パキスタン最新事情(ペシャワールの難民キャンプを訪ねて。)

パキスタン最新事情(ペシャワールの難民キャンプを訪ねて。)

4,5年ぶりにイスラマバードの空港に降り立った。以前来たときはオンボロのほったて小屋のような暗い感じの空港だったが、今はまるで別の国の空港にきたような、近代的な空港に生まれ変わっていた。ホテルへ向かう道端では、夜遅いのにもかかわらず点々と人が集まる市場のような人ごみを目にした。日本で報道されているような緊迫した様子は見受けられず、むしろ活気さえ感じられた。


翌日訪れた’ロータスフォート’は、 1540年にたった5年の期間で作り上げた西の他国から自国を守るための城壁である。ただ、5年の期間ではお城の中までは作れきれず、城壁のみが立派に出来上がっている。これは、その時代に在位していた皇帝が作り始めて5年で死んでしまったため作業が中止となり城壁を残すのみとなっている。又ココで面白いのは城壁へ行くまでの道のりで、幹線道路から道をそれ河を渡るのである。乾季の時期でも普通の車では横断するのが大変なため車高の高い車や、4WDの車でないと渡れない。その距離約3キロ。(現在、幹線道路より橋が作られており今年中には完成するであろう。地元の人には便利になるが、観光客にとってはチョト残念である。)北側はこのカハーン川、東・西・南は険しい岩山に囲まれているのでさぞ他国は攻めるのに苦労したことだろう。また、城壁の中にはその時代より(作業をした人々の子孫と思われている)村を作り城壁に守られた都市として立派に成り立っている。まだあまり観光地として知られていない’ロータスフォート’は大変興味深い。
3日目、イスラマバードよりペシャワ-ルに向かった。いくつもの村・町を通り抜けたが、どの町も活気あふれた、平和そうな町ばかりである。途中、タキシラ遺跡とタフティバイに立ち寄った。タキシラはガンダーラ遺跡群の中でも重要な、かなり規模の大きな遺跡群である。(ガンダーラは有名な著書、西遊記のなかで玄奘三蔵が目指した天竺のこと)大規模なため全部を周ることは出来なかったが、その中の丘の上に作られた仏教遺跡’ジョーリアン’と都市遺跡シルカップを見学した。ジョーリアンは比較的保存状態もよく、かなり興味深いものであった。シルカップは遺跡こそあまり残ってはいないが、昔の人々がかっぽしたその町を想像するには充分なものであった。又、タフティバーイもタキシラのジョリアンと同じような、険しい山肌に築かれたガンダーラ僧院の遺跡。ココは規模も大きく僧房・厨房・食堂などをはじめメインストゥ-パを中心に保存状態の非常に良い遺跡が残っている山頂から見た僧院の全貌は絶景である。また、ココに寝泊りしながら管理している管理人とその友人たちにすすめられ、チャイとその場で作ったお菓子をご馳走になった。彼らに話を聞くと、最近日本人のお客さんが全く来ないと言っていた。昨年9月のテロのことは知っているが、その後のアフガニスタンへの報復などのことは全く知らず、緊迫していたであろう国境付近の状況も知らなかった。むしろ彼らは、日本人をはじめ観光客が激減したことを不思議に思っているようであった。このあたりは全く治安面で不安のない地域であるようだ。
そして翌日、今回の旅のメインと位置づけたカイバル峠とアフガニスタン難民キャンプに訪れた。カイバル峠への道のりには、生のライフルを担いだ警官を同乗させ緊張した面持ちで峠へ向かった。途中のトライバルテリトリーでは喧騒とした雰囲気はあったものの肌で感じる緊張感や緊迫感は全くといって良いほどなかった。また、特に検問があるわけでもなくトラックが非常に多く簡単にパキスタンとアフガニスタンを行き来している。峠についてみると正直「なーあんだ」と気が抜けてしまうくらい平穏無事。日本で見たあの混沌とした緊張感のある映像はなんだったのだろうと思う。難民キャンプに行くために、数ヶ所のNGOなどの政府機関に許可を取るため走りまわった。やっとの思いで許可が出たころにはすっかり夕方になっており、訪問は翌日となった。
そして翌日、もう一箇所許可を取るため立ち寄った後キャンプ地へと向かった。車で約2時間、複数ある難民キャンプの中で比較的新しい場所へ案内された。新しいといっても、パキスタンに着てから3~6ヶ月は経ったキャンプ地である。三角テントを想像していたが、一部にはあるものの、乾季を迎えるにあたり暑さ対策を含め安全のため、ほとんどが赤土で作った家を与えられており、小さいながら店があったり、彼らのための病院、職業訓練所など、パキスタンを出るその日までの準備が、周到に行われているのである。日本から持参したノート200冊鉛筆200本を配るため小高い見通しの良い丘の上で大声で子供たちを集めた。

驚くことに、今までほとんど姿の見えなかった子供たちがものの5分で50人位集まった。誰の指導も受けることなく、男女分かれて一列に並び、今か今かと何をもらえるのか首を長くして期待している様子だ。一人一人に鉛筆とノートを手渡ししていたが、その最中でも子供が集まってくる。最後には物が足りなくなってしまった。子供たちは、身なりはみすぼらしいものの、屈託のないあの笑顔はすべての辛かったであろう出来事を忘れさせてくれるのであろうと思う。
今回の旅では様々な人から反対されたり、馬鹿扱いされたりして(※注1)行ったのであるが、(一部にはうらやましがる者もいたが・・・)行ってきて本当に良かったと思う。繰り返しになるが、世界中のメディアが報道しているような、あの緊迫した画像は今回行ったすべての都市・村・地域で見ることがなかった。また現地の手配をアレンジしてくれた旅行会社及びガイドも日本語が非常に堪能なスタッフが揃っており、安心して任すことが出来る。もう一度行きたい国の一つとなった。
※注1 外務省危険情報
パキスタン
● アフガニスタン国境から100キロの範囲内の地域(北西辺境州ペシャワール市及びバロチスタン州クエッタ市を除く):「渡航の延期をおすすめします」(退避に関する情報を含む)(継続)
● カシミールの管理ライン付近、シンド州(カラチ市及びハイデラバード市を除く):「渡航の延期をおすすめします」(継続)
● イスラマバード首都圏、パンジャブ州ラワルピンディ市、ラホール市、シンド州ハイデラバード市:「渡航の是非を検討して下さい」(引き上げ)
● 上記以外の地域(北西辺境州ペシャワール市、バロチスタン州クエッタ市、シンド州カラチ市を含む):「渡航の是非を検討して下さい」(継続)
酒井 光浩
2002年4月22日

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