カシミール地方の領土問題に揺れるインドとパキスタン。数度の戦争を経験し、近年もテロが起こっている。非常にセンシティブな関係のこの2か国を隔てる、長い長い国境の中で、唯一国境が開く場所、それが今回の旅行の目的地“アムリトサル”である。
アムリトサルは、ぐるぐる巻きのターバンとあご髭でお馴染みシーク教の聖地としても有名だ
あまり知られていないのだが、インドと聞いて想像するターバン巻の男性はシーク教という宗教の人々で、人口のわずか2%に過ぎない。パーセンテージにしてみると、意外と少なく感じる。(といっても12億人以上の人口なのだから25,000万人近くいるわけだが。)デリーを歩いていても、あまり多くは見かけないターバン。だが、ここアムリトサルに着くやいなや、空港のスタッフから、一般人から色とりどりのターバンが目に入る。
おぉ、ここがシーク教の聖地かぁなるほど~とコソコソ写真を盗み撮りしてみる。(顔つきが怖いから写真を撮りたい、とお願いができなかった。)
市内はあまり見どころの多くない、ここアムリトサルではやはり観光の目玉は黄金寺院である。正直なところ、あまり期待はしていなかったのだが、かなり面白い場所だった。(黄金寺院に入るルールとして、バンダナ着用(頭髪を見せてはいけないため)、裸足が義務付けられている。)湖の真ん中に浮かぶ黄金寺院。周辺では沐浴をする人々が目につく。黄金寺院から入り口に向かって50メートルくらいの橋が架かっているが、ここは常にシーク教徒の人々が長蛇の列をなしている。入り口から本殿にたどり着くまでには2時間くらいかかるのだとか。異教徒の旅行者は事前に申請をすれば、出口から逆走してスススーッとものの5分で中に入ることが可能。といっても熱い中、熱心に列に並ぶ大勢の信者さんの視線が痛かった。本殿の中はとても神聖な厳かな場所だ。ハルモニウムというオルガンのような楽器の音色と聖歌が本殿を包み、信者たちは、それはそれは熱心に祈りをささげている。お坊さんは大きな経典のようなものを広げ、24時間途切れることなく代わる代わる聖歌を唱えているのだという。
祈りをささげ終わった人は上層階の窓辺に座り、思い思いに聖書(というのだろうか?)を捲っている。なんとも神秘的で、ゆったりとした時間が流れる場所であった。
ヒンドゥー教では異教徒を受け付けない寺院も多々あるが、誰にでもオープンなのがシーク教である。だから食べられない者には食事を分けてあげる、という教えがあるそうだ。黄金寺院の裏には、何百人ものボランティアが、参拝に来た人々、その日の食事に困っている人に対して、炊き出しを行っている。もちろん、異教徒の私たちも食事をさせてもらえるし、ボランティア側に入ることもできる。せっかくなので、ご相伴に預かってみた。ただし、お皿に盛られた食事は完食がルール!LITTLE BIT! と言ってもごっそり盛られてしまうので気を付けよう。ボーっとしていたら、水まで入れられてしまった。加熱処理をされていないものはさすがに不安でどうしよう、と思ったが目をつむって飲み干した。味は・・・、いや味の問題ではなく、素晴らしい教えだなぁと心からそう思った。
そして今回のツアーのもう一つの目玉、アターリー/ワガ国境エリアへ。インド側のアターリーとパキスタン側のワガ。ここでは、両国の国旗を降ろすクロージングセレモニーが365日、毎日行われている。国旗を降ろすセレモニーと聞くといかにも地味だが、侮ってはいけない。まるで日韓のサッカー国際試合以上の迫力がある。なんとインド側からは平日でも1万人近い人々が毎日ここを訪れるのだという。セレモニーが始まるまでは、両国の応援合戦だ。音楽が流れ、掛け声が飛び交い、その迫力は言葉では到底伝えることができない。テンションの上がったインド人たちは路上でダンスを始めていた。ここで面白い文化の違いが垣間見れる。インド側は男女混合で入り乱れてみているのに対し、パキスタン側は男性席と女性席に分かれ、女性はきちんとムスリムの格好をしている。
セレモニーが始まると兵士が大股で足を大きく上げて、腕を大きく振って行進する。いかにも力を誇示するようなパフォーマンスだ。両国交互にこのような動きをして、いよいよ国境のゲートが開く。すると、両国の兵士が一瞬、ほんとに一瞬だが、荒っぽい握手を交わすのだ。そして、同じタイミングで下がっていく二つの国の国旗。どちらか一方が早くても遅くてもいけないのだろう。
そして完全に国旗が降ろされると、また国境のゲートは勢いよく閉じられるのであった。
こんな国際試合が毎日行われているとは、大変興味深い場所である。
今回のインド訪問では、シーク教の懐の深さを知り、印パの複雑な国民感情に触れた。黄金寺院では、若い女の子も、おじいさんもおばあさんも、小さな子供もたくさんの人が静かに祈りを奉げていた。“祈り”というものが日常に溶け込んでいて、特別なことではないのだ。神社に行くことがイベントの一つになっている日本人にとって、何かを熱心に信仰するということはとても尊いことのように感じる。とても心の洗われるインド旅行となった。
2013年3月 久保井