チベット旅行記

8月の末ぐらいの事だっただろうか。「出張でチベットへ行って欲しい」と指示を受けた。 チベット(中国)は私にとっては未知の世界。「世界の屋根」「ヒマラヤの見える国」「ダライラマ」 「仏教の国」。言葉ではわかっていても、実際にこの目で見てみないとなかなか理解は難しい。 出発が近づいてきても、なぜだかあまり心がときめかなかった。正直、この秋は有給休暇をとり アフリカか中南米か、大自然と野生動物が溢れている場所に行きたいと思っていたからだと思う。


ジョカン前で祈りを捧げる人々早朝に成都を出発すると、機内ではいつの間にか眠りについていた。気が付くと機体は着陸の時を迎えており、 それは 私の目を完全に覚まさせ、トキメキと期待をいだかせるには十分な一瞬だった。眼下に広がっていたのは草木もほとんど生えていないような茶色の山々、茶色の大地、そして一筋の河の流れ。 太陽の強い日差しを受け、キラキラと輝いている。さすがに天空に限りなく近い都市である。そして抜けるように 真っ青な大空。その見事なまでのコントラスト、これが「秘境チベット」と私の初めての出会いの瞬間だった。
今回のメンバーは私と中国人4人。成都の旅行会社の謝波(シャ)さん・38才、チベットの旅行会社の何(カ)さん・37才、運転手の劉(リュウ)さん・42才、日本語ガイドの張(チョウ)さん・26才。謝波さんは、以前ラサのホテルで十年間働いていた経歴を持つ、陽気な近所のお兄ちゃんタイプで(でも38才)今回のムードメーカー。何さんはいつもニコニコしていて一見はにかみ屋さんで物静かな印象を受けるが、チベットの 事は何でも知っていてとても頼りになる存在。途中からふっ切れたのか、突然歌い出したり、大声で叫んだり実は一番はしゃいでいた。劉さんはスラッと長身にサングラスがきまっている、悪役俳優風。ドライビングテクニックはチベットでNO1を誇り(勝手に判断)、その偉大さは世界のトヨタを越えたといわれる程。(チベットはトヨタのランドクルーザーが大活躍している)。どんな悪路もすり抜けるその技は正に職人。一見コワモテだが、時々見せてくれる笑顔がとても優しい。そして張さんは、現在ガイド見習い中。中国語・チベット語・英語・日本語を操り、ラサのシンボル・ポタラ宮
今回の旅行では大活躍。ガイドとしてはまだまだ未熟だが、とにかく勉強熱心で私にもずっと質問攻め。僧侶と話出したら止まらず、私を待たせる事もしばしば。今回唯一の女性である。かくして、ラサからチョモランマのベースキャンプを、そしてネパールのカトマンズを目指しひた走る旅は中国語・英語・日本語が乱れ飛ぶ何だかハチャメチャな盛り上がりの中始まった。
ポタラ宮よりラサの街を眺めるチベットには「トルコ石の湖」という名の湖があるという。何を隠そう私は青色が大好きだ。それが いつからかは はっきり覚えていないが、身に付けるもの、心惹かれるもの、集めるもの、そのほとんどが 青色になっていた。 そんな私にとって「トルコ石の湖」はどうしてもこの目で見てみたい、この足で立ってみたい場所であった。
ラサから光り輝くキチュ川をなぞるように車は進んで行く。途中から未舗装路に入ると徐々に高度をあげ、遂に私の4000Mまでの高度計では計測不能になってしまった。それでもさらに高度を上げ、ランクルはぐんぐん進んで行く。峠を上りきったあたりで風にはためくタルチョが目に入った。
「さて、ちょっくら休憩をしよう!」何気なく車を降り、「ほら!」と言われ横を向く。 そこには「トルコ石の湖」がポッカリと浮かんでいた。私にはトルコ石の青さがどんなものかはよくわからないが、 その透き通った青い輝きを目の当たりにし、「きれい!本当にきれいだよね!」と、ただただ満面の笑みを浮かべ 溜め息をもらすしかなかった。
今までいろんな美しいブルーをこの目で見てきた。ボラボラ島のラグーン、 モルディブの珊瑚礁、小笠原でマッコウクジラと泳いだり、西表島で熱帯魚と遊んだり、カナダのロッキー山脈で  湖巡りをしたり・・・。一言でブルーと言ってもいろんなブルーがある。それは自然が創り出すものだから。ほんの少しの光の加減でその印象は大きく変わるのだろう。標高4250Mに位置するこの湖は、その地理的利点を まるで誇示するかのように、全身に太陽光をいっぱいに浴び、その魅力を最大限に表現しているように思えた。
こんな姿を見せられたら、今度は実際に触れてみない事にはどうにも我慢ができなくなった。「もっと下へ行こうよ!水に触りたいよ!」「もちろん!」 ランクルはどんどん高度を下げていく。車を止めると今度は一目散に駆け出していた。靴を脱ぎ捨て、ジーパンをたくし上げ、ジャブジャブと湖をすすむ。ジャブジャブと顔を洗う。より近い目線で眺め、肌で感じるヤムドゥク湖はちょっと濁りなんかも目についたりするけれど、それはそれでまた美しい。遠目ではブルーという色付だが、近目では水本来の透明感をより感じる事ができる。足元には1cm程の稚魚がチョロチョロしている。空だって負けないくらいどこまでも青い。のんびりとしているようで、しっかり存在感を示しながら漂う雲。対岸には茶色い岩山、湖畔にたくましく広がる草の緑、湖の彼方にそびえ立つのは真っ白な雪を抱くヒマラヤの姿。やっぱり神様はすごいよね。こんな世界を造り出してしまうのだから・・・。
ヤムドゥク湖畔を巡る旅はしばし続く。ランクルが地面を蹴る音だけが流れる時間の中で、 ヤクや羊の群れが現れた。ただ草を食べているだけなのに彼らは何故こんなに絵になるのだろう。 私はヤムドゥク湖の美しさしか知らない。その一瞬に触れ、わずかな一面を垣間見た程度だ。いや、それにも 満たないであろう。でも彼らはここで生きている。ヤムドゥク湖が見せる厳しさも、優しさも、それと共に彼らは 生きている。のどかさの中にも生命力を醸し出しているのは、そんなたくましさからきているのだろう。
★注意:風邪をひくと高山病になりやすい為、ヤムドゥク湖で水に入るのはやめた方がいいでしょう。
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眼前に聳え立つチョモランマ(エベレスト)の世界一の雄姿。ランドクルーザーでひたすら突き進んでも その姿はなかなか近づいてはくれない。いや、実際にはかなり近づいているのだ。誰もが知っているチョモランマ、しかし誰もがその姿を見ることができるわけではないチョモランマ。そんな憧れの山がすぐ目の前にある。
標高5200M、ついにベースキャンプに辿り着いた。雲一つかかる事もなく、その稜線から山頂まで惜しげも無くその姿を見せてくれている。同行したメンバーも皆大はしゃぎである。 「こんなにハッキリ見えるなんて、潤さんは何てラッキーなんだ!」私もそう思った。その姿は本当に見事だった。 しかし一方で自分が立っている場所と、その頂上までの果てしない距離を感じずにはいられなかった。 標高だけでも3600M以上の隔たりがあるのだ。
私は学生時代、山に登っていた。だからと言ってチョモランマのピークを目指すなんて大それた事を言うつもりも無いし、そんな勇気もない。現在の私にとってそれがいかに 非現実的かも十分に理解している。山に登っていたからこそ余計にわかる事だ。しかし、私には実際にヒマラヤに登ってる友人がいる。その友人が属している山岳団体のメンバーがこの瞬間にも、チョモランマの隣りに位置するチョーオユー峰に入っていると聞いていた。「今回は仕事だし、日程が限られてるから仕方ないよね。」全く自分の足を使わずにベースキャンプに辿り着いてしまった事に少し言い訳してみたりもした。でも今回はこれでいい。その世界一の姿をこの目に焼き付ける事ができた。次はもう少し先へ進む事ができれば・・・。
チベットの人々はよく石を積む。そして祈りを捧げる。ベースキャンプ地点に小高い瓦礫の丘があった。皆でそこに登った。メンバー達がおもむろに石を運び始めた。「ほら潤さんもやりなよ!」石を積み、家族の幸せを祈ると言う。「自分の家族の数だけ石を積むんだよ!これは妻の分、これは娘の分」ニコニコと石を積みながら謝波さんがそう教えてくれた。私もとびきり大きい石を選び出し必死に頂上まで運んだ。この標高になると力仕事は結構辛いもんだ。もう息は切れ切れだ。欲張って大きい石を選びすぎたかな?そうこうしている間に5つの新しい石の山(?)が積み上がっていた。こんなにあからさまな、素顔のチョモランマに 見つめられたら誰だって神聖な気持ちになるだろう。ましてやそれが自分の欲望の為の祈りでなく、家族の為の祈りだと教えられたら尚更だ。私はただ素直なまっさらな気持ちで手を合わせた。天空に限りなく近いこの場所からなら、どんな祈りも叶えてもらえそうな気がした。それにこの場所ならいつでもチョモランマが見守ってくれている。何年後かにこの場所を訪れたとしても、積み上げた石達はそのままの姿を留めているような気がした。いや、形は留めていなくてもその祈りは天空と大地のエネルギーにより、さらに強さを増すだろう。そしてその思いは、いつまでも残っていくのだろう。私にはそんな気がしてならなかった。
チベットの自然は人を神聖な気持ちにしてくれる。謙虚さを思い出させてくれる。もちろん元気にもしてくれる。 そんな旅だった。次はカイラス山を目指したい。そして、さらなるエネルギーに触れてみたい。
青沼 潤
2001年10月

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