今回の出張先はインド!
かねてより気になっていたアジャンタ・エローラの石窟寺院があるオーランガバードにも立ち寄る個人的には非常に嬉しい行程で行って参りました。
<行程>
1日目 成田→デリー
2日目 デリー→アグラ
3日目 アグラ→ベナレス
4日目 ベナレス
5日目 ベナレス→オーランガバード
6日目 オーランガバード
7日目 オーランガバード→デリー
8日目 デリー市内観光後、成田へ
★1日目
日本からは直行便で約9時間!
入った瞬間の少しスパイシーな香りとサリー風の制服に身を包んだCAさんによって既にインドの雰囲気抜群なエアインディアの直行便は、成田空港を定刻に出発して少し早めにインド到着。
デリー国際空港は表示もわかりやすく途中で案内してくれるスタッフもいて、迷わず入国審査までクリア。税関をスルーするときに大きなリュックを持っていたからか、ボディチェックのお姉さんに話しかけられましたが問題なく「ようこそインドへ」とにこやかに歓迎してくれました。
紳士的なガイドさんとおちあい、市内ホテルへ向かいます。
空港から30分ほど車を走らせるとデリー市内の賑やかな街並みが見えてきました。
この日のホテルはホテル サンライズ。
部屋は綺麗に清掃され、シャワーのお湯も問題なし!トイレットペーパーも聞いたら出してきてくれました。エアコンも効いて快適です。
ガイドさんから絶対に水道水は飲まないようにと念をおされ、改めてインドに来たのだな~と実感します。
夜はあまり一人で出歩かない方が良いということで、興味津々だったインドのカレーをルームサービスで頼んでみることに。
スパイスの効いたカレーは、パクチーの味にも勝るほど濃厚で骨つきのチキンはふっくらとしてご飯との相性もぴったり!パクチーが苦手な私ですが気にならず一緒に食べてしまえました。
ガイドブックを眺めながら眠ってしまい、朝食を頼んだ時間になるとジャストタイムで部屋まで来てくれ、用意が済んだあとアグラへ出発です!
★2日目
デリーからアグラまでは高速道路を利用して4時間ほど。
高速道路は3車線ほどあってとても広く、時間にもよるかと思いますがこの日は空いていてぐんぐん進んでいきます。
途中のサービスエリアで休憩にコーヒーを頼むと、あまーいラテのようなものが出て来ました!ガイドさんはそれにさらに砂糖をふりふり。インドの方は甘いものが好きなのです。
アグラに到着すると、女性でここに来たら絶対に体験すべきサリーを着てのタージ・マハル観光!
個人的に世界で訪れたい遺産ランキングのかなり上位に入っている、インターネットや本の中でしかその姿を見ることの出来なかった純白のお墓をついに実見する日がこんなに早くに来るとは。
その白く美しい大理石が、これまた巧妙な装飾が施された門の向こうに見えて来ると、顔ではなるべく平静を保ちつつ心の中は興奮爆発。
細やかに整備された庭園の向こうにそびえたつ真っ白なタージ・マハルは遠目から見ても圧倒的な存在感と、快晴の青空との美しいコントラストで私たちを魅了します。
ゆっくりと入り口まで近づいてゆくとその装飾を間近で見ることができます。
正面上部の壁に描かれた象がん細工は植物をモチーフにして優雅に並べられ、その周りにはコーランが所狭しと大理石の表面を覆っています。
スリランカ等から集められた宝石を利用した象がん細工の艶やかな色が白い壁によく映え、気品溢れるこの建物の中へ、いざ!
靴にカバーをかけて中へ入る際、内部の撮影は禁止と強く注意を受けました。ちなみに混雑が予想されますが、外国人の観光用チケットはインド人用のチケットよりも割高なため入り口の長い列をショートカットしてすぐに中に入れるのだとガイドさんが言っていました。
ほんとにその通り、スッと中に入ると混み合っており、とりあえず荷物とカメラを守りながら内部へ向かいます。
途中、珍しい外国人がサリーを着ていることで何度か写真を求められましたがこれも注意が必要とのこと。
写真を撮っている間に荷物を盗まれるという被害が報告されているようです。無邪気な笑顔で寄って来るインド人を最初から疑ってかかるのも良心が痛みますが、警戒心を最大にしていたからか何事もなく済みました。
内部には、外の壁よりも細やかに施されたアラベスクの柵のむこうに眠る大小2つの棺と、それらを暖かく照らすかのように上から真っ直ぐに吊るされたランプがありました。
周知の通りタージ・マハルはムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが愛妃ムムターズ・マハルのために莫大な資金と17年もの歳月をかけて建てた霊廟です。福山さんもびっくりの、まさに愛の化身です。
ガイドさんの豆知識で4つのミナレットは、若干外側に傾いており万が一地震などが起きたときにタージ・マハル側に倒れないよう設計されたとのこと。
どこまでもぬかりないシャー・ジャハーンは、さらに黒い大理石でできたタージ・マハルを自分の墓として建設させようとしましたが、息子の手によりアグラ城へ幽閉されてしまいました。
彼は幽閉された城の中から、愛妃の眠るタージ・マハルを眺めながらその人生に終止符を打ちました。そんな切ないストーリーの残るアグラ城にも後ほど向かいます。
そんなわけで歴史とともに改めてタージ・マハルを見上げるとその美しさに改めて溜息が漏れました。壁の象がん細工だけでなく、壁面一杯に掘られた彫刻や地面の幾何学模様、左右に鎮座する迎賓館とモスク、正面に広がる庭園と門が生み出す絶景と裏側に流れるヤムナー河は見事でした。
その後はインド市内の交通では定番のオートリクシャーに乗ってサリーレンタルショップへ戻ります。
ガタガタ少し奇妙な音をたてて進むオートリクシャー、車とスレスレを冒険します。この後これでもかというほど経験しますが、インドの道路は基本スレスレです。
とくにベナレスにて、轢かれかけて何度も心臓が飛び上がりました。そんな刺激を味わえるのもインドならでは!
車に戻ると昼食へGO。
これぞまさにインドカレー!なワンプレートが登場。ついでに頼んだマンゴーラッシーも美味!
ご飯から時計回りに、豆カレー、ミックスベジタブル(カレー風味)、チーズカレー、チキンカレー、ジャガイモのスパイス炒め、チャパティ。
インドカレーは確かに辛いですが、痺れるほどではなくしっかりと美味しく頂ける辛さにたっぷりのスパイスのおかげで深みのある味。
その後はアグラのレッド・フォートであるアグラ城へ向かいます。レッド・フォートと呼ばれる城はデリーにもあります。赤砂岩の巨大な城壁にぐるりと囲まれたアグラ城は、ムガル帝国第3代アクバル帝の時代に着工され完成してからも後世の皇帝達により増築されています。
かつて幽閉された彼がやるせない気持ちを抱えながらタージ・マハルを眺めていたのだろうかと想像しながら、城をあとにしました。
この日の最終目的地、アグラ最高のエレガントなホテルオベロイ・アマールヴィラスへ。このホテルはなんと全室窓からタージ・マハルの見える贅沢なお部屋!
さすが人気ホテルというだけあって、この日は全室満室のためお部屋の見学は出来ませんでしたがその他の施設は見てくることが出来ました。
外観から既に、ここがインドであることを忘れてしまうような、実に優雅な雰囲気が漂っています。
アグラで宮廷風のひとときを楽しむならば、このホテルは外せません。
ホテルの見学が終わると、この日の宿泊ホテルタージ・インへ移動します。
こちらはコンパクトなホテルですが清潔感があり良い印象でした。レストランが上の階にあり、大きな窓からアグラ市内の街並みを楽しみながら食事が出来ます。
この日は、エッグカレーをチョイス。どんなものかと思っていると、ごろりとまるまるゆで卵が入ったカレーでした!そこまで辛くないマイルドな味わいで、香草もアクセントになって美味しく頂きました。
★3日目
この日は、噂に聞いていたインドの列車に初乗車!とにかく時間通りの運行ではないことで有名です。
駅は思った以上にしっかりとしたホームがあり、ベンチやちょっとした売店等も備わっています。
ホームで電車を待ちますが到着の気配なし。電光掲示板も何も映っていません。ガイドさん曰く、40分遅れで到着の模様。
なるほど、数時間遅れが定番だと思っていたため、40分程度の遅延で済むならラッキーかも!
そんなことを思いつつしばらく待っているとそれらしき列車がやってきました。どうやらホームが変わったらしい。
別のホーム到着になることはよくあるそうで、注意が必要です。
扉を開けて列車の中へ。扉はもちろん手動です。個人的に、列車の旅は非常に好みです。
今回はアグラからベナレスまで一気に移動するため、列車に揺られる時間はおよそ8時間という長旅。
2等の寝台席で用意されていました。
ガイドさんが席へ案内してくれましたが、そこには先約が・・・?
ぐっすりと眠る赤ちゃんに添い寝するお母さんと、そのご家族が和気あいあいと団らん中でした。
そこは2段ベッドが2つ向かい合って構成された席で、その一角が私の席でした。
赤ちゃんが寝ているところを起こすわけにもいかず、向かい側の席に座らせてもらうことに。
ご家族は仲睦まじく、座らせてもらった席の男性は医者をしている方で、このあと彼に色々と助けられることとなります。
ほとんど予備知識のないまま列車に揺られ、インターネットにも繋がらず何もすることのない数時間。とりあえず日本から持参した長編小説に読み耽ってみます。停車駅では、チャイやお菓子の車内販売がまわってきます。インドの方は本当にチャイがお好きで、皆さん美味しそうに飲んでいました。
正午を過ぎた頃、同じ席の皆さんに食事が運ばれてきました。
いつの間に頼んだのやら・・・!私もお腹空いたなぁと思いながら観察していると、隣のお医者さんが通りかかった車内スタッフに声をかけて私のぶんもお願いしてくれました。優しい!
ここでインドの食事は基本的に「ベジ」と「ノンベジ」に分かれます。
いわゆる菜食主義かそうでないかですが、これはレストランのメニューや売店に売っているお菓子に至るまで、記号によって分けられています。
この車内販売でも、ベジかノンベジかということでとりあえず「ベジ」を頼んでみました。
数分後にやってきたお弁当。いまにもこぼれそうな(でも意外とこぼれない)包装のカレーがやってきました。
列車内のお弁当までもがカレー、さすがインド。
本当に、大きな揺れがドンときたら絶対にぶちまけるくらいにぎりぎりまで入ったカレー弁当を慎重に食べると、赤ちゃんが起きたのかお母さんから美味しい?と聞いてきてくれました。
寡黙そうに見えるインドの人々は、慣れるととても人懐こいということがのちのち判明します。
そして何時間たったころからか、そろそろ予定の時間になるはずですがそういえば、今どこにいるかわからない。
よく考えたら車内アナウンスなんてないうえにモニターのようなものももちろんありません。おや、これはもう聞くしかないみたい。
とりあえず隣のお医者さんに今どのへんか聞いてみると、目的地はまだまだ遠く。
列車に揺られている間に、いつの間にかずいぶん遅延していたようです。
ここで、親切なお医者さんはグーグルマップで説明をしてくれました。そういえば自分のiPhoneの位置情報をオンにしていることを思い出し、確認してみるとゆったりゆったりと列車のレールの上を進んでいるのがわかりました。
これを確認していれば、だいたいどの辺りにいるかわかります。この機能はネットに繋がなくても利用できるため、おすすめです。(ただし読み込みには時間がかかります。)
ちなみに教えてくれたお医者さんには降りる駅を伝えていたため、到着時にはしっかりとここだよ!と教えてくれました。また、念のため到着駅で待ってくれているガイドさんに遅延の知らせをするために電話を繋いでくれたのもこの方。なんて親切なのでしょうか!
結局、到着はなんと5時間遅れ。つまり列車でおよそ13時間揺られていたということになります。
ホームには、待ちくたびれたガイドさんが待っていました。しっかり5時間も待っていてくれたようです・・・
ホテル到着は深夜1時となりました。ずっと座っていて何も体力は使っていませんが移動疲れからかすぐに眠りに落ちました。
★4日目
この日はサルナートの観光とラームナガル要塞の観光へ。
まずは、ラームナガル要塞へ向かいます。ガンジス河沿いにある要塞へは、河にかかる大きな橋を渡って向かいました。
橋の上からは、河で洗濯屋さんが大きなシーツや衣類を洗って天日干ししている様子を見ることが出来ました。
大きな門から要塞の中へ入っていきます。
入ってすぐは大きな中庭でした。チケットを買ったら、博物館になっている城内へ入ります。
ここは18世紀に当時の王(マハーラージャ)が造った宮殿です。
博物館の中には、当時宮殿で利用されていたアメリカ製のレトロな車や世界各国から集められた武器や調度品、動物のはく製等様々な歴史的遺物が安置されています。
ここの魅力は何と言っても、宮殿奥の細道を抜けたところにある河側に突き出たバルコニーです。
河側にはヒンドゥー教の寺院もあります。
このバルコニーから、壮麗な要塞の外観を近くでじっくり見ることが出来るとともに、目の前には大きなガンジス河が一面に広がります。
真下では沐浴をしている人々を見ることもできました。
ラームナガル要塞をあとにしようとした時、顔にピンク色の塗料を塗った子供たちがやってきました。
この時期インドでは春の訪れを祝うヒンドゥー教の「ホーリー」というお祭りが開催されており、そのお祭りではカラフルな色水や粉を誰かれ構わずかけ合うそう。
そんなわけでせっかくなので、子供たちに粉を塗ってもらうことに。
顔がピンクになったところで、次の目的地サルナートへ向かいます。
サルナートの遺跡公園近くに、出土品を保管する考古学博物館があり、まずはそこを見学。
内部の撮影禁止のためカメラは預けて中へ。中に入るとすぐ、柱頭四頭獅子像という巨大な彫刻をはじめ、珍しい仏像たちが肩を並べ展示されていました。
現在は整備され公園となっている遺跡跡から出土したものです。
サルナートは、ヒンドゥー教ではなく仏教の聖地。以下4大聖地のひとつです。
1.ルンビニ【生誕地】
2.ブッダガヤ【成道(悟り)の地】
3.サルナート【初転法輪(初めて教えを説いた)地】★
4.クシナガラ【涅槃地】
サルナートは、仏陀が悟りを開いた後に鹿が多く住む林の中で初めて教えを説いた地とされています。鹿に因んで、日本の奈良のような場所だと言われています。
ただし放し飼いではないので、園内を自由にうろついてはいません。
ところどころに残る遺跡跡の石には彫刻が彫られています。
公園の奥に、遠くからでも圧倒的な存在感を放つダメーク・ストゥーパがあります。
これは6世紀に、信仰の中心としてアショーカ王によって建てられたものです。最初の説法(初転法輪)が行われた場所に建てられたとされています。
近付いてみるとストゥーパの表面には、美しい彫刻が残っています。
公園を出て、近くのムルガンダ・クティ寺院へ。
1931年にスリランカ人の僧侶によって、サルナートに再び祈りの場を造ろうと建立された寺院です。
ここには、香川出身の日本人画家である野生司香雪(のうす こうせつ)さんによって描かれた壁画があります。釈迦の一生を描いた、壁一面を彩る壁画は大きく見事なものでした。
入口には日本仏教連合会から寄進された梵鐘も吊るされています。
ここで出会った素敵なご家族と記念撮影。
夕刻になると、ガンジス河沿いで毎日行われている「プージャー」と呼ばれるヒンドゥー教の儀式を見学しに行きました。
ガンジス河の近くまで車を走らせ、途中で降りて河まで混雑した道のりを歩いて向かいます。
河までの道は両側に商店が立ち並ぶ賑やかな通りで、人々に紛れて牛が普通に道路の真ん中にいるので驚きます。
また、バイクやオートリクシャーなどが容赦なく乗り入れてきてクラクションの嵐の中、轢かれないようにガイドさんについていきます。
途中、チャイのお店で一休み。
道路が開けてくると、ガンジス河が見えてきました。
階段を下ると、既に祈りの儀式を見に来た人々でいっぱい。
外国からの観光客は大抵、すぐそばの建物の上から眺めるのが一般的のよう。
下の河近くで見ている人々は、現地のみなさん。
傘をかたどった電飾で飾られた祈りの座が連なり、どこから流れているのかBGMもかかっています。
僧侶の方たちが出てくると、祈りの儀式が始まりました。
太鼓等の演奏も始まり、とても賑わっています。音楽に合わせて、火のついた燭台を掲げながら踊るように祈る僧侶の方々は、息もぴったり。
オレンジ色の明かりの中、燃え滾る炎の灯った燭台を揺らす姿は何とも幻想的な光景で、思わず無言で見入ってしまいました。
辺りもすっかり暗くなって、祈りの儀式も終焉に近づいてきたところでホテルへ戻ることに。儀式が全て終わると道が非常に混むため、少し早めに引き上げるのが良いそう。
ベナレスの宿泊ホテルは、ホテル シッダールタ。
★5日目
ガンジス河での朝日と沐浴を見るため、早朝6時にホテルを出発です。
眠い目をこすりながら、前日と同じ河までの道のりを歩きます。
前日の夜の混雑とはうって変わって、人通りは少なく静かな朝でした。
河まで行くと、ボートへ乗り込みます。
既に多くのボートが遊覧ツアーへ出発していました。
明るくなってきたガンジス河の向こうのには、顔を出し始めた朝もやのかかった太陽が、少し薄いザクロのような色で空を染め始めていました。
手漕ぎのボートは、ガート沿いを遊覧していきます。
朝の風は涼しく気持ちよく、時間が経つにつれて太陽はどんどんオレンジ色に変わっていきます。
その光景は神々しく、なんだかご利益がありそうなほど美しい景色でした。
そして途中、祈りの花に火をつけて河へ流します。
ボートを降りて火葬場近くのガートの細い小道を抜け、ホテルで朝食をとったあとはベナレスからオーランガバードまでの寝台列車の旅へ。
インドの列車、再びです。今回はどれほど遅れるのか・・・・。
駅に到着すると、既に遅延情報が出ていたのかしばらく駐車場の車で待つことに。
およそ30分待ち、列車が来るとのことでホームへ向かいます。
この駅はなんとエスカレーターがついていました。
ホームで列車を観察していると、車体にしっかりと行先が書かれています。
また、車両ナンバーも書いてあります。最初に乗ったときはホームが変わって急いで乗ったためあまり気を付けて見ていませんでしたが、これなら慣れてしまえば迷わず乗れそうです。
2回目なので、不安なく乗車。今回は始発駅だからか、車内は空いていました。私の席にも誰もいません。
快適に過ごせそうで一安心したあと車内撮影へ。
ちなみにスーツケース等の荷物は寝台の下に収納スペースがあります。チェーンロック等を持って行った方が良いという情報もありましたが、結局対策はせずに行きました。もちろんあるに越したことはありません。被害に遭うのは運に依るところが大きいかとは思いますが、とりあえず今回は何も問題ありませんでした。
出発を待っていると同じ席の向かい側に女性とおそらく彼女のご主人がやってきました。ご高齢で英語を話さない方でした。
軽く会釈を済ませると、彼女はインドで有名なマンゴージュース「MAAZA」を取り出し一口。ご主人さんも一口。すると私にも、飲んでみる?と言っているのか(ヒンディー語のため全く言葉はわかりません)差し出してきました。
ここで一旦迷います。というのも、最近列車の中などで相席になった人からもらった飲み物に睡眠薬が入っており、眠ったすきに盗みをはたらく手口の盗難事件が相次いでいると聞いたばかりだったからです。
とはいえ、差し出してくれている本人が自ら飲んでいることやその穏やかそうな雰囲気(もちろん見た目だけでの判断は良くないですが・・・)を考えると大丈夫そうに思え、とりあえず頂いて飲んでみることに。
すると普通においしいマンゴージュースでした。甘いものが好きなインド人、さすがジュースも糖度が高そうです。
そして日本から持参した2冊の小説も読み終え、音楽を聴きながら時間を潰していると、停車駅でお菓子の売り子さんがやってきました。
小腹が空いていたのでスナック菓子をひとつ購入。
すると、お菓子もやっぱりカレー味。インド人カレー好きすぎです。
だんだんカレーの食事にも飽きてきたなと思っていると、今度はチャイの売り子さんの「チャーイチャイチャイチャーイ」の言葉に混ざり、お弁当の車内販売の注文を取りにきた方が「ビリヤニ~ビリヤニ~」と言っているのを聞き逃しませんでした。
ビリヤニ!久々にカレー以外のものを食したくなってこれを注文することに。
スパイス等をふんだんに使ったいわゆる炊き込みご飯やチャーハンのような米料理です。
そんなわけで頼んだビリヤニ弁当は、個人的にとても好きでした。
夜も更けてきたため、眠りにつくことに。グーグルマップで位置を確認してみると、なんだかスムーズに移動している予感。
★6日目
朝方、到着予定の時間より少し前に起きて地図を見ると、近くにいてもあと数駅のような状況。途中の駅で乗ってきた、英語の話せるインド人の方に聞いてみると、50分ほど遅れているようだと教えてくれました。
どうやら日本の電車時刻アプリのように、インドの列車もインターネットで運行状況を調べられるようで状況を教えてくれました。
最初とっつきにくそうに見えても、インドの方は基本的に親切な方が多いです。
何時間も遅れることにならずほっと一息。
駅に到着すると、ドアから出てジャストの位置にドライバーさんが待っていました。
オーランガバードに到着です。
まずは世界遺産アジャンタの石窟寺院へ。今回のインド滞在で、一番と言って良いほど楽しみにしていた場所です。
世界遺産の読本などで見ては、一度訪れてみたいと思っていました。
アジャンタの石窟寺院群は、紀元前2世紀前後には開窟されていました。
一度放棄されたあと、3~5世紀に大乗仏教の普及に伴い再度開窟され、彫刻や絵画が多く造られました。
しかしヒンドゥー教が広まるにつれて仏教寺院の需要は減衰し、7~8世紀に再度放棄されてしまいこの石窟群は密林に埋もれることとなりました。
それから長い年月が経って、1819年。
ハイダラーバード藩王に招かれ虎狩りに参加したイギリス人士官ジョン・スミスは、虎に襲われてワゴーラ渓谷へと逃げ込むことに。
そのとき彼の目には、断崖絶壁に造られた馬蹄型の窓が見えました。放棄されてからおよそ1000年もの月日を経て、アジャンタの石窟群が発見されたのです。
アジャンタの石窟寺院は、僧院(ヴィハーラ)と塔院(チャイティヤ)に分かれています。
僧院は主に僧侶たちが修行と生活をともにしていた場所で、中には小さな小部屋と岩のベッドが並べられ、最深部には仏像、壁には壁画が描かれています。
アジャンタの石窟寺院の魅力は何と言ってもその壁画の美しさです。
各石窟の中には、鮮やかな色も残った壁画が一面に描かれています。それは壁だけでなく、天井にまで。とくに、ラピスラズリ等の宝石の顔料を用いて彩られた壁画は本当に色が美しく残っています。
色だけでなくその模様や、人物の表情等細かい部分も非常に精巧に描かれています。
後期石窟群の中には、ペルシアのアラベスク模様に影響を受けたとされる植物をモチーフにしたデザイン等もあり、世界の建築や絵画に関心のある方には非常に魅力的な場所であることは言うまでもありません。
アラベスクに影響を受けたであろう花や動物をモチーフにした天井画がとても印象的でした。
塔院(チャイティヤ)の特徴は、まずその窓は馬蹄形をしていること。外側の壁は、岩を彫り込んだ細やかなレリーフで飾られています。
初期に造られた塔院の中には、巨大なストゥーパが納められています。
紀元前1世紀(上座部仏教期)は、まだ仏像が作られておらず、ストゥーパが礼拝対象だったとのこと。
時代が進むと、塔院の中に仏像が造られるようになります。
とくに美しかったのは第26窟の涅槃仏。
非常に穏やかで優しい表情をしています。表面はなめらかで、綺麗に目を閉じて横たわる姿からは、暫く目が離せませんでした。
しかし、デリーに比べて南に位置するオーランガバードは暑い!
石窟の見学中も天気が良く、じりじりと熱くなってきます。これから夏がはじまるのだとそういえばガイドさんが言っていました。
じっくりと石窟を見終わると、ふもとへ戻って昼食です。
食べきれないほど色々なものが出てきました。
食後、オーランガバードの街へと向かい市内観光へ。
「ミニ・タージがあるんだよ」と、嬉しそうに話すガイドさんについていくと。
たしかにタージ・マハルそっくりな建造物が目の前に。
ここは、ビービーカーマクバラーという、ムガル帝国第6代皇帝アウラングゼーブの妃の廟。タージ・マハルのように、皇帝が妃に造ったものではなく、その息子が母親のために建てたものなのだとか。
見た目はタージ・マハルそっくりですが、大理石の部分はまん丸の屋根と一部の壁のみ。他は、石に白い漆喰を塗って仕上げた模様。
その後、水の力で粉をひく水車公園(パーンチャッキー)を見学しホテルへチェックイン。
オーランガバードのホテルは、ラヴィラージホテル。
部屋も広く清潔で、個人的にとても過ごしやすかったです。
夕食のためレストランへ。豊富なメニューの中から、またもビリヤニを選んでみました。
今回はエッグビリヤニ。加えて、スイートコーンスープとラッシーも。
スイートコーンスープは甘いです。砂糖をどれだけ入れたのだろう?というほど甘いです。
そしてビリヤニの登場。それ、一人前?というほど大きなお皿に山盛りで運ばれてきたビリヤニに驚いていると、ボーイさんが取り皿へこれでもかと移し入れてくれました。
まるごとゆで卵がポイント。
スパイスたっぷりでしっかりと辛みのきいたビリヤニはおいしく、やっぱりどこかカレーの風味も感じますが、とにかく美味しく頂きました。
★7日目
朝から、今度はオーランガバードの街の近くにあるエローラの石窟群を見に行きます。
こちらも世界遺産として登録されている貴重な石窟寺院です。
アジャンタは全て仏教寺院でしたが、エローラの石窟は古い順から仏教、ヒンドゥー教、そしてジャイナ教の3つの宗教寺院から成り立っています。
その規模はアジャンタよりもはるかに大きく、そして開けた土地に寺院が連なっています。
まずはジャイナ教の寺院を見に行くことに。
ジャイナ教の像は、裸で鎮座する預言者です。(仏教の場合は布をまとっています。)
アジャンタでは美しい壁画が残っていましたが、ここにあるのはどちらかというと彫刻がほとんど。
続いて仏教寺院。こちらもとにかく広い!!
規模が大きいため、遺跡間はバスでの移動も可能です。
多くの僧侶が暮らしていたのか、部屋や階の数もアジャンタより多いです。
そして相変わらずどこもかしこも美しい彫刻で装飾されています。
一番の見どころは、ヒンドゥー教寺院第16窟の一枚岩をまるごと掘り下げて造られたカイラサナータ寺院。
こんな巨大な一枚岩を、100年以上かけて削ってつくったそうです。
すごい労力と時間がかかっています・・・。
一枚の岩だったものを削っているため、岩を重ねたようなつなぎ目がありません。
シヴァ神の住む山(カイラス山)を模範として造られたようです。
岩の側面には、ヒンドゥー教の叙事詩「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」の場面が描かれたり、象の彫刻や悪魔の彫刻が彫られたりと、実に様々なモチーフで飾られています。
もちろんヒンドゥー教の神様たちも勢ぞろい!
3つの宗教が共存していることや、それぞれの装飾の美しさに、アジャンタと同じように感動し、一日かけて巡りたいところですがこの日はデリーに戻る飛行機に乗らなければならないため、惜しみつつもふもとへ戻ります。
昼食後はオーランガバードとお別れ。
デリーやアグラ等に比べると田舎な風景を多く見ることが出来て新鮮でした。
オーランガバードの空港には、地方空港だからか何もありませんでした。
かろうじて荷物チェック前のフロアには売店などもあります。
ただし出発階には、売店はあれども商品がなく、土産店も閉まっており。時間にもよるかもしれませんが、ここを利用する場合は飛行機を待つ間の暇つぶし用の何かがあると良いかもしれません。
飛行機は定刻よりもずいぶん早く到着し、ずいぶん早く出発しました。
およそ2時間の空の旅を経て、デリーへと戻ってきました。
空港で待っていてくれたガイドさんに、南インド料理でおすすめの店があると教えられ、そこで夕食を済ませることに。
この食事がとても美味しかったことをよく覚えています。
「DOSA(ドーサ)」という南インド料理です。
米粉で出来たクレープのような皮に、すりつぶしたジャガイモと野菜、唐辛子等を混ぜてもちっとしたペーストが入っている珍しい料理でした。
米粉の皮は香ばしく焼かれており、まろやかかと思いつつピリリと唐辛子のきいたペーストがアクセントになって、パリっとした皮によく合います。
素敵な料理を頂いて、初日と同じホテルへ向かいました。
★最終日
この日は終日デリーの市内観光です。
行程には含まれていませんでしたが、個人的に行ってみたかったカーン・マーケットも前日のうちにガイドさんに言って組み込んでもらいました。
ラージガートを見た後、インド最大のモスクジャーマ・マスジッドとオールドデリーのチャンドニー・チョウクマーケット、レッド・フォートを散策。
日曜日だったことと、まだ朝だったため開店している店は少なかったですがシャッターの前に商品を並べ、開店準備をしている様子を色々な店で見ることができました。
そして大統領官邸や、主要な会社の本社等が集まるニューデリー近くのインド門で記念撮影をしたあと、近くの日本人にも人気なレストランで昼食。
その後、フマユーン廟へ行く途中に、近くにあるカーン・マーケットへ寄って頂きました。
カーン・マーケットは可愛らしいインド雑貨や化粧品、衣類等の店が集まるマーケットで、ガイドブック等にも特集されています。
アーユルヴェーダ等でも使われるオイルの有名なお店やお洒落な衣服の店等が集まる中、一番見てみたかったグッド・アースという雑貨屋さんへ。
しばらくここで物色していました。
価格はインドの物価からするとものすごく高いですが、素敵な雑貨が揃っており資金に余裕があれば女性へのお土産などにはぴったりです。
個人的に気に入った食器を購入し、フマユーン廟へと向かいます。
フマユーン廟はその名の通り、ムガル帝国第2代皇帝フマユーンの墓廟です。
タージ・マハルが建てられる66年前に建てられたもので、第二代皇帝フマユーンの妃が、皇帝のために1565年に建立しました。
タージ・マハルは皇帝が妃のために建てたものですが、こちらは逆となります。
フマユーン廟は、インド初のペルシア系イスラム建築様式の墓廟で、タージ・マハルもこの影響を受けたとされています。
白い大理石と赤砂岩のバランスが美しく、そしてまたその対称性も見事なものです。
内部には、フマユーンの棺を囲み、各部屋に親族たちの棺もともに並べられています。
とくに美しかったものは天井の装飾です。大きく丸いドーム状の天井に彩られた赤い彫刻は忘れられません。
フマユーン廟に続き、クトゥブ・ミナールの観光へ。
今回のインドで、最後の観光地です。
クトゥブ・ミナールはデリー郊外にある、インド最古のイスラム遺跡群です。
12世紀後半、のちの奴隷王朝を築くアイバクが、デリーに王宮を構えるとともにイスラムの栄光を讃えるために巨大なモスクを建てました。クトゥブ・ミナールはそのミナレットとして建てられたものです。
モスクは現在、ほとんど崩れてしまって一部の柱やアーチ等の遺構が残っているのみですが、その表面に彫り込まれた彫刻はしっかりと刻まれたままです。
この地にもともとあったヒンドゥー教やジャイナ教の寺院を破壊し、その材料でモスクを建てたようです。
クトゥブ・ミナールも遠くから見ると色が斑なだけで表面に何も模様などないように見えますが、近づいてみると非常に緻密な彫刻が施されています。
以前は上に登ることが出来たようですが、事故があったことにより現在は登ることが出来ません。
上からの景色はさぞ綺麗だろうと思うと少し残念ですが、下から見上げるクトゥブ・ミナールの壮大さだけでも非常に心を奪われます。
気づくと時間はもう夕刻。
インドの空港はとても混むため、3時間前には空港へ到着することが基本です。
クトゥブ・ミナールをあとにして空港へ向かい、時間はたっぷりあったはずなのにあっという間だったインドの旅を振り返りながら帰路につきました。
★おすすめスポット★
タージ・マハル ★★★★★
これを見ないと帰れない!
サルナート ★★★
美しい公園と、日本人画家の描いた壁画は必見
ガンジス河の朝日 ★★★★★
神秘的な光景は感動すること間違いなし
アジャンタ・エローラの石窟群 ★★★★★
異空間にいるかのような雰囲気で、かつ綺麗に残る遺跡に魅了される
カーン・マーケット ★★★★
素敵な雑貨が勢ぞろい!
フマユーン廟 ★★★★
赤砂岩と白い大理石のコントラストとその対称性が非常に美しい
クトゥブ・ミナール ★★★★
朽ち果てた神殿のようで、各遺構の表面に残る細やかな彫刻は圧巻
お読み頂きありがとうございました!!
(2018年2月 山口優)