ファイブスタークラブは辺境に強い会社。とりわけアフリカは得意分野。そう謳っているのに西アフリカをまだ制覇していないのは問題であろう。今はちょっと行きにくいマリは運よくかつて行った。コンゴ2か国とセネガルもかろうじて行ったことがあった。でもそれ以外は、他のスタッフが行ったことはあるものの私自身は恥ずかしながら未開拓であった。
個人的な好みとしてはアフリカと言えばサファリ。ケニア、タンザニアをはじめとして、南アフリカやザンビア、ボツワナでの充実したサファリにどっぷりはまり、あちこちのサバンナを駆け巡った。毎年行かないと気が済まないほど野生動物に魅せられサファリ好きになってしまったのだ。サファリをしつつも近年ではウガンダ、ルワンダのマウンテンゴリラトレッキングでゴリラに出会って、その凛々しさやカッコよさにもうメロメロ。
「ゴリラを見ずしてアフリカは語れない」・・・というのが私の口癖になっていた。
西アフリカの国々はそれに比べてちょっと地味で見どころに欠けるというのが私の持つ印象であった。動物もいないしなあ。だから進んで行く気にはなれなかったのだ。でもそんなことばかり言っていてはいけない。旅のプロとしてはあらゆる国々を知らなければ。
2019年は西アフリカイヤー。そう意気込んで出かけたのがゴールデンウィークにシエラレオネ、ギニア、ガーナの3か国、そして9月下旬からコートジボワール、トーゴ、ナイジェリアの3国。計6か国であった。旅は前評判の悪いシエラレオネから始まった。
第1弾 シエラレオネ編 2019年4月
鉄道博物館にて(フリータウン)
カクマガ・チンパンジー保護区
行く前の印象は最悪だったシエラレオネ
「アフリカの最貧国」とか「平均寿命が最も短い国」などという不名誉なコピーが付けられた国シエラレオネ。西アフリカのどのあたりに位置していて、どこの隣にあるのかすら行く前にははっきり認識していなかった。そういえば首都はフリータウンだったと思い出しはしたが、何があるかまでは知らない。見どころは?と聞かれても何一つ浮かばない。数年前にエボラ出血熱が流行った国の一つだったっけ?これまた最悪の情報だ。
貧困の原因のひとつが1991年から10年間にも及んだ内戦であった。内戦のきっかけは、この国で採掘されるダイヤモンドにあるとか。紛争ダイヤモンドと呼ばれ紛争の資金源であったダイヤモンド。レオナルド・ディカプリオ主演の映画「ブラックダイヤモンド」はそんな世界を描いた、シエラレオネが舞台の映画だ。どこまでもダークなイメージが付きまとう。果たしてこの国は見る価値があるのだろうか?見どころはあるのか?いかんせん情報がない。
奴隷制が終わった19世紀頭に、開放された黒人たちの移住地としてイギリスの植民地となった。1991年にイギリスから独立。よって英語は通じる。国民の6割がモスリムで残りがキリスト教である。大西洋に面し、ギニアとリベリアに囲まれたコロンとした形の国。北西部の海辺の町フリータウンと、隣のギニアの首都コナクリまでは陸路で約6時間と近い。情報はそのくらいしかなかった。不安を抱えたまま一路フライトでフリータウンへ向かった。
ザ・アフリカを体験できる世界で一番不便な空港とは?
ボートにて空港から町へ
ボートが出発する桟橋
フリータウンの空港に無事着陸。入国手続きは西アフリカらしく細かいが、コンゴのようにわいろを平然と要求されたりはなく入国カードもないので楽な方だった。まずはイエローカードをちゃんとチェックされる。日本であらかじめ取得したe-ビザの紙とパスポートを提示。入国カードを書かない代わりに滞在先や目的、職業などをいろいろ訊かれた。アメリカのように指紋と写真も撮られる。荷物も無事受け取って両替をする。通貨はレオン。100ドル両替してみると86万レオンの札束が来て一気に金持ち気分。ここまでは何ら問題がなかったのに。
最貧国とか最も平均寿命が短い・・・だけではなく、”最”の文字がもう一つ残っていたとは。「世界で最も不便な空港」それがフリータウンだったのだ。私は旅行前にその国のことを調べないことがある。それは辺境の地西アフリカだから情報がないこともあるが、行ってみてのお楽しみがなくなるのは嫌だからという理由だ。空港事情も知らなかった。フリータウンの町は空港から海を隔てている遠い場所に位置していたのだ。空港が町から離れ海を隔てていたということだが。よって空港に着いたらいきなり船旅が待っているわけだ。
船に乗ればいいんだろう。そう甘く見ていたらとんでもないことになった。ここは「ザ・アフリカ」を絵にかいたような国シエラレオネである。人々でごった返す空港ターミナルから、人をかき分けるようにして外へ出ようともがいていると、身ぎれいな女の人が声をかけてきた。
「ボートチケットは買いましたか?」「40$払って彼からチケットを買ってください」
当たり前のように指示されたので、彼女が空港での現地旅行社のアシスタントかと思って指示に従った。チケットもゲットしてホッと一息、無事外へ出る。するといきなり警察官が近付いてきて叫ぶ。「その帽子は脱ぎなさい。おまえはコンバットか!」私はたまたまサファリで被る迷彩柄の帽子をかぶっていたのだ。内戦時代の名残で迷彩柄はNGのようだ。見るからに善良そうな日本人の私がコンバットとは。まことに難しい国のようである。。。
しばらくすると「ようこそ」と日本語で書かれたサインボードを手にして手招きする男がいた。彼がガイドのようだ。混沌とした状況の中で見つけた日本語にやはり安堵感は否めない。はい、ボートのチケットです。彼は私に手渡した。なんと旅行社が事前に購入済みだったのだ。先ほどの女性は世話をしてチップをもらおうと近付いてきただけなのだった。ガイドさんが先ほど間違えて購入してしまったチケットを払い戻しに行ってくれて助かった。なかなか訳の分かりにくい事情でシエラレオネの幕は開いたのであった。
その男は船に乗って対岸に着いたらピーターが待ってますからね、と言うなり、質問を投げかける間もなく消えてしまった。
どこからボートに乗ればいいの?いつ出るの?さっぱりわからないが、港へ行くミニバスに乗ればいいとのことだったので、スーツケースを預けてバスに乗り込む。最初は空席の目立つバスも、次々と人が乗り込んできてぎっしり状態になったところでやっと出発。隣の人が荷物を押し付けてくるは、後ろの人の荷物が私の頭にぶつかるは、なかなかのアフリカンムード。港の待合所風の場所には卓球台も置かれ、ちょっとした屋外カフェのようだ。
ボートはどれに乗ればいいんですか?係員らしき人に聞いても、呼ばれるまでその辺で待ってればいいよ、というのみ。実際は誰にも呼ばれなかったが、20分後に皆がぞろぞろ船に乗り込んでいくので、その波に乗って私も乗り込むことができた。空港についてから船に乗り込むまでの怒涛のひと時を思い、私は心からほくそ笑んでいた。久しぶりにディープなアフリカに来た!!!
命はお金で買う、選ばれし「シーコーチ」で対岸へ渡る
急にサービスのいい船
フリータウンの町並み
その名も「SEA COACH EXPRESS 」そろいのオレンジ色のTシャツを着たスタッフがロープを引っ張り港に船を付けると、声をそろえて「ウェルカム トゥー シーコーチ」と歓迎してくれる。船内のスタッフも「ハーイ、お元気ですか?楽しんでくださいね」と愛想よくてまるで欧米のようなサービスの良さ。各座席にしっかりしたライフジャケットも取り付けてある。大型スクリーンではCNNや面白い漫談コンテストなんかをやっている。この船代の片道約30分で40ドルはこの国の水準からすると、一般国民はあまり乗れない値段だそうだ。サービスが良いはずだ。実は空港からフリータウンの町へは陸続きで、グルーッと回って車で走ると5時間くらいかかるそうだ。シーコーチ以外で地元民が利用する1ドル以下のおんぼろ小舟(時々沈む)や時々エンストする4ドルくらいのモーターボート、そして時々墜落する安いヘリもあるらしい。命はお金で買う、これもザ・アフリカの世界か。
座ると景色が見えない窓が高くて変な設計で、多少揺れて気持ち悪いのだったが、30分余りの船旅を無事終えて対岸のフリータウンの港アバディーンに到着したのであった。そしてピーターなるガイドは、、、果たしてそこにはいなかった。
シエラレオネの見どころチンパンジー保護区へ
ホームスィーツブティックホテルのスタッフ
ホームスィーツブティックホテルと
ホームスィーツブティックホテルのレストランにて
フリータウンの4つ星ホテル(おそらく町一番のホテル)はその名もホームスイーツホテル。ホームスイートホームみたいにくつろげるホテルというのがコンセプトか。カード決済のために5台のカードの機械を並べて順番にトライするもなぜかどれひとつうまくいかなかったり、部屋ではドライヤーが壊れていたり、赤いプラスチックの不思議な電話が置いてあったり、謎めいたアフリカンホテルではあった。でもレストランのレンティルスープが熱々で予想外に美味しくてサービスも丁寧で嬉しくなった。とりあえずホテルにこだわるお客様でもこのホテルなら問題ないだろう。西アフリカに来られるお客様だし。
昨日来れなかったピーターさんは今朝はちゃんと来てくれた。約束の20分遅れでアフリカンタイムでのんびりやってきて、昨日は出迎え行けずにごめんなさいと何度も謝ってくれた。昨日110歳のおじいさんが亡くなったのだそうだ。平均寿命が50歳のシエラレオネにも110歳まで生きた方がおられたことに、むしろびっくりした。
今日はこの国に来たら見逃せないと言われるチンパンジーの保護区見学に向かう。町から車で45分くらい走ったジャングルの中にある「タクガマ・チンパンジー保護区」である。
広大な保護区の中には100頭を越えるチンパンジーが暮らしている。より自然に近い形だというが、餌も与え病気になったら治療もしてあげるのだという。1頭を保護するためには年間で経費が1000ドルもかかるのだとか。米や野菜にフルーツなどレンジャーは自分達が食べる食事と同じものをチンパンジーにも与えている。とても大切にされているのだ。フェンス越しとはいえかなり近い距離で彼らを観察できるのは楽しいものである。森で雄たけびを上げるチンパンジー。キーキー叫びながら興奮状態で喧嘩中の子供たちもいる。何やらお話ししているようにウォッウォッと鳴くのもいる。ジャングルジムのような子供たちの遊び場もあった。
いたずらチンパンジーにご注意!
カクマガ・チンパンジー保護区
いたずらチンパンジー!
大切に保護されているチンパンジー
カクマガ・チンパンジー保護区にて
いたずらを考え中!?
カクマガ・チンパンジー保護区にて レンジャーさんの説明
上からチンパンジーを見下ろしながら写真を撮っていたときだ。ふいに1匹のチンパンジーが土をこね始めた。何をしてるんだろうと見ていると、2つほど作ったら、それを我々見学客目がけて投げつけてきたのだ。自分たちを観察したり写真を撮りまくったりしている人間がストレスになっているのか?すごく頭がいいんだと感心もしたが、当たると痛そうなので物陰に隠れることにした。困ったものだ。人間でもストレスがたまると攻撃的になる人もいるように、チンパンジーも同じなんだと思った。
たまたま保護区に遊びに来ていた日本人のご夫婦に出会った。こんなところに日本人が!?聞くとシエラレオネで政府関係のお仕事をされているとか。この保護区にはロッジもあって泊まれると教えてくださった。ヨガレッスンもやっていて、前に来てみたけれど、チンパンジーの声を聴きながらのヨガもおつなものだったそう。のんびり来られたらチンパンジーにストレスを与えることもしないのかもしれない。
ちなみにご夫妻が言うには、シエラレオネはアフリカでモーリシャスとセイシェルに次いで3番目に治安がいい国だそうだ。意外な話であったが、初めてシエラレオネに関していい話が聞けてなんだか嬉しかった。
そのあと市内観光をしたが、たしかに他のアフリカの国よりは静かな感じはする。イギリス植民地時代の蒸気機関車などを展示した鉄道博物館。樹齢500年のフリータウンのシンボルと言われる巨大なコットンツゥリー、そして混沌とした楽しいマーケットなどがおもな見どころであった。市内観光は半日あれば十分かもしれない。
実際のところこの国は、空港からの不便なアクセスがかなりディープなアフリカを感じさせてくれたのでインパクトは大であった。なんだかんだ言っても私はかなり気に入ったし、今となっては忘れられない国の一つに数えられる。
そしてあのいたずらチンパンジーも愛嬌いっぱいだったし。
鉄道博物館
コットンツリー
鉄道博物館
コットンツリー
シエラレオネの子供たち
(写真・文 井原三津子)