アメリカやヨーロッパにも負けない中央アジア〜タジキスタン・キルギス・カザフスタンの大自然、おまけでタシケント〜

アメリカやヨーロッパにも負けない中央アジア〜タジキスタン・キルギス・カザフスタンの大自然、おまけでタシケント〜

これまで訪れた国が100カ国を超えてくると、あらゆる国をカテゴライズしてしまう癖がついてしまう。「ここはA国を田舎にしたような国だな」とか「この国はB国にC国のエッセンスを加えたような国だ」とか。それ自体は悪いことではないのだが、要するに「〇〇に似ている」という視点で物事をみるようになってしまうので、あまり新鮮味がない捉え方というか、大きな驚きが少なくなってくる。しかし今回訪れた、中央アジアの三ヶ国は良い意味で私の予想を裏切ってくれた。いやそもそも想像させてくれるような事前情報が日本にはあまりなかったのがかえってよかったのかもしれない。
タジキスタンのホジェンドではウズベキスタンと比べて、まだまだ観光客が少ない素朴な雰囲気が残り、ドームの美しいシェイフ・ムスリヒディン・モスクが印象的だった。
キルギスでは透き通ったイシククル湖と哀愁を誘う石人、そして迫りくる天山山脈の風景に驚いた。
カザフスタンではまるでグランドキャニオンを彷彿とさせるチャリンキャニオンとシンブラクで見た4000m超のアラタウの姿が忘れられない。
そして改めて様々な民族が共存し互いをリスペクトしている姿、素晴らしい郷土料理の数々に感動し、現地の方々の優しさと愛嬌に癒された。

キルギスとカザフスタンに同行してくれたガイドさんにどこの国から来る観光客が多いですか?と聞くとフランス人やドイツ人のヨーロピアンだという。自分の国や隣国に素晴らしい自然があるのにもかかわらず、時間をかけてやってくるのだからスイスやオーストリアなどヨーロッパの大自然に負けない魅力があることは間違いない。
今回の旅で私は、その魅力に気づいてやっとその入り口に立ったような気分だ。まだまだ掘り甲斐のある国々だ、本当に。

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1日目 タシケント到着 / タシケント泊
2日目 陸路でホジェンド移動、観光 / ホジェンド泊
3日目 ホジェンド観光後、タシケントへ戻る / タシケント泊
4日目 タシケントで写真撮影後、飛行機でビシュケクへ / ビシュケク泊
5日目 ビシュケク観光後、イシククル湖へ / イシククル湖泊
6日目 イシククル湖観光後、カラコルへ / カラコル泊
7日目 国境を超え、チャリンキャニオンを観光後アルマトイへ / アルマトイ泊
8日目 アルマトイ観光後、帰途へ

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▪️9月20日  アシアナ航空でタシケントへ

13:20のOZ101から仁川乗り継ぎでOZ573のタシケント行き。
成田空港のチェックインの際、周りをキョロキョロしていると「荷物はタシケントまでですね」という声があちらこちらから聞こえてきた。また機内ではソウルで入国する人に向けて韓国の入国カードを配っていたのだが私の目の前に座っている10数人いる中でソウルにて入国する人はたった1組。2年前、ウズベキスタンを訪れた際も多少「ウズベキスタンが熱い」という認識ではあったが数年前には考えられなかったほどお客が倍増していることを肌で感じた。
タシケント到着後、出迎えてくれたガイドさんと世間話の中で「どうしてウズベキスタンはこんなに流行ったんですかね?」と聞いたところ「ビザがなくなったからじゃないですか〜、あと映画の影響かなぁ」。映画?「黒沢清監督で前田敦子主演の。実は私は前田敦子に日本とウズベキスタンで2回会ったことがあるんですよ」私はどちらででも会ったことないんですけど。

この日の宿である「ASIA TASHKENT」に到着。

<<ASIA TASHKENT>>
ASIA TASHKENTは空港から車で15分程度にあるスタンダードクラスのホテル。部屋は広め、ドライヤー、冷蔵庫、セーフティーボックス、スリッパ、バスタブ、エアコンあり。無料のWIFIは室内でも利用可能。ホテル内にはレストランやバー(ビールは1瓶14000スム)、サウナなどあり。周囲にはレストランや商店はかなり少なめ。立地も中心地へは離れているのでフリーで観光する方はホテルフロントでタクシーを呼ぶのが良さそうだ。

部屋にチェックインして明日の待ち合わせ時間を確認して部屋に荷物をおいて再びロビーへ。
すでに夜10時をまわっているがこれからウズベキスタンの旅行会社の方と食事兼ミーティングする予定なのだ。ロビーで待っていると続々とやって来る日本人の観光客。私がチェックインして10数分で見た日本人の旅行客は合計3組だった。

ウズベキスタンの旅行社の方と食べに行ったのはSOYというタシケントで人気のカジュアルなレストラン。ここで久しぶりにラグマンを食べる。うまい。東京でもラグマン食べたい。

食事の後、ホテルへ送ってもらいホテルのバーでビールを飲んでいたら、この日早朝から活動していたためかうたた寝してしまい、ホテルのスタッフに起こされる。部屋に戻り就寝。

▪️9月21日  タシケントからタジキスタンのホジェンドへ
この日は朝8時にホテルロビーでガイドさんと待ち合わせ。車に乗り込みこの日の目的地であるタジキスタンとの国境まで車で送ってもらう。車で綿花畑の続く道を走ること約1時間半で到着。
到着したのはオイベックゲート。

<<ウズベキスタンからタジキスタンへの国境の越え方>>
ウズベキスタン側の国境に到着。車を降りるとたくさんの人が。ガイドさんによるとこの人達はタクシーの運転手だったり、闇両替の人だったりするそうだ。ここでガイドさんと一旦お別れ。
ウズベキスタンからタジキスタンへの国境の越え方

1、パスポートチェックを受けてウズベキスタン側の荷物検査と出国審査を受ける。
私の場合、なぜか係員が中に入れてくれず現地の人々とともに入り口で15分くらい待たされる。
また荷物検査は特に荷物を開けられることがなく、出国カードも書く必要がなかった。

2、100メートルほどの緩衝地帯を歩く。

3、タジキスタン側の建物に入場。入国審査を受ける。事前に取得したEVISAをここで提示する。タジキスタンでは特に荷物チェックもなく、ウズベキスタンと同様に入国カードがない。

4、タジキスタン側の建物を出て、タジキスタンのガイドさんと合流する。
タジキスタンの建物の外にはたくさんのタクシーの客引きがいる。

全てをこなしてタジキスタンの建物を出れたのは、ウズベキスタンの建物に入場してから約1時間かかった。オイベックの国境からホジェンドの街まで約65キロ、車で45分の距離。まずはこの日のホテルに向かってもらう。

<<Khujand Deluxe Hotel>>
市内中心部にある4つ星ホテル。こじんまりしたホテルでエレベーターはかなり狭い。室内はかなり綺麗で広め。バスタブ、冷蔵庫、エアコン、ドライヤーあり。周りにはカフェやレストランなどは少なめ。スタッフはフレンドリーで良い感じ。

ホテルでしばらく休憩して、ホジェンドの観光へ。

<<ホジェンド>>
ホジェンドはウズベキスタンとキルギスに国境に近いソグド州の州都であり、タジキスタン第二の都市。歴史は古く、幾多の支配者によって様々な国へ編入されてきた歴史をもつ。
初めてその名を刻まれたのは紀元前6世紀頃。キュロス大王がアケメネス朝ペルシアの北東の境界線として建設した都市である。その後、紀元前329年、アレキサンダー大王率いるマケドニア軍が侵攻し、ギリシア人の入植地としてアレクサンドリア・エスハテ(最果てのアレクサンドリア)と呼ばれ、シルクロードの重要な拠点となった。8世紀にはウマイヤド朝とその後のアッバース朝に組み込まれ、サマノイド帝国の一部へ。ホジェンドと呼ばれるようになるのはこの頃から。13世紀にはモンゴル軍に制圧されモンゴル帝国の流れを組むティムール朝に組み込まれる。その後ブハラのシェイバニー王朝の時代を経て1866年、中央アジアの大部分がロシア帝国に占領されたため、この都市はロシア帝国の支配下にあるトルキスタンの総督府の一部となった。その後、1991年までソビエト連邦の一部としてレニナバードとよばれたがソ連解体、タジキスタン共和国独立に伴いホジェンドに改称し現在に至る。
現在はタシケントへの中継都市として農作物・服飾産業が盛んだそうだ。

<<ソグド歴史博物館>>
歴史深いホジェンドの街を出土品や書物、写真などの資料を参考に紐解いていくためには非常に重要な施設。入口にはモンゴリ帝国に抵抗した英雄、ティムール・マリックの銅像が鎮座している。中でも地下のアレクサンドリア大王の生涯をモザイク画で表現した地下のギャラリーが圧巻。博物館は入場料の他に撮影料が必要(1ドル)。
なおソグド歴史博物館の裏にはアレクサンドリア・エスハテ時代の城塞跡がある。

その後、タジキスタンの伝統料理を出すザイトゥーンというレストランで昼食を食べる。
レストランのスタッフが良い感じ。

暑くなってきたので(日中は33度)、ホテルで休憩。

<<メモリアル・ヴォフ>>
アフガニスタン戦争に参加したタジキスタンの人々を追悼するモニュメント、慰霊碑。

<<レーニン像>>
アルミニウム製の22mの巨大なレーニン像。ソビエト時代はサンクトペテルブルグ同様、レーニンにちなんで「レニナバード」という名前だった通り、レーニンによって隆盛を迎えた歴史を持つ。

<<イスマエル・サマーニ像>>
ホジェンドの街の中心に立つ巨大な像。イスマイル・サーマーニーは9世紀から10世紀に中央アジアを支配したサーマーン朝の王で、サーマーン朝は中央アジアを支配した最後のイラン系の王朝。その時の首都はブハラ。そのため、この像の付近にはブハラのイスマエル・サマーニ廟を描いたモザイクもある。
英語を勉強中だというラオシャンという大学生に声をかけられて、よくわからないが握手して別れた。

<<カモリ・ホジェンド公園>>
ソグド歴史博物館の隣にある大きな公園。ホジェンド出身のカモリ・ホジェンドという詩人を讃えた像と霊廟がある。しかし霊廟には遺体はなく、実際にはイランのタブリーズにある。大きな公園なのでホジェンドの人々のデートスポット、家族の憩いの場になっている。

<<マリヤ・マグダレナ教会>>
カモリ・ホジェンド公園のそばにあるロシア正教の教会。ロシア正教の信者は1%程度ではあるが教会はいくつか存在している。

<<タジキスタンのプロフ>>
夕食は美味しいプロフを出すローカルなレストランに連れて行ってもらった。
ウズベキスタンでもそうだったが地元の客で賑わうプロフ屋さんは表通りにはなく、外観から何もわからなのでガイドさんに連れてってもらうのがいい。
そのプロフ屋さんにはすでにドライバーさんの親戚の方々(男性のみ)がいらっしゃって、日本からの観光客をテーブルに招いて歓迎してくれた。タジキスタンではこうやって親戚一同が集まって週一回ほど頻繁にワイワイ雑談しながら食事をすることが一般的だそうだ。日本だとこういった場面には必ずと言っていいほどビールなどのお酒がテーブルにあるはずなのだが、タジキスタンの人々はある意味健全なのか、お酒は飲まない。お酒が飲めない国ではないのだが、こういった子供も入れるようなレストランも公共の場のように見なし、お酒は飲まない。代わりに飲むのはお茶。何と健康的なのだろう!と思うのだが、割と脂っこい食事が多いので中国茶が食事と相性がよく、合理的なのである。
プロフが出来上がるまでトマトとキュウリのサラダをつまんで待つ。ウズベキスタンでもそうだが、トマトとキュウリのサラダはなぜか大人気である。
15分くらい雑談しているとようやくプロフ登場!わー、と歓声が上がる(?)。
ホジェンドのプロフはウズベキスタンのそれとそこまで大きく変わらない。具はマトンと人参。お米から炊いているので少し芯が残っている(まさにお米のアルデンテ状態)なので食べ応えがあって美味しい。
タジキスタンのプロフとウズベキスタンのプロフはどこが違うの?と聞くと「ウズベキスタンのは食べたことがないから分からないけど、ここの店のプロフは賞をとったことがあるほどのプロフだからウズベキスタンのプロフよりも美味しいことは間違いないよ」とこと。確かに美味しくてウズベキスタンのプロフってどんなんだっけと確かにウズベキスタンのプロフと比べて美味しいかどうかなんて、どうでもよくなる美味しさだった。

▪️9月22日  ホジェンド観光後、タシケントへ
ホテルを朝9時30分に出発し、観光に向かう。

<<アーボブ文化宮殿>>
1950年代に建設された、ソビエト連邦の集団農場の本部として立てられた宮殿。モデルはサンクトペテルブルグのペテルゴフ。美しい彫刻が施された噴水と調和の取れたデザイン、ソ連時代の職人技が光る豪華絢爛な内装は一軒の価値あり。
館内の一部はソ連時代の歴史や集団農場(コルホーズ)の解説、そして集団農場の設立に尽力したウルホジャエフについての展示が充実している。

<<シェイフ・ムスリヒディン・モスクとパンシャンペ・バザール>>
ホジェンドにおいて最も活気を感じるエリアがこのシェイフ・ムスリヒディン・モスクとパンシャンペ・バザール。モスクとバザールは大きな広場を挟んで真向かいに建てられている。モスクで穏やかに行き交う人々を眺めて心おだやかに過ごすのもいいし、バザールでタジキスタンの人々の日常を垣間見るのも楽しい。日がな一日過ごすにはうってつけの場所だ。
シェイフ・ムスリヒディン・モスクは青のドームが印象的なモスクだ。ホジェンドで最もフォトジェニックなスポットといっても過言ではないだろう。青のドームの上には鳩がたくさんおり、正に平和的でホジェンド市民の憩いの場になっている。
向かいのパンシャンペ・バザールにはホジェンドの野菜・乾物・肉・野菜・服飾・パン・スパイス・スイーツ・スナックなどありとあらゆるものが購入できるマーケット。もともとパンシャンペとは木曜日を指す意味で、週に一度木曜日のみ開かれる青空市場が語源である。現在は毎日マーケットが開かれており、ホジェンド一の賑わいを見せている。

昼食はソグド歴史博物館のそば、テラスのあるレストラン「カフェ・フラフシャン」で。

<<タジキスタンからウズベキスタンへ>>
昼食の後、ウズベキスタンとの国境を目指して車を飛ばす。国境に到着したのは午後2時10分。
来た時と同様にタジキスタンの入管施設で出国スタンプを押してもらう。なおタジキスタン入国時にチェックされ、スタンプを押されたEVISAはここで没収される。往路と同様にここでも特に荷物検査はない。しばらく歩いてウズベキスタン側の入管施設に入る。
ウズベキスタン入管施設でも同様にスタンプを押されて、そのままウズベキスタンに入国。
しばらく歩いていても待っているガイドが姿を現さない。
きっとまだ来ていないのだろうと思い、事前に聞いていたガイドの連絡に電話をかけてみる。
あと20分で着きます!とのことだったので、闇両替商を冷やかしたり、お茶屋さんでお茶をして待つ(1000スム)。

しばらくするとガイドさんから連絡があり、無事合流。ガイドに対してはかなり強めに改善を求めた。私が電話を持っていたからよかったものの、持っていなかったら普通にタクシーを使ってホテルにいっちゃうよ?どうするの、トラブルになるよ、と。
一通り自分の思いをガイドに話した上でタシケントのホテルへ移動。

午後4時半くらいにタシケントのホテルに到着。
この日はこの後予定がなかったので、ホテルに併設されたサウナに行こうと思い、サウナに受付に行くとあいにくサウナは改装中だった。フロントでこの辺でサウナ入れるところないのって聞くと「ルータススパがあるよ」ということだったのでホテルでタクシーを呼んでもらい、そこまで行くことに。ホテルに料金を聞いたところ2ドルだったので2万スムを払った。
ルータススパに到着し、サウナに入りたいんだけどというとサウナはないよ、と言われる。
ここでは主に女性向けの美容に関連したスパ施設でペディキュアやマッサージはあるがサウナはなかった。マッサージを受けても良かったがかなり富裕層向けの施設だったので日本同等で結構高い。ホテルのフロントのスタッフを一瞬恨んだが、気を取り直して以前泊まったことのあるウズベキスタンホテルに歩こうと考えた。徒歩15分くらい。
大使館などのある高級住宅街を抜けて、ウズベキスタンホテルへ。
ウズベキスタンホテルでサウナがあるか聞いたが、あいにくウズベキスタンホテルでもサウナは改装中だった。ガイドさんが言っていたがウズベキスタンではサウナは主に冬に入るものであまりこの時期入る人がいないらしい。
ウズベキスタンホテルを抜けてティムール広場からブロードウェイを抜ける。タシケントで最も楽しい散歩道だ。

ウズベキスタンホテルにて現地のオペレーターをしている取引先と合流。
この日はCHIGATOYエリアのシャシリク屋さんで夕食。シャシリクとともに、初めて焼きラグマンを食べる。焼きそばとナポリタンを合わせたような味わいで美味しい。

▪️9月23日 打ち合わせとティムール広場をウロウロしてビシュケクへ
午前中はウズベキスタンの現地旅行社と打ち合わせ。その後、時間が少し余ったのでティムール広場とブロードウェイをガイドさんとウロウロ歩いた。当てもなくウロウロしていたわけでなく、ウズベキスタンの人々はフレンドリーなので比較的写真を一緒にとってもいいかと聞くと
撮らせてくれることが多い。前回も「写真撮らせて」とお願いして、地元の人々の写真を撮らせてもらったので今回も同じようにお願いした。

写真をたくさんとったので地下鉄の写真を撮るのを忘れてしまった。

1時間ほど歩いたらちょうどお昼時だ。お腹も空いて来たので、ガイドさんにお願いしてプロフのお店に連れて行ってもらった。本当はプロフのお店に行く予定は無かったのだが、グループツアーで行くようなお店はあまり美味しくないことが多いので、どちらかというと多少汚くてうるさくとも地元の人に人気のお店の方が好きだ。

<<タシケントのプロフを食す!>>
この日連れて行ってもらったのは「OSH MARKAZI」。日本語に訳するとプロフセンター。その名の通りタシケントプロフの中心的なお店である。プロフは住宅街で隠れた場所にあるのが常だが、このプロフセンターはタシケント中心部の大通りに面しているのでそこまで見つけるのは苦ではない。地下鉄を使ってもいいし、タクシーで向かっても時間もお金もさほどかからないだろう。手軽に地元の人々に人気のプロフを味わうにはこれ以上ないプロフ屋さんである。プロフの味は定評があり、私たちが食事している合間にもたくさんのお客さんがやって、プロフが飛ぶように売れて行く。
タシケントのプロフの具は牛肉、人参、ひよこ豆などで、ご飯とミックスされている。タシケントのプロフはホジェンドで食べたものと作り方はほぼ同じようだ。このお店の一番良いところは、何と言っても一人前の量で出てくることだ。他のお店だとそうはいかない。少なくとも一皿に3〜4人前ほどのプロフが盛られてくるのでどうして食べ過ぎてしまう。店内も清潔で開放的なので女性一人でも入りやすそうだ。英語が得意でないスタッフも多いのだが、そこはジェスチャーでなんとか乗り切ろう(笑)。
タシケントに訪れたなら是非地元の人々が愛するプロフの味を楽しんで欲しい。

昼食後、ビシュケク行きのフライトに乗るために、タシケント空港へ向かう。タシケント空港は近い。市内中心部から車で20分くらい。ウズベキスタンの出国も楽。なんも書くものがない。
無事ビシュケク行きのフライトにチェックイン。約1時間のフライト。

<<ビシュケク空港到着>>
ビシュケク空港に降り立つと、外気の冷たさに気づく。この日はタシケントも少し寒かったが、ビシュケクもさらに寒い。入国審査を受ける。特に難しいことは聞かれなかったがなぜか飛行機の半券を見せて、と言われた。その後荷物を受け取ってゲートの外へ。ウズベキスタンやタジキスタンと同様に税関申告書や入国カードなど何も書くものはなかった。非常に楽チンである。

ゲートを出ると私の名前の書いたボードを持ってガイドさんが待っていてくれた。
ガイドさんはまるで大学生くらいの女の子くらいに見えるヌリアさん。大学生だと思っていたがキルギスの4年生大学を卒業した後に日本に1年間語学留学した経歴がある、れっきとしたガイドさんである。
ヌリアさんに両替したほうがいいかなぁ?と聞くと、キルギスは基本的にドルなどの外貨は使えないから両替した方がいいですよとのこと。空港の両替所はどこも同じレートで1ドル68スムだった。50ドル両替した。両替商のモンゴル系の顔立ちのおじさんは丁寧に私が渡した10ドル札5枚を台の上に5枚並べ、スマホの電卓機能で丁寧に計算してくれて、誰が見て間違いないような丁寧さで現金を手渡してくれた。日本人か?と聞かれたのでそうだ、と答えるとグッドラックと言われた。

その後、携帯屋さんがあったので「ヌリアさん、携帯のシム買っていいかなぁ?」と聞く。ウズベキスタンではガイドさんがウズベキスタンのSIMカードを貸していてくれたが、ウズベキスタンのSIMは周辺国では使えない。タジキスタンではタジキスタンのSIM、キルギスではキルギスのSIMを購入しなければならないので少し面倒くさい。10日間無制限で300スムのプランを紹介された。実はキルギスは3日間しかいないのでもう少し短いのがないのか聞いてみた。そうすると10ギガで100スム(150円くらい)のプランがあるそうなのでそれでお願いした。携帯屋さんのスタッフの韓国系の顔立ちのお兄さんがセッティングから何まで全て手早く行ってくれたお陰で購入から5分立たずにネットに接続できた。ありがとう、とても親切だ。
両替商のおじさんといい携帯屋さんのお兄さんといい、なんだか良い人が多いぞキルギス。これは幸先が良い。

空港からビシュケク市街地へ向かう。空港からは45分。
キルギスの首都であるビシュケクへの道は、首都というイメージからは程遠い田舎道だった。幹線道路はきれいい舗装されており立派だったが、サムスンやニッサンなど国際コングロマリット企業はもちろん地元のビール企業や金融系の広告も何もない。薄ら寂しい幹線道路は中央アジアのキルギスの経済的な立ち位置を表しているように感じられた。

<<かわいい内装のおすすめレストランNAVATでガイドさんの身の上話を聞いた>>
この日の夕食はガイドのヌリアさんが観光客に最も評判の良いレストランということで紹介してくれた「NAVAT」。入ってみてびっくり。薄ら寂しいビシュケクのイメージを一蹴してしまうほどのハイセンスな店内!カラフルなフェルトを使った店内は絶対女性ウケ抜群だと思う。男性の私でもちょっとこれはワクワクする。メニューのレイアウトも面白い。すごくコンセプチュアルでしっかりした店づくりができているので、ちょっとキルギスのことをバカにしていたが東京でもなかなかこのセンスに立ち向かえるお店はそこまで多くないだろう。
私はそこまでおなかが減っていなかったので、するっと食べられるスープ系の麺かお粥がいいなぁと思っていたところ、ヌリアさんにマスタバというミネストローネ風のお粥を勧められた。
これがなかなか美味しかった、少しピリ辛で食欲をそそるのもいまの私の胃袋にちょうどいい。
ドライバーさんが焼きラグマンを注文していたので写真を撮らせてもらった。ラグマンの他にプロフなど、キルギス料理・カザフスタン料理を中心にメニューを豊富に取り揃えているのもgood。
食事中にヌリアさんに、どうして日本語を学んだの?と聞くと日本のアニメが好きなんです、とのこと。へー世代が違うけど私も知っているアニメかなぁーと聞くと、ナルトとブリーチです。ああジャンプの漫画ね(詳しくは知らない)。でもどうしてそんなに日本語うまいの?日本に1年間留学してました、語学学校です。そうなんだ、でも留学して最初はロシア語とキルギス語だけではうまくいかなくて苦労したことも多かったでしょう?はい、でも留学前に日本語を学んでいたのでなんとかなりました。ホームシックにならなかった?あんまり、でも1回だけ泣きました。お母さんとFACETIMEで話しているときに。そうだよねぇ。留学中はどこに住んでたの?バイトとかやってた?etc…色々ヌリアさんの身の上話を聞いて、ローカルな話題で盛り上がった。
しかし中央アジアのキルギスの若い女の子に影響を与える日本の漫画ってすごいなぁとしみじみ思ったキルギスの夜のだった。


フェルトでやかんを保温

<<SMART HOTEL>>
ビシュケク中心部の3つ星ホテル、SMART HOTEL。かなり新しめのホテルで、ヌリアさんも初めて案内するホテルだと言っていた。スマートの名前に違わず、非常に部屋の広さはシュッとしているが(つまり狭め)、デザインはモダンで清潔感があるため嫌な感じが全くない。館内は2棟に分かれているが連絡通路があるため、さほど不便さはない。別館にはレストランの他にサウナやプールも備わっている(無料)。室内にはミニバー、エアコン、湯沸かし器、ドライヤー、セーフティーボックスがある。バスタブはない。室内のWIFIも無料。無料で自転車を貸し出ししているのも嬉しい。朝食が朝7時半と比較的遅めであることをのぞけば、特に多くのサービスを求めなければ文句のつけどころのないホテルである。

▪️9月24日 ビシュケク観光とイシククル湖
朝9時半にヌリアさんと合流して、ビシュケク市内観光へ。

<<ビシュケク観光>>
ソ連時代には「緑の街」とも言われていたビシュケクは街全体が一つの公園のようで、キルギス随一の都会ではあるものの自然豊かで風光明媚な都市でもある。天山山脈を通るキャラバンの停泊地としてソグド人によって栄えたのがビシュケクの始まり。天山山脈支脈キルギス・アラトーの標高750mの場所に位置していており街のどこからでも4000m〜5000m級の山々を見渡せる。南北と東西に走る道路はソ連時代の街造りの名残り。街中にもソ連時代を思わせる劇場やバレエホール、巨大な銅像などを見ることができる一方、ビシュケクの台所とも言えるオシュ・バザールや国立歴史博物館、近郊には山間の都市ならではの渓谷が美しいアラ・アルチャ自然公園などのキルギスならでは観光スポットも見逃せない。

私たちがまず向かったのはアラトー広場。
「ホワイトハウス」と呼ばれるキルギスの大統領府。その名の通り真っ白な大理石を用いた巨大な建物。

その後見えてくるのが、「Monument Those Who Died For Freedom」(日本語へ訳すと「自由のために命をかけた人々」)のモニュメント。「2010年キルギス騒乱」と呼ばれるクルマンベク・バキエフ政権の退任を揉めて起こった政変による死者を祀る慰霊碑である。黒色の石(政治腐敗・汚職)を押しのけて白い色の石(自由・生活)を守ろうとする人々の姿を描いている。

そしてモニュメントがもう一つ続く、「Stella of Friendship of Nation」。
1976年、キルギス併合から100年を記念してつくられたロシア(ソ連時代を含む)からの友情の証としての記念碑だそう。キルギスの人々にとっては議論の余地があることだろう。

そしてアラトー広場で最も存在感があるのが国立博物館とその前に立つマナス像。
国立博物館は現在新たに建設中の新しい博物館に展示品を移動する関係で、しばらく閉鎖中で見れなかった。その博物館の前に立つマナス像はキルギスのシンボルである。なおマナスは実在の人物ではなく、キルギスで1000年もの間語り継がれている英雄叙事詩のヒーローである。

アラトー広場から車で走ること約10分、ここに中央アジア最大の収容人数を誇るという「セントラルモスク」がある。巨大なこのモスクはイスタンブールのブルーモスクをモデルにしていると思われる彩色と構造を持っている。あいにく私が訪れた時、中は掃除中で見れなかったが、きっとドームの内部はさぞ美しい装飾が施されていることだろうと思う。

ビシュケクの観光を済ませて約1.5時間かけて、次に向かったのが「ブラナの塔とバラサグン遺跡」。

<<ブラナの塔とバラサグン遺跡>>
かつて10世紀から13世紀に、この地にあったカラ•ハン朝の首都の一つ「バラサグン」の遺跡。中でも目を引くのは11世紀初めに完成されたとされる「ブラナの塔」。かつては45mもの高さを誇ったが、15世紀ごろの地震の影響で塔の先端部分は崩落してしまい現在は24mの高さとなっている。かつてはこの塔の横にはモスクがあり、モスクから塔の内部へ侵入できたそうだが、現在は外付けの鉄製の螺旋階段を使って塔の中から登ることもできる。狭く暗い階段を登りあがるとバラサグンの遺跡が一望できる。1000年前、ラクダに乗った隊商が東から西へ向かっていく姿を重ねずにはいられない。シルクロードの風に吹かれていると、果てしない旅路のロマンに誰もが思いを馳せることだろう。なおかの有名な玄奘三蔵もこの地を訪れたという文献も残っているそうだ。
遺跡には臼のために使ったと思われる巨大な石材や人をかたどった石人が見られる。石人はお金持ちの人や軍人の墓であり、石人には鉢や槍を持っているものもある。また性別も男性と女性でその特徴で描き分けられている。男性はヒゲがあったり、女性はネックレスをつけていたり。
遺跡から出土したもので状態が良いものや重要なものは近くの博物館に展示されている。博物館の中には仏教、キリスト教、ゾロアスター教にまつわるものまで展示されており、かなり国際色豊かな都だったことがわかる。

<<アク・べシム遺跡>>
「ブラナの塔とバラサグン遺跡」から車で10分。「ブラナの塔とバラサグン遺跡」と並び世界遺産に登録されている遺跡である。城壁跡が残っており、仏教寺院跡が発見されていることから唐時代の砕葉城だとされている。7世紀に玄奘三蔵がこの地で突厥(モンゴル高原で活動したトルコ系の遊牧民)の王に歓待を受けたという記述が「大唐西域記」に残っている。
発掘は進んでおらず、地元でも訪れる人は多くはなさそうだ。

<<一般家庭にてランチ>>
そして次に訪れたのが一般のご自宅。キルギスでは一般的なレストランの他に、看板はないものの、地元料理を提供してくれる民家がいくつか存在しているようで、今回訪れたご家庭はドライバーさんの親戚の方のご家庭だそうだ。ツアー参加者以外で個人で見つけようとしてもなかなかこうはいかないだろう。
今回訪れたお宅はドライバーさんと同じドゥンガン人のご家庭。キルギスにはドゥンガン人と呼ばれる人々が住んでいる。ドゥンガン人とは中国系ムスリム(イスラム教徒)の民族のことで、19世紀の清の時代に政府からの弾圧を受けたため、ロシア帝国領の中央アジアに移住した人々である。多くはカザフスタンの南部や、キルギス領内のフェルガナ盆地に住んでいる。
最初ドライバーさんの顔立ちからモンゴル系の方かなぁと思ったが、モンゴル民族とは生活スタイルが異なる。ドゥンガン人は郊外に集団で住み、野菜作り、果樹園経営などの農業、魚の養殖などに従事する人が多いそうで、遊牧などはしないそうだ。
そんなドゥンガン人のご家庭でいただいたのはトマトとキュウリのサラダの他にニラ炒め、トマト味のスープと饅頭。しばらくすると茹で上がった麺をお姉さんが運んできてくれる。なるほど、ここでは麺は別盛りで、自分で好きなようにニラやトマトスープを入れて自分だけのラグマンを作るということだ。
私はラグマンの麺の味が好きなので最初はニラとトマトスープを少なめに入れて、麺の味を楽しんだ後、再度具材を投入して今度はおかずを集中的に味わった。
一般的な家庭の味だから自分の口にあうか不安ではあったが非常に美味しかったので、ぜひキルギスに来たならこういった一般家庭の味を楽しむのも良い体験だと思う。
食べ物を運んでくれたお姉さんは最初非常に写真を恥ずかしがって、一緒に撮ってくれなかったが最後は渋々了承してくれた。


電気コンロとカマドのハイブリッド。雨の日なんかに電気コンロは重宝するそうだ

昼食を食べた後に約2時間半かけて向かったのがイシククル湖のホテル。

<<AK MARAL>>
イシククル湖の湖畔に位置する3つ星クラスの大型ホテル。しっかり手入れされたビーチの他に、館内には滑り台つきの大きな屋外プール、そして室内プールにサウナなど設備は十分。夏の間は観光客で賑わうことだろう。私の訪れた時はすでに夏も終盤とあって、どこかの会社の慰安旅行らしくものが開かれていた。日本だと熱海のイメージに近いかもしれない。
室内はかなり広めで、イシククル湖ビューだった。冷蔵庫、セーフティーボックス、バスタブ、エアコン付き。室内では無料のWIFIもある。朝食が朝8時からであまり美味しくはなかったが、それはさほど気にならなかった。

ホテルで一休みした後、ガイドのヌリアさんにお勧めされた温泉へ向かう。

<<イシククル湖のラドン温泉>>
イシククル湖周辺ではラドンを含む源泉が豊富にあることから温泉施設がいくつか存在している。とはいっても日本の温泉とは違い、どちらかというと温水プールに近い。また水着着用が義務付けられている。私は水着を持ってくることなんて思いもよらないので、ドライバーさんの水着貸して〜とお願いしたが、すげなく断られた(ドライバーさんも持っていなかったようだ)。
最悪下着でもいいと言われたので、これも経験と思い、入浴することにした。料金は2時間で300ソム(450円くらい)。きっと1時間も持たないだろうから、ガイドさんには1時間後に待ち合わせした。ロッカーの鍵を受け取り、ホテルから持って来たタオルで下半身を隠してビニールハウスの中のプールへ。
水温は38度、正直物足りない。浴槽というかプールに温水を張っているだけなので腰かけて半身浴できるところもない。イシククル湖で何すればいいのーって方にはお勧めしますが、温泉を期待するとちょっとがかっりするかも。泳ぐにはいいと思いますが。

<<イシククル湖に来たら魚料理を忘れずに!>>
温泉の後は夕食のためにイシククル湖の繁華街、チョルポンアタにある「Kafe U Rybaka」へ。イシククル湖で獲れる魚料理をだす人気店だ。夏の繁忙期には全ての席が一般になるほどお客さんが押し寄せるとのこと。私はマスの炭火焼を注文した。マスは程よく脂がのっていて美味しい。醤油があればご飯が何杯もいけちゃうだろう(キルギスでは白米は出ないのだが)。ウズベキスタンとタジキスタン、キルギスと旅してきたが食事のメインはやはり牛肉。魚は滅多に食べられなかったのでそういう意味では貴重な存在である。

夕食後ホテルに戻り、就寝。
ヌリアさんにお願いして、明日の8時半にホテルのサウナを予約してもらう。(400ソム)

▪️9月25日 イシククル湖から第4の都市カラコルへ
朝食後、8時半に予約していたサウナに入って朝10時にガイドさんと待ち合わせ。
しかしイシククル湖に来たならば一目だけでも名高いイシククル湖の美しさを見なければ、と思いガイドさんとのミーティング前にホテル敷地内のイシククル湖のビーチへ足を伸ばした。この日の天候は曇りだったが、近くで見るとその透き通るようなすぐにわかった。水深2mでも底まで綺麗に見える。真夏日だったらきっと入るだろうが、肌寒く入る気にはならなかった。

<<岩絵野外博物館>>
ホテルを出てまず向かったのが岩絵野外博物館。その他の通り岩絵が描かれた岩がゴロゴロしている。大きいものだと全長3mもの岩に描かれており、小さいものだと3cmほどの石にも描かれているそうだ。45ヘクタールもの広大な敷地の中には約900個の岩石。全ての岩は集めたわけではなく、このエリアに大量に発見されたとのこと。描かれたのは紀元前2世紀から8世紀の間、生活や狩のシーンを描いているものが多く、ユキヒョウや山やぎ、ワシなどの動物の絵が見られる。

そして2.5時間かけて次に向かったのがカラコル。

<<キルギス第4の街・カラコル>>
カラコルは3000m~6000m級の山々の風光明媚な景色が広がる、イシククル湖の東端にある人口約6.5万人のキルギス第4の都市だ。天山山脈の最高峰ボベダ(7439m)への登山口の他に、アルティンアラシャンなどの温泉やスキーリゾートもあり、ヨーロピアンの旅行客はここを拠点に過ごす人も多いという。ソ連時代にはロシア人やウクライナ人が移住し、また中国から逃れて来たドゥンガン人やウイグル人が住む多民族都市でもある。そのため街中にはドゥンガン人のための中国風の造りの「ドゥンガンモスク」やロシア正教の美しい木造教会「ホリー・トリニティ大聖堂」などユニークな建築が見られ興味深い。


梨もろた

<<プルジェバリスキー博物館>>
カラコルで最初に訪れたのがプルジェバリスキー博物館。プルジェバリスキーというのはロシア帝国の地理学者で、中央・東アジアの探検家である。ヨーロッパ人がまだ誰も訪れたことがなかった東トルキスタンを縦断した人物だ。イシククル湖やカラコルをヨーロッパに紹介したのもプルジェバリスキーとも言われており、カラコルは一時期彼の名前をとって「プルジェバリスク」と改名していたこともあった。非常に小さな博物館ではあるがイシククル湖やカラコルの歴史を紐解くには最も重要な博物館である。彼の石碑もこの博物館の敷地内にある。

<<カラコルに来たなら名物の冷やし中華を!>>
その後、地元の人々に人気の食堂「ASH LYANFU」にてランチ。カラコルには他のキルギスの街にはない暑い日でも美味しく食べられる冷麺が人気なようだ。すでにかなりの人が並んでいたが、ようやくテーブルについて注文。注文と言ってもメニューは冷麺と揚げパンのセットの一種類しかない。テーブルに運ばれて来た冷麺を一口食べる。トマトベースの唐辛子入りのスープにコンニャクの麺とラーメンのような中太麺の2種類の麺が絡み合って美味しい。1杯の分量もちょうど良く、多すぎず少なすぎず満足。カリカリした揚げパンも、辛いスープに浸して食べるとカリカリした食感は残ったまま油っぽさが半減して食べやすい。カラコルに訪れた際にはぜひ。

「ドゥンガンモスク」と「ホリー・トリニティ大聖堂」を見学した後、この日の宿である「GULYA EJE」へ向かう。

<<カラコルの民泊にステイ>>
GULYA EJEはホテルではなく、民泊のような宿泊施設。一般のご家庭にゲストルームを備えており、旅行者を泊めてくれる。キルギスの一般家庭を知るにはこれ以上ない施設である。私が案内された部屋はベッド2台のみあるシンプルなお部屋。机もない。トイレとシャワーは共同。無料のWIFIは完備。民宿のおかみさんはロシア語しか喋れないので、夕食の時間まで少し暇だ。というわけで、カラコルの街を歩いてみた。

<<カラコルの街をあてもなく歩いて見た>>
カラコルは、キルギス第4の都市であると言ってもさほど経済的な発展は遂げておらず、高いビルディングもないため、どちらかというと山間の小さな田舎町という表現の方がぴったりくる。
しばらく歩いていると24時間営業のコンビニが見えてきた。働き方改革が進む日本では、24時間営業のコンビニなんか珍しくないが、さすがにカラコルの街には不釣りあいに感じてしまう。
欧米にありそうなおしゃれな「カラコルコーヒー」というお店を発見。キルギスのコーヒー豆はおそらくすべて輸入かと思うが、なかなか美味しいコーヒーだった。アメリカンコーヒーで100ソム。欧米客をターゲットにしているためか少し高め。しかしお茶文化のキルギスでは美味しいコーヒーをだすお店は貴重なのだ。
帰り道の途中「オドノ・セロ・オジン・プロドゥクト」というキルギス名産のお土産屋さんを発見。なかなか日本でも使えるようなお洒落なお土産が少ないとお嘆きの方には、このお店は最適であろう。キルギス名物のフェルトを使った小物入れやペンケースの類、キルギスの果物を使ったジャムや蜂蜜、そして石鹸などがお洒落なパッケージで販売されている。値段は少し高めであるが、質は良いものばかり。

<<カラコルの民宿にて夕食>>
民宿へ戻ると外国人のカップルが夕食のラグマンの麺をこねていた。私もこねたいとガイドさんにいうがあいにくすでに麺づくりは終了してしまって、私はこねることができなかった。
夕食のラグマンを賞味する。民宿を経営しているご家族はウイグル人の方々のため、ラグマンはウイグル風。肉と玉ねぎ、トマト、セロリが入っている。ドゥンガン人のラグマンにはニラが入っているがウイグル人のラグマンにはニラは入っていない。ラグマンの他にはサモサと呼ばれる挽肉が入ったパイをいただく。アツアツなので肉の旨味が溢れ出して美味しい。

▪️9月26日 国境を越えてチャリンキャニオンを経由してアルマトイへ
民宿で朝食。キリギスの一般的な朝食と言われて食べた朝食は、お茶にトースト、目玉焼き、菓子受けのお菓子だった。ロシア語圏の国では朝食にお菓子を食べるのか。野菜は食べないのですかとヌリアさんに聞くと「野菜は昼から」らしい。うーむ、謎のルールだ。


民宿の朝食と私とおかみさん

<<陸路でカザフスタンに入国>>
9時に民宿をチェックアウトしてカザフスタンとの国境・カルカラを目指す。カラコル郊外の美しい山並みの景色の中を車ですひた走ること約2時間。徐々に携帯電話もキルギスの電波を拾わなくなって来た。そうしていると国境に到着。タジキスタンとの国境と比べるとかなり小さな規模である。
まずキルギスの兵士に私のパスポート見せた後、入管スタッフにパスポートを渡す。入念にチェックされた後、出国スタンプを押される。キルギスの警備員に促されて、そのままカザフスタン側の入国審査へ。ほとんど緩衝地帯はない。カザフスタンは初めてかどうか、聞かれただけで特に難しい質問もなく、スタンプをポンっと押された。キルギスもカザフスタン側も特に荷物検査もなく恐らくトータル10分程度で終わった。タジキスタンと比べると非常にあっけない国境移動だった。

<<カザフスタンのグランドキャニオンはその名に違わず素晴らしかった>>
カルカラの国境を越えて、荒野を走ること約2時間半。到着したのがチャリンキャニオン。チャリンキャニオンは12億万年前に、砂岩が天山山脈からの雪解け水が流れるチャリン川の浸食により削られて形成された、まるでグランドキャニオンのような風景をもつ巨大な渓谷。この渓谷は全長154km、2004年にカザフスタンの国立公園に指定され、渓谷の一部はトレイルとして旅行者が歩けるように整備されている。なお「チャリン」とはトルコ語で絶壁、ウイグル語でトネリコの意味。トネリコとは 落葉樹の一種で、ここに来たウイグル人はトネリコが生えているのを見て「チャリン!チャリン!」と叫んだことが名前の由来だとか。日帰りツアーでは約2時間かけて1.5キロの絶景の風景が広がる道のりを歩いて折り返すのが一般的だ。トレイルにはユルタのキャンプ場もあるため、時間をかけてチャリンキャニオンを堪能したい方は1泊2日のツアーに参加するのも良いだろう。
なおチャリンキャニオンは標高2000mの高地に位置しているため、ゆっくり自分のペースで歩いて行こう。(有料でトレイルをトラックで移動することもできる)

チャリンキャニオンのトレイルを歩いた後は駐車場で、ピクニックランチ。
ランチの後は一路アルマトイを目指す。アルマトイまでは約3時間。

<<28人のパンフィロン戦士公園>>
アルマトイ中心部にある最も巨大な公園。第2次世界大戦での対ドイツの時、カザフスタンから出征して戦死したパンフィロフ率いる28人の戦士を追悼するために造られた公園である。園内にはロシア革命および大祖国戦争の記念碑の他、永遠に火が途絶えることがない無名戦士の墓などモニュメントが多数。また園内にはゼンコフ正教教会というロシア正教の巨大な教会があり、この教会は釘が一本の使われていない木造建築で1911年の大地震の時にも倒壊しなかったという言われがある。内部は写真厳禁のため撮影できなかったが非常に荘厳で美しいイコンや内装をもつ教会なので一見の価値がある。

<<夕食はキルギス到着時と同じく「NAVAT」で>>
「NAVAT」はキルギス資本のチェーン店でカザフスタンにもいくつか店舗があるそうだ。NAVATの良いところは内装やインテリアが可愛いだけでなくてアルマトイとキルギスの郷土料理のメニューが豊富なところ。しかもプロフは通常大皿で1人前で販売してくれるところは少ないのだがこのお店は一皿から注文を受けてくれるのが嬉しい。私は干し葡萄のった「ホリデイプロフ」と生ビールを注文した。生ビールを飲むのも久しぶりだ。生ビールはキルギスには中々なかったのでありがたい。

<<Grand Voyage Hotel>>
夕食を食べた後向かったのが今宵の宿泊先、Grand Voyage Hotel。地下鉄のバイコヌール駅から徒歩5分程度、アルマトイ中心部の3つ星ホテル。美しいエントランスと機能的な部屋。規模は小さめではあるが、清潔で設備も十分。エアコン、セーフティーボックス、ミニバー、無料のWIFI、ドライヤーあり。バスタブはない。

▪️9月27日 アルマトイ市内観光、そして帰国の途へ
朝食の後、朝9時にガイドさんと待ち合わせ。この日はアルマトイを観光した後にそのまま空港に向かう予定だ。

<<中央バザール>>
アルマトイの台所といえばここ。1868年から続く伝統的なバザールで「緑のバザール」とも称される。肉・野菜・果物・乾物・ドライフルーツから衣服など生活に必要なものが一通り揃う地元の人々にとってはなくてはならないマーケットだ。この日は平日の朝9時とあって、まだ客足はまばら。空いていないお店もちらほら見かけるが毎日夕刻や日曜には大にぎわいになるそうだ。中でもすごいのが精肉エリア。牛、豚、馬、鳥、羊、肉と言えば思いつく限りの肉の種類がここでは生で売られている。ガイドさん曰く、匂いがしないのはまだ朝早いためフレッシュな肉が揃っているからだそう。他に特色をあげると、朝鮮からきた方々も多いためか、ピクルスエリアではキムチを売っているのを見かけた。また日本へのお土産としてもおすすめな蜂蜜なども購入できる。

<<共和国広場>>
1980年に造られた、市庁舎と大統領公邸を含む広場。その大きさは210平方メートルで、中心には独立記念碑が建てられている。こちらの記念碑は高さ28m、塔の頂上にはユキヒョウを従えたゴールデンマンが直立している。ゴールデンマンとはイシククル湖周辺の古墳(クルガン)から発掘された黄金の鎧がモチーフとなっている人物。この鎧を身に付けていたのはカザフスタンの祖先とも言われるサカ族のリーダー。ゴールデンマンは若さと自由を象徴しており、独立したばかりのカザフスタンを表現するのにふさわしい人物だったのであろう。

<<国立博物館>>
元々は教会として1907年に建てられた立派な建物だが、1931年に博物館としててオープンした。古いものだと2億年前から現代にかけての20万点以上を収蔵しているそうで、古代遊牧民の服装や日用品、道具などの展示が特に豊富で、カザフスタンの歴史を知るには欠かせないスポットだ。

<<コクトベ>>
アルマトイ市民の憩いの場。「緑の山」という意味のコクトベは市内中心部のロープウェイ乗り場から行ける1070mの展望台だ。コクトベからはアルマトイの全景が見渡せる。展望台にはミニ遊園地やミニ動物園、景色が素晴らしいカフェやレストランもあるので一息つきたい時にぜひ訪れたい。(というかツッコミどころ満載です)


似てないビートルズ、しかもなぜここに造る?ヌリアさん曰く「大体の人が好きだから」なんじゃそら


日本では4Dまで来ていますがカザフは7Dまで行っています!


Dはさらにインフレしており、最新版はなんと9D!増えた「D」がなんなのか教えて欲しい


ミニ動物園には日本の鶏もいます。普通の家畜の鶏もいました

<<チェーンのラグマン屋さんは手打ちでない可能性が高い>>
昼食は私のリクエストで、ラグマン屋さんへ。ガイドのヌリアさんはビシュケク出身でさほどアルマトイには詳しくはないそうで、ネットでラグマン屋さんを調べてもらったのだ。訪れたのはチェーン系の「askazan」というお店。ラグマンがメインだが、中華料理やピラウなども扱っている。私はパプリカと牛肉の入った少し辛めのラグマンを注文。チェーン店だからかあまり麺が好みでなかった。もちろんラグマンはもともと美味しいので私の中でハードルが高めな設定なのだが、これまで食べてきたような手打ちの舌触りと歯応えがない。少し残念。

<<メデウとシンブラクスキー場>>
もしアルマトイに夏にきたのであれば、アルマトイ郊外にあるメデウ、そしてシンブラクスキー場は必ず立ち寄らない手はないだろう。
メデウは2011年冬季アジア競技大会にも使われた巨大なスケートリングの競技場のある場所。カザフスタン出身のデニス・テン選手の記憶も新しいが、カザフスタンにてスケート競技は人気スポーツの一つである。スケート競技場の裏はダムになっており、長い階段を登り詰めると天山山脈の支脈アラタウの美しい大自然を望むことができる。メデウからさらに先にはロープウェイで行くことができる。

スケート競技場近くのロープウェイ乗り場から、標高1600mのメデウより標高2200mにあるシンブラクスキー場まで一気に駆け上ることができる。私が訪れた夏のシーズンは冬のスキー客のためにロープウェイはメンテナンス中。代替バスでスキー場まで向かった。バスは10人乗り程度のバンでそれなりに人が集まると出発する。スキー場に到着。スキー場にはカフェやレストラン、ホテルやレンタルショップなども充実している。夏といえども、このスキー場は大盛況。なぜならこのスキー場のリフトで行く頂上では美しいアラタウの姿が間近に見られるのだ。
スキー場の麓(2200m)からリフトを1回乗り継いで終点へ。標高は3200m。ここまでくれば標高4000mほどの頂をもつアラタウの姿がすぐそこに。森林限界を超えているため周囲は木々はないが、ところどころ高山植物が咲き誇っているので寒々しさや荒涼さよりも牧歌的な雰囲気が優っている。まるで以前訪れたことのあるイタリア北部のドロミテを思い起こさせた。最初は曇りがちだったそらも、午後になって太陽の位置が変わったためか良い感じ。
中央アジアにきてまさかスイスやイタリアのようなアルプスの世界を体験できるなんて。ヌリアさんがいうには「スイスなどのヨーロッパに行くよりも物価も安いから、ヨーロピアンも多く訪れる」。なるほど、エコツーリズムや観光立国の本場であるヨーロピアンの観光客も唸らせるほどの素晴らしい観光地なのだ。


もちろんDELONGHIという山・・・ではありません

メデウの駐車場に戻り、ドライバーと合流。夕食まで時間があるので、アルマトイのスーパーマーケットに立ち寄ってもらい日本へのお土産として蜂蜜とカザフスタンのチョコレートを購入した。

<<非の打ち所がないレストラン「NAVAT」で3回目の食事>>
夕食はこの旅3回目の「NAVAT」へ。店長には顔を覚えられたようで「また来たね〜」とご機嫌だった。本当は「NAVAT」へ行くつもりはなかった。マスタバ(中央アジア風トマトスープおじや)が食べたくなったのでガイドのヌリアさんに「地元に人気なマスタバの店がないかなぁ」と調べてもらったところ、ちょうど良いのがなかったのだ。いや実はドライバーがお勧めしてくれたお店があったのだがヌリアさんが口コミを見たところ「まずい」「もう2度といかない」だの散々な評価が多く「美味しい」「最高!」などというポジティブな評価はわずか2点しかなかったそうで、ヌリアさん曰く「多分これは店の人が書いている」。私もヌリアさんに同意。ということでドライバーさんの立場なく、再度「NAVAT」へ行くことになったのだ。私は念願のマスタバとマンティ(中央アジア風小籠包)、そして生ビールを注文。
改めて考えると、この「NAVAT」は非のうちようが無いのである。
まず内装がおしゃれで、店員さんもサービスが良い。地元の人にも人気がある。そしてメニューが豊富で、生ビールが飲める(中央アジアではなかなか無い)。そして言わずもがな味が良い。さらに付け加えると無料のWIFIがあり、時々店員さんが生演奏や伝統の踊りを披露してくれる。
ビシュケクやアルマトイに来たら何を差し置いてもマストで行っていただきたいレストランだ。

NAVATで食事のあとアルマトイの空港へ。

空港にてキルギスとカザフスタンでお世話になったガイドのヌリアさんとドライバーさんとお別れ。
ヌリアさんは若くてちょっとガイドとしては経験不足なところがあって日本語もあまり流暢とは言えなかったが逆に言葉のチョイスが面白く愛嬌があったので、毎日が楽しく過ごせた。逆にドライバーさんはあまり愛嬌はないのだけど、長時間のドライブにかかわらず疲れた顔をみせずスケジュール通り無事故で旅行を終えられたことにプロ意識を感じた。
今回訪れたタジキスタン、キルギス、カザフスタンともいずれも新しい発見があり、まだ人に知られていない場所で、未だこんなところがあるんだと素直に感動してしまった。100カ国以上訪れるとちょっとやそっとで感動しなくなるだが、今回の経験からさらに奥深いタジキスタン 、キルギス、カザフスタンを知りたくなった。世界って狭いようで広いなぁとしみじみ感じた旅だった。

2019年10月 橋本

◆スタッフお勧め度◆
・夏のチャリンキャニオンのトレイル・・・★★★★★ 標高2000mのトレイル、しんどいが楽しい!
・夏のシンブラクスキー場リフト上の展望台・・・★★★★★ アラタウの景色に痺れた
・キルギスとカザフスタンのレストラン「NAVAT」・・・★★★★★ キルギスとカザフ滞在中5日間の内、3回行って顔を覚えられた非の打ち所がないレストラン
・ドゥンガン人の一般家庭で食べるラグマン・・・★★★★
・カラコル近郊で見た天山山脈の美しい景色・・・★★★★
・ホジェンドの人気ナンバーワンのプロフ屋さんで食べたプロフ・・・★★★★

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