。老師が「イー・ア・サン・スー・・・」と数える声が、静かに武術館に響く。その後、ティートゥイ。「私たちは、週1・2回しか練習しない社会人で、先生がいつも教えている選手クラスの学生とは違うんです」などと、言い訳できずに、ティートゥイを始める。みんな、真剣で必死だ。老師が注意すると、金さんがささっと出てきて、通訳してくれる。
言葉だけでは足りない時は、手本も見せる。外擺腿(ワイバイトゥイ・内側からの回し蹴り)をやって見せてくれた時だったか・・・あまりの動きの早さに、みんな、目を奪われた。は、早い!!かっこいい!!
夜、ほとんど毎晩一つの部屋に集まり、しゃべったり騒いだりしていたが、「老師はかっこいい」ということで、みんな意見が一致した。
翌日の練習は先生が代わり、中年の女性のリー老師。この方は、現在のA套路を作った人だ。昨日より、もっと緊張。
練習していると、どやどやと、大勢の学生が武術館に入ってきた。そして、不思議な動きの練習を始めた。二人一組になり、前の人は両手を猫がニャンニャンするように動かし、後ろの人は、前の人の腰につかまる。二人そろって泥棒のようにひょこひょこ歩く。なんじゃ、こりゃ?まあ、気にせずに私たちは練習。
そのうち、二人組みの後ろの人が、前の人を、頭の上まで勢いを付けて持ち上げたりする。なんか、すごいな。でも、なんなのか、わからない。
その後、彼らが身に付けたのは、獅子舞の格好だった。なんだ、獅子舞の練習だったのか。武術館に置いてあった、中国装飾の赤いテーブルは、なんと獅子舞に使うもので、それを中央に持ち出してきて、本番さながらの練習を始めた。ジャンジャンジャンジャンと、激しく金属の楽器を鳴らす。わけ分からない事をしていた学生たちは、今度は激しく動く獅子になっていた。竜玉というのだろうか、獅子を操る玉を持った人を追いかけ、獅子が赤いテーブルに飛び乗る。そして、高く立ち上がり、ぐるりと向きを代える。飛び降りる。
す、すごい!!かっこいい!!本当に申し訳ないのだが、リー老師の練習は、中断同然。明日の午前に振り替えてもらうことにしてしまった。
最後に、竜玉の人はテーブルから側宙で飛び降り、ポーズをとる。さすが、武術やっている学生、決めのポーズもばっちりで、たまんない!こんな、アクロバットのような獅子舞は、見たことがなかった。
もっと見たい!「次は、この獅子舞、いつ、どこで見られるの!?調べて下さい!」と金さんに詰め寄ってしまった。
獅子舞は、この国の文化のものだ。そしてここは、中国でもトップクラスの様々な選手を育てている大学だ。ある意味、世界最高峰の獅子舞を見たのだろう。
とにかく、この衝撃的なショーも、毎晩の私たちの話題に加わることになった。
この日の昼食後、ここの体育館で子供の中国武術選抜隊の練習があるというので、見学へ。
その、跳躍動作の高さ、速さ。驚くのは、それだけではない。私たちは、一つの跳躍動作は三回づつくらいしかやらないが、ここでは延々と、十回か、二十回近く続ける。動きを文で表すのは難しいが、まるで、サバンナを飛ぶように走る、動物の群れのようだ。
基本功の中で、前掃腿という、しゃがんだ姿勢で、左足を軸に、右足をまっすぐ伸ばしたまま、時計と反対回りをするのがあるが、それを楽々二回転している。(私らは、なかなか一回転できないのだが・・)
本当に、すごい人ばかりなのだな、ここは。

なんだかんだと日が過ぎ、あっという間に31日。日本では、大晦日だ。
今日以降は、リー老師に習う予定だったが、急な都合で実家に帰られ、ジャンレイ老師に振り代わったと金さんが説明。(ラッキー!と、みんな心の中で思った)
この日は、体育館で練習。練習の30分くらい前に行き、ジャンレイ老師が、欧米人の留学生に教えているのを見た。棍(こん)、刀、槍など、様々な器械(武器のこと)を教えていた。武術は、欧米でも人気がある。ものすごく上手い人もいるし、そうでない人もいて、少しほっとしたりもする。
この日は、午前・午後と2回老師に見てもらった。
なんとか覚えた套路は、実は日本と少し違うところもあり、何箇所か覚え直すことになった。体は、疲労と筋肉痛のピークで、それに比例して、覚えようとする力も弱まってしまう。ますます動けなくなる自分の体が情けない。特に、剣を持つ右腕が悲惨だった。
この日の夜、私たちの歓迎会という事で、大学の国際部の偉い方々にご馳走になった。予定には入っていなかったのに、思わぬもてなしが嬉しかった。
中国の正月は旧正月なのだが、今日は31日なので、年越しのニューイヤーパーティーが大学であるという。毎年二回も新年を祝うなんて、得(?)な国だ。ジャンレイ老師と金さんが、それに連れて行ってくれた。
会場は、ボクシングかなんかのリングがある、広い体育館で、金モールや風船で飾り付けがしてある。そして、縁日のような、輪投げの類のゲームなどをやっている。大勢の学生が、走り回ったり、群れたりしている。なんか、懐かしい。高校の文化祭をちらっと思い出したが、それでもない。昔のアジア映画のような、もっと素朴に、もっと単純に、みんなで群れて騒いで楽しいっていう感じ。一番奥に舞台があり、そこで踊りや武術をやっている。すごい人だかりで、全然見えないので、他の学生をまねして、リングに上がり、それを眺めた。舞台の出し物は、ほとんど0時に全て終わり、「祝・新年」のような文字が書かれた大きな赤い旗を持った学生たちが、体育館をぐるっと走り、パーティーは終わった。
1月1日は、練習はお休みだ。
この合宿は、観光もセットされていて、金さんの付き添いで、万里の長城へ。暇なジャンレイ老師も着いて来た。
私は、長城は三回目だったが、こんなに混んでいるのをみたのは、初めてだった。右側へと続く女道の方が、人で埋め尽くされている。左の男道の方は、けっこうまばらだ。
「女道の方も、けっこう登るの大変なんだよ」と説明したが、みんな、きつい男道の方へ行きたがり、そちらへ。すいているのはいいが、ものすごく急な階段は、薄く積もった雪が凍り、滑りやすくなっていて危険極まりない。おまけに、スキータイツ・ジーパン・風除けのナイロンパンツを重ねて履いているので、足を上げるのが重労働。長城特有の強風は、この日はなく、少し登っただけで汗をかいた。
折り返して下る時、私は大きく遅れて一番後ろから長城の写真を撮っていたのだが、前方で何か大騒ぎが起きた。急いで行ってみると、何人かが、うずくまっている。はあ?よく見たら、なんと笑いすぎでうずくまっている。聞けば、金さんが、「皆さん、降りる時は危ないので、・・・」と説明の途中で、自らが10mくらい滑り落ちてしまったそうだ。それも、転ぶことなく、立ったまま!老師が何か言ったのを、中国語が分かるコーチが「雑技雑技(中国サーカス)ゆうてます」と訳し、失礼ながら、全員、大爆笑。
この事件も当然、毎晩の部屋での話題になり、見ていなかった私のために、何度何度も再現してくれ、またみんなで倒れるほど笑った。
午後、本当はフリーだったのだが、私たちが行きたがっていた故宮へも、案内してくれた。ここもすごい人出だったが、なんといっても、とてつもなく広いので、観光に支障はない。そして夜は、王府井(ワンフーチン)で北京ダックを食べた。なんだか、うちの会社の「北京ハイライト」のような一日だった。ああ、楽しかった!

旅行というのは、半分過ぎてしまうと、後の半分がびっくりするほど、早い。
楽しい旅でも、大変な旅でも、多分、そうだと思う。
(後、少しで帰るのか・・・)(ずっといたいな・・・)とみんなの頭をかすめてきた頃、2日の夜、飲み会でもしましょうと、老師を誘った。
老師の教えている、欧米の留学生たちもいっしょに来た。留学生たちは、以前、私たちが揃いの赤いジャージで体育館に現れた時、なぜか日本代表チームと思い込んだそうで、これには、大笑い。多分、私たちが練習を始めたのを見て、勘違いと気づいたんだろうな・・・
ジャンレイ老師の一番弟子だという、アメリカ人のピーターくん、体育館で、棍術をやっているのを見かけたが、全米チャンピオンだそうだ。ああ、上手いなと思ったが、どおりで!彼は、太極拳もやるし、器械もいろいろな種類をやる。いろいろやってみなければ、何が自分に合っているか分からないから、やるべきだと私にも勧めた。本当に武術が好きなようだ。中国語も、ほとんど不自由なくしゃべり、大好きな武術を毎日やり、時々友達と、こんなバーへ来て、酒を飲んで大騒ぎして・・・幸せな生活だねー、と私が言ったら、なかなかいい言葉を返してくれた。「どうせ、人間はいつか死ぬ。死んだら、どうなる?」何も無い、と私は言った。「だから、生きているうちに、やりたい事やって、好きな事やって、ハッピーでいなくちゃ」
なるほど、共感。「どうせ、いつか死ぬから」とは、何度か聞いた言葉だが、好きな事を、それを極めるまでやっている人間が言うのは、説得力がある。小気味いい。
この一週間に、思い切ってこうやって参加できた私も、けっこう幸せなのかな。
真夜中、店を出ると、小さな子供たちが花を売っていた。留学生たちは私たちに、寒さで凍ったバラを一本づつ買ってプレゼントしてくれた。
花が凍るほどの夜中、働く子供たちがいる。それも、中国。
そして、優秀な武術家がごろごろいて、それに魅せられた外国人らが、一生懸命中国語を勉強して、この国に押し寄せる。それも、中国。
今まで、この国のいろいろな地方を忙しい日程で旅行してきて、いろいろなものを見てきたつもりだったが、一か所にずっといても、これほどのいろいろな感覚・感動を受けるとは。
翌日、最後の午前の練習を終えて、午後がフリーになった。
私は実は、仕事が少しあって、ホテルの視察・写真撮影をしなければいけなかった。みんなは買い物に行ったが、私は夕食まで別行動。もう、すっかり中国に馴染んだつもりになっていて、一人で街をぶらぶらするのが楽しい。地下鉄に乗った。とてもきれいだ。フフフ・・・誰も、私が日本人だって気づかない。(いや、地図を握り締め、カメラをぶら下げていたので、気づかれたか!?)
ホテルを何軒か周った途中、中興酒店で、次期マネージャーだという、日本語ができる呂さんという方が、しきりにお茶を勧めてくれて、長話しをしてしまった。外へ出ると、もう暗い。まずい!急いで歩き、課題の撮影箇所、前門大街・大柵欄へ向かったが、夜景撮影になってしまった。この後、夕食の待ち合わせの店へ行き、その後、京劇なので、あまり遅れちゃまずい。

あせってシャッターを押したが、夜の街のきれいさにもびっくりした。色様々な光。明るい昼間に来たら、どんな感じなのだろう。見てみたい。もっともっといろいろ見たいし、食べたいし、買い物だってしたい。一週間いたが、全然もの足りない事に気がついた。
結局、ほとんど大学内にいた訳だし、武術の練習ばかりだったわけで・・・いや、武術ですら、もの足りない。ようやく体が慣れてきたし、もっと練習したい。この楽しい共同生活も、もっと続けたい。
でも私たちは、本当の学生ではなく、一週間でこの大学から出ていかなくてはいけない。そして、社会にもどる。
そういえば、みんなは「また来年こようね」「毎年きたいね」と口々に言っていたが、来年もまた、このメンバーで来られる補償なんて、どこにもない。そう思うと、寂しい。
だが、本物の学生だって、学生という時間が永久に続くわけではない。どんな旅行でも、終わらない旅行はない。どんな楽しい時間も、いつか終わる。
結局、今、楽しめたという事が重要なのだろう。
楽しかった。日本の日常生活を忘れるほど楽しかった。どう考えても、こんなに笑って、こんなに刺激を受けた日々は、ちょっとやそっとでは、忘れられないだろう。
せっかく始めた武術は、やりたいと思う限り、忙しくてもなんとか続けたい。
多少無理してでも、好きな事を続けるっていう事は、なんて楽しいのだろう。
そしてまた、次に、こんなわくわくする事は何なのだろう?楽しみだ!
松永 恵
2002年12月28日~2003年1月4日

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