インドはこれまでに6回行ったことがある。
が、隣国パキスタンには一度も行ったことがなかった。
旅先を考える際、次こそパキスタン?と思いがかすんでいたものの、そのたびインドの不思議な魅力に惹かれしまい、後回しになっていた。
もともとはインドと一つの国であるものの(であるからこそ?)、あまり関係が良くなく両国民たちが激しく意識しあう、インドとパキスタン。
そういえば初めてインドに行った際、ちょうど印・パのクリケットの国際試合が行われていて、インド中が異様な戦闘モードだったことを覚えている。
そろそろ、パキスタン行ってみっか。
そう、このたび私は、インドの陰にすっぽり隠れてしまっていたパキスタンに、ついに行く気になったのだ!
この思いが覚めぬうちに、早々に行動を起こさねば。
もしかしたら、今後一生乗る事がないかもしれないということで、パキスタン航空を予約したのである。
パキスタンの目的地は桃源郷、フンザ。7000ⅿを超える山々を見るにはうってつけの時期だ。
さてさて、出発を決意してから約4週間。
私はパキスタン航空機に乗り込んだ。出発前にお祈りが流れ始める。これぞイスラム教国の航空会社!無事にイスラマバードに着きますよう…。
苦痛以外の何物でもない11時間半が何とか過ぎ去り、深夜1時過ぎ、私は無事イスラマバードに降り立った。いかにもアジアの空港というような、目的があるのかないのかダラダラと空港周辺にたむろう人たちと、昼間の暑さのムァッとした名残りが私を迎えてくれた。
明日はフンザに向かうため、早朝の便に乗らなければならない。ホテルに到着するもシャワーを浴び3時間ほどの仮眠をとっただけで、またイスラマバードの空港に戻ってきた。
フンザへのゲートシティであるギルギットをはじめ、北部パキスタンへのフライトは常に天候に左右される。
7000~8000ⅿを超える山脈を有視界で飛ぶためだ。天気が悪ければ、離陸をしても山脈の手前で引き返してくることもあるという。最近機材が新しくなり、現地人曰く、8割飛ぶとのこと。幸運にも往路は天候に恵まれ、まるでマウンテンフライトかのような素晴らしい景色が眼下に広がっていた。標高8,125ⅿのナンガパルパット山が見えた時には機内から、お~ッという歓声が上がっていた。
ギルギットについたら、まずは外国人登録を行う。バゲージクレームで簡単に登録が完了する。ことあるごとに登録証とパスポートのチェックがあるので、再度ギルギットを出発するまで常にこれを携帯していなければならない。
猛暑のイスラマバードと打って変わって、標高の高いフンザはまるで初秋のような過ごしやすい天気。ここからフンザのさらに北部を目指し、カラコルムハイウェイ北上の旅が始まる。
カラコルムハイウェイ(KKH)は着工からなんと20年もの歳月をかけ、1978年に開通した。KKHはパキスタンから中国へと続く全長約1300㎞の大変重要な道路であると同時に、旅人のあこがれでもある。道中、8000ⅿを超える高峰、紀元後1~8世紀に使われていたかつてのシルクロード、フンザの美しい農村風景と絶景に次ぐ絶景が旅人たちを待ち構えているのだ。
KKHを走り、最初の絶景ポイント、ラカポシビューポイントで一休み。その名の通り、ラカポシ山(7788ⅿ)とその氷河を目の前にしたレストハウスである。晴れ渡った青空と、雪山が目にまぶしく、山の雪解け水の流れる音が耳に心地よい。心に溜まったあれやこれやも一緒に流されていくようだ…
そしてフンザ北部のゴジャール地方の入口へ。この近辺でかつて土砂崩れが起き、川が堰き止められ、新しくアッタバード湖という湖が出来上がってしまったのだ。いくつかの村が湖に沈み、、グルミットという村が陸の孤島と化してしまった。去年まではここで車を降り、船で湖を渡らなければならなったそうだが、去年末に中国の援助を受けトンネルが開通。今は車で湖を超えられるようになった。
かつての陸の孤島、グルミット村に到着。ここではワヒ族という少数民族が昔ながらの生活様式で今も暮らしている。彼らの顔は私たちが想像するようなパキスタン人顔とは異なり、肌が白く、目が青い人が多い。
民家を訪問させてもらうと、とても暖かい歓迎を受けた。何の気なしに、家を見せてくれないかとお願いをしたにもかかわらず、サモサやチャイで心温まる歓待を受けた。
行きずりの旅人にこんなにやさしくしてくれるなんて、思ってもいなかった。
グルミット村から20分程走り、今日の宿、パスーへ到着。
パスーからはまるで中世の教会のような「カテドラルタワー」とKKHの手前まで迫りくる、パスー氷河を見ることができる。
明日は、KKHをさらに北上、中国国境のフンジュラーブ峠を目指す予定。
朝目を覚ますと、今日も青空が広がっている。絶好のKKHドライブ日和だ。
ここで一つ、パキスタン名物のデコトラを紹介したい。パキスタンで走っているトラックはかなり手の込んだ装飾がされている。そのレベルはもはやアートといってもいいだろう。かなりの大金をつぎ込んでカスタムしており、自分のトラックにはプライドを持っている。外国人に写真に収めたいといわれるのは、彼らにとって最大の賛辞なのであろう、遠くから手を振ると気前よく車を止め、撮影させてくれるのだ。
今日目指すフンジュラーブ峠はここから車で3時間強。今までのコンクリート道が徐々に崩れ始め、山のカーブもきつくなっていく。ところどころ土砂崩れが起きており、1車線がつぶれているなんてざらだ。頂上の標高は標高4700ⅿもあるため、11月~4月は道路が閉鎖されてしまう、夏場のみ開通する峠だ。
やはり海に囲まれた日本で育つと、“国境”というものにただならぬロマンを感じてしまう。
残念ながらこの日は日曜のため、国境はオープンしていなかった。
そして来た道をまた下り、今日の宿泊地にして、フンザの中心とされるカリマバードへむかう。
昔から人々はフンザを桃源郷(=シャングリラ)と呼んだ。
桃源郷とは…“俗界を離れた他界・仙境”とな。(Wikipediaより)俗界を離れた場所かぁ、どんなとこだろうね、と思っていた。到着して、景色を見るや否や、桃源郷という言葉が本当にスンと心に降りてきた。あぁ、こりゃ桃源郷だわ。
これで春になると、この谷のいたるところにピンク色の杏の花が咲き乱れるのだ。イエス、ディスイズ、ベストオブ桃源郷!
ここカリマバードにはラカポシ(7788ⅿ)、ディラン(7257ⅿ)、ゴールデンピーク(7027ⅿ)、ウルタル(7388ⅿ)の高峰に囲まれている。この山々と美しい農村風景のコントラストはもう、言葉にできない美しさだ。感動のあまりため息が出てしまう。
そしてこの日楽しみにしていたのは、フンザで飲める蒸留酒だ。
パキスタンはイスラム教国家であるため、お酒はご法度だが、このフンザのエリアではイスラム教でも比較的戒律の緩いイスマイール派の人が多い。
そのため、アザーンもなく、女性も外に出て働くし、女子の就学率も高い。どことなく、他のエリアよりものんびりとした雰囲気がある。
ここでは表向きには外国人用として、お酒が造られているのだ。
是非飲んでみたいということで、ガイドさんにあらかじめお願いをしていた。彼のツテでホテルに届けてもらったお酒がこちら。
元々は500㎖のコカコーラであっただろうことが予想されるペットボトルに入った、白濁の液体…胡散臭いこと、この上ないぜ!
30度を超えるアルコール度数で、とてもじゃないが飲み切ることはできず、両親へのお土産となった。なんとこれで千円近くするのだから驚きだ。
翌日、朝日に染まるラカポシを見に行くために15分程ジープで登ったところにある、ドゥイケル展望台へ。
正面にラカポシ山、その左にディラン山脈とゴールデンピークが続く。ラカポシ山脈の麓にはフンザ王国と長く戦いを繰り広げていた、ナガールの谷、川を挟んでフンザ。そして後ろを振り向けばウルタルとレディーフィンガーの鋭鋒。360度見渡す限りの絶景だ。日の出は私たちの後ろ側から登り、ラカポシの頂上を徐々に朝日に染めていく。
こんなにダイナミックな景色を私たちだけで独占できるとは、なんという贅沢!
日中は、氷河を見にナガール谷を経由し、ホッパー村へ赴いた。ナガール谷はフンザの隣にあり、長いことフンザと戦争をしていた旧王国だ。フンザと比べて、ナガールはイマイチ発展していない印象が強いが、それだからこそ村人たちの素朴さが残っているような気がした。
険しい山道を走り、突如と表れてくる美しい田園風景に目を奪われた。
村人たちも素朴でカメラを向けると真面目な瞳でじっとファインダーを覗いてくる。
ほどなくしてホッパー村に到着。ビューポイントがありそこから見えるのが、ホッパー氷河だ。標高2800ⅿにあり、この氷河は約18㎞の長さがあるそうだ。
氷河というともっと白いものを想像してしまうが、実際はこのように黒い色をしている。
そしてそのあと、フンザに戻りバルティットフォートへ。かつてのフンザ王国の藩主が住んでいたお城である。フンザの藩主は今、州知事になっているとか。
この日の夜、なかなか忘れ得ぬ出来事があった。
ホテルでシャワーを浴びようとしたところ、ミルクティーのようなお湯が出たのだ。
これまでたくさんの国々に行ってきたが、これには久々の驚き。
実は昨日は氷河の冷たい雪解け水しか出なかったため、シャワーをあきらめていた。だから氷河に行って埃だらけになった今日は、絶対にお風呂に入りたかった。
びっくりしてフロントに駆け込むも、カリマバードでお湯はコレがスタンダードだそうだ。フンザは長寿の国として知られている。この水は長寿の水なのだ。氷河のミネラルがたっぷりだから、大丈夫。そう言い聞かせて、シャワーを浴びた。風呂上り、体をふいたバスタオルが茶色かった…。ふと水風呂、ドミトリーのバックパッカー時代の記憶が頭をよぎった。忘れていた何かを思い出す、そんな出来事だった。
*カリマバードの生活水は氷河の雪解け水。氷河の水はいくらろ過してもこの色が抜けないのだそうだ。
カリマバード最終日、私はハセガワ・メモリアル・スクールに向かった。ハセガワ・メモリアル・スクールとは。ヨーロッパアルプス3大北壁を初めて冬季に登頂達成した、一流登山家、長谷川恒男氏の遺志で建てられた3歳から17,8歳の子供が通う学校である。彼はここフンザのウルタル山で雪崩に遭い亡くなった。パキスタンにしては珍しく、男女共学、そしてこんな辺境の地とは思えないほどに教育水準と女の子の就学率がとても高いそうだ。
。現在約700人の生徒がここに通っているという。
校門で生徒の様子を見ていると、遠巻きに日本人を観察する子供たち。声をかけるとすぐに子供たちに囲まれた。みんな好奇心が旺盛でキラキラしている!笑顔がまぶしい~~!
先生がドラを叩いている。どうやらこれから全校朝会が始まるようだ。
数人の低学年と思われる子供たちが壇上に立っている。そして国旗の掲揚が始まった。その間子供たちはみな腕組みをしている。これは日本でいう気を付け!のポーズらしい。
そして何と、私がこの壇上に呼ばれた。え?ウソでしょと思っていると、全校生徒が拍手をしながら後ろ(私)を見ている。ひゃー何させられるんだろう~と不安になりながら朝礼台へ。すると、校長先生が生徒たちに何かを話しかけ、数名の子供たちが手をあげて朝礼台に上がった。
どうやら日本の歌を唄ってくれるようだ。
なんてうれしいハプニングだろう。こんな異国の山奥でまさか日本の歌をプレゼントしてもらえようとは!何よりもうれしいプレゼントだ。私が残念な英語であいさつをして、朝礼はお開きとなった。全校生徒の前でマイクを握る事なんて後にも先にもこれが最後だろうな。緊張したけど、大変貴重な経験に感謝。
なお、ハセガワ・メモリアル・スクールは比較的入学が難しい学校だそうだ。授業料も安いというわけではないし、授業のレベルや学校の設備も整っているので、ここに自分の子供を入学させたい親御さんは多いという。入学希望者は3歳児でもテストがあると言っていた。募金によってできた学校だし、もっと誰でも入りやすいのかと思っていたが、そうではなかった。パキスタンの中でも指折りの高い教育水準があるということに生徒たちや先生、地元の人々も誇りを持っているようだった。
そして、私はカリマバードを後にし、空港のあるギルギットに向かった。
今まではずっと村ばかりだったがここでようやく、街!といった雰囲気が出てきた。
ギルギット橋を渡ると、そこはギルギットのバザールだ。
I㎎0970ギルギット川にかかる橋
首から一眼レフを下げ写真を撮影していると、あれよあれよという間に人々に囲まれる。みんな写真が大好きなのだ。俺を撮れ、あいつも撮ってくれの応酬でなかなか先に進めない。写真を撮り、画像を見せてあげると嬉しそうに親指を立てている。
え、それで満足なんだ笑!?写真欲しいとかじゃないんだ、ただ撮られたいだけなんだね笑!
翌日、ギルギットからイスラマバードにフライトを予定していたが、朝からどんよりとした天気で風も強く吹いている。地元のドライバーや空港職員は“今日は飛ばないね~”と口々に言っている。とりあえずチェックインをしてフライトを待つが、もしフライトが飛ばなければ20時間の陸路を行かなければならない。とはいえそれはそれで楽しそうだし、フライトが落ちて死ぬなんてことにはなりたくないので、現地スタッフがどうにか飛ばないかとやきもきしている中、どうか飛ぶな!キャンセルになれ!と思っていた。
大方の予想を裏切り、フライトは無事出発した。曇りの為、行きのような山の絶景は見ることができず終いだった。
イスラマバードに到着し、私は昨日と同じく、バザールに向かった。16世紀から続く古いラワールピンディーのラジャ・バザールだ。ここでは野菜、肉、スパイス、金物、洋服、家具、ペットなど何でも揃う。ここでももちろん写真撮影大会が始まる。
イスラマバード市民の足として活躍しているのはバス、リキシャー、タクシー、オート三輪のチングチー、メトロ(電車ではなくバス)に加え、乗り合いのスズキなる乗り物だ。乗り合いバスはトラックのように派手にデザインしている。
例えばこんな…
おったまげ~!めちゃくちゃカッコよすぎる!
しかももう発車するところだったのに、乗客の人たち嫌な顔一つせず、外国人の写真撮影に付き合ってくれた。なんて心が広いんだろう。日本で路線バスを止めて写真撮影なんてあり得ないことだ。
こちらのトラックのドライバーも、高速を走っている中、写真撮影のためにわざわざ車を止めさせてトラックを見せてくれた。たくさんトラックを見たけど、このトラックのオーナーさんはかなり気合が入っているとみた。
バザールをひやかした後は、イスラマバードの観光ハイライト。
そしていよいよ、パキスタン最終日。
毎日新しい発見や楽しい出来事、ハプニングの連続でこんなに8日間が長いと感じたことは久しぶりだ。
最終日、私はイスラマバードから日帰り観光が可能なタキシラ遺跡に向かった。タキシラというのは街の名前で、タキシラの中にたくさんの遺跡がある。ジョリヤーン、シルカップが代表的なものだ。
遺跡観光後は、パキスタン人の民家を訪問し夕飯をご馳走になる。
子供が4人もいる賑やかな家庭で、末っ子が天使のようにかわいかった。奥さんの料理もとてもく、この旅で間違いなく1番といっていいくらい。お土産にと、マンゴーや近所で評判のクッキー、ブロックのお塩などたくさんのプレゼントをいただいた。
スーツケースにぎっしりとお土産と思い出を詰め込み、帰国の途につくが、空港への帰り道めずらしくセンチメンタルな気分になり、まだ帰りたくない!なんて思っている自分に驚いた。
今回初めてパキスタンを訪問し、パキスタンほど外国人に誤解されている国はなかなかないのではないだろうか、と感じた。
パキスタンといえば、みな口をそろえて大丈夫なの?危ない国でしょ?と聞く。
実際にパキスタンに住んでいる人々は、素直で心が広く、陽気な人ばかりだった。
面白い乗り物や、宗教の違い、仏教遺跡や世界の屋根と呼ばれるダイナミックな自然、素朴で心温かい人々。パキスタンがまだ世界に発信しきれていない魅力を、私は知ることができた。今度は一人でも多くの人にパキスタンの良いところを伝えていきたい、と強く思うのであった。
おすすめ度
フンザ ★★★★★ 壮大な自然と美しい田園風景。春の杏の時期にも来てみたい。
イスラマバード ★★★★ パキスタンの首都でありながらも都会過ぎない。近郊の遺跡やバザールは必見
(2017年5月 久保井奈々子)
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