今回研修で世界最高峰エベレストを含むクーンブ山群(エベレスト山群)へトレッキングにいってきた。カトマンズの北面に大きく広がるネパール・ヒマラヤには西から東へアンナプルナ、ランタン、クーンブなどの山群がありますが、今回訪れたクーンブ山群(エベレスト山群)にはエベレスト8848mはもちろんのこと、世界4位のローツェ8516mなど、ネパール・ヒマラヤにある8000m峰8座のうち4座が含まれおり古くからトレッカーに人気のトレッキングコース。それは通称「エベレスト街道」と呼ばれており、あのヒラリー卿や田部井淳子さんも歩いた道だ。カラパラール(5545M)やゴーキョ・ピーク(5360M)での眺めには及ばないが、今回訪れた約3800Mのシャンボチェ付近からも最高峰を含む山々の展望は十分見ごたえがあった。荷物はポーターさんが持ってくれるため、軽い手荷物で登ることができ、トレッキングシューズなどの基本的な準備さえすれば比較的お手軽にエベレストを見ることができる。
行程は以下の通り。カトマンズ(1300M)→ルクラ経由バグディン(2652M)→ナムチェ(3446M)→シャンボチェ(3800M)→モンジョ(2835M)→ルクラ(2804M)→カトマンズ。天候にも恵まれ充実の研修となった。内容を以下にご紹介します。
1:トレッキングの開始(ルクラ~パグディン)
薄明るくなりだした5時30分、荷物を整理してカトマンズの空港へ。
小型飛行機やヘリコプタで40分ほど。双発の小型プロペラ機(17人乗り)でフライト小1時間。 左の機窓からヒマラヤの壮大な山並が見え始めて間もなく下降が始まり、谷間の狭い斜面上に着陸する。 まるでスキー場のゲレンデのような滑走路だ。 これが空港か、と思えるほどの小さな空港を擁する山村、ここが現在のエベレスト方面の玄関口となるルクラ(標高2827m)だった。登山パーティにしろトレッカーにしろ、首都カトマンドゥから空路でエベレスト方面を目指す人々はこの村の空港に降り立つことになる。 到着するとヌプラ (5885m) がその美しい姿で迎えてくれる。村はドゥド・コシ (コシは川の意) が流れる大きな谷の断崖の上の棚地に造られている。
メイン・ストリートの両側に集落が並ぶだけの小さな村だが、ロッジやレストラン、土産物屋や山用品店などには不自由しない。ポーターを必要とするトレッカーはカトマンドゥの旅行代理店で雇うか、或いはここで雇うことになる。
ルクラの喫茶店でチャー(ミルクティ)で一息つき、今回お世話になるポーターさんと合流。今回はキャンプ泊がないことから食料調達などの準備も不用で、すぐトレッキングへ出発となった。
エベレスト街道は車が通るような広い道路はなくいわゆる登り下りのある山道。荷物を運ぶヤク(チベット牛)の群れとシェルパ、そしてトレッカー以外は通らない。街道沿いはトレッカーやシェルパたちのたちの休憩所となっている喫茶店やロッジがある他は牧歌的な風景が広がる。
「ナマステ!」 と、行き交う現地の人たちや他国のトレッカーたちが挨拶をしてくる。 子供たちも満面の笑みで 「ナマステ」 と声をかけてくる。 何時しか私も 「ナマステ」 と返事を返すようになってくる。
ゾッキョ(ウシとヤクの交配種)が重たそうな荷を背負ってひっきりなしに行き交う。大きな体の大きな瞳がなんとも云えず可愛らしい。 そのゾッキョの糞があちこちに落ちている。
建物は全て石を積んで建てられているようだ。 ここは紛れもなく異国の地、ヒマラヤ・エベレスト街道なのだ、とそのとき思った。
所々吊り橋があり雪解け水で満たされた小川(シェルパ族の聖なる川「ドウード・コシ」)のせせらぎをききながらのトレッキングは実に爽快だ。この道の歩き方でガイドさんから唯一注意を受けたのは、道の中央にチョルテン(仏塔)、マニ車、メンダン(マニ石の行列)などのチベット仏教の表象物があった場合には必ずその左側を通りなさい、と云うことだった。 なんか、宗教上の理由(マナー)だとのこと。 このトレッキング道は、その街道沿いに点在する村落と村落をつなぐ、原住民の生活の道でもあるのだ。
6月頃が当地の新緑とのことだが、植生はその数も種類も日本と比べるとかなり少ないように感じた。 カシかシイかクスのような木や、マツのような木が目立つ。
途中のタダコシという小さな村落で昼食を摂り、正味3時間ほどの歩程で、この日はパクディン(標高2652m)のロッジに宿をとった。
この日のタシタギロッジ&レストランは日本人トレッカーの常連宿。部屋は決して広いとはいえないが清潔で最低限の設備は整っている。主人夫婦は日本語が喋れて安心だ。部屋にはいるとどっと疲れがでて夕食まで爆睡。料理メニューは以外に充実。街道を歩くヤクのカラベル(首鈴)の音色が遠くに聞こえる。そそまま早めの就寝。
2:本格的な難所へ(パグディン~モンジョ~ナムチェ)
この日はこの旅の最大の難所ナムチェへ向かう。朝食後、7時20分に歩き始める。 パクディンの朝はよい天気に恵まれ、間近に迫ったヌプラなどの山に圧倒される。今日はアップ・ダウンを繰り返しながら標高差約800mを登る日程だ。
昨日に引き続き、シェルパ族の「聖なる川」ドウード・コシが流れる大きなV字谷に沿って、長い吊橋をいくつも渡り返し、北へ向かってひたすら進む。 正面にクンビラ5761m、右手にタムセルク6686mなどの白峰たちが大きい。道筋にはクロマツのような木に交じりヒマラヤスギのような木も目立ち始めた。黙々と登っていると、時々「ナマステ!」とたどたどしく挨拶してくれる子供たちの笑顔に癒された。
途中の村落モンジョのロッジで昼食後、暫らく進むとサガルマータ(エベレスト)国立公園入口の関門に辿り着いた。ここで一人約1000円の入園料を支払う。いよいよエベレスト街道の核心部に近づいてきた感じだ。
長い急登が始まる。 森林の中のアップ・ダウンの多い路を進むと、やがてドゥド・コシの谷はクンビラに到る山塊にぶつかり、左右に分かれる。右は北東のエベレスト方面へ伸びるドゥド・コシ本流、左は北西にターメを通ってチベットとの峠であるナンパ・ラ (ラは峠の意) へと続くボテ・コシだ。ナムチェへは正面の急峻な壁面を600mの登りだ。休憩する場所の無い標高差600mの九十九折は厳しい。いい加減にしてくれと言いたくなったころ、右手の松の間から初めてエベレスト山塊が見える。巨大なローツェ (8516m) 南壁の上にエベレスト (8848m) のピークが僅かに覗いている。やがて視界が開けると右手背後にクスムカン、左手ボテ・コシ対岸にルクラで見た綺麗な三角錐とは全く山容を異にしたコンデ・リとヌプラが大きく迫ってくればナムチェ・バザールはもう直ぐそこだ。
左手にコンデ・リ6187mの大容量が見えてきて間もなく、急登が一段落すると、その前面に大きな輪となって広がる街が、今日の宿泊地ナムチェ・バザール(標高3446m)だった。 家屋数は約100軒とのことで、この街道沿いではルクラに並ぶ大きな街。 シェルパ族のお膝元でもあるらしい。 この先、こんなに大きな街は、もうない。
ナムチェ・バザールのロッジに着いて時計を見ると、まだ午後3時前。 夕食までの時間、なにやら怪しげな登山用品店や日用雑貨店、チベット仏教具のみやげ物店など、階段状馬蹄形の街並をぐるっと観光してみた。 ゆっくりと一周したのだが、あっという間だった。 しかし高所のせいか土埃のせいか、呼吸と心臓は辛かった。この日のロッジは「ベースキャンプホテル」。シャワートイレ付きの部屋とトイレシャワー共同の部屋。広くはないが寝るには十分の部屋。壁は薄い。欧米人トレッカーで混んでいた。この日のナムチェは氷点下近くの極寒。こんな日はヌードル入りのスープが何よりのご馳走だ。夕食が終わると布団にくるまって横たわった。
3:いよいよエベレストビューポイントへ(ナムチエ~シャンボチェ)
目覚めると、部屋の窓の正面から、ナムチェ・バザールの街並みのはるか上空に、バカでかい白峰たち(コンデ・リ等のロールワリン山群)が静かに横たわっていた。 日の出とともにまずその山頂部がオレンジ色に明るく染まり、時間の経過とともに明るい部分が徐々に下降して広がる。 それは全く素晴らしい眺めだった。
この日はエベレストを拝む為に500m上のシャンボチェへ向かうのだが、丁度土曜日で当地の休日、だとか。 おかげで、毎週土曜日に開かれているというナムチェの青空バザール(ハート)をまず観光する、というオマケを得ることができた。
それにしても、こちらの人はみな早寝早起きだ。ハートは周辺のシェルパ族たちにとっては生活物資を入手するために欠くことのできない市だ。
売り手は低地から来たインド・ネパール系、国境を越えて来たチベット人と様々で、荒地の斜面いっぱいに広がった人々と溢れる色彩はまさにインドとチベットを繋ぐ交易の中心地としてのバザールの名躍如といった光景だ。
その後、ナムチャの町を登り、町外れのチェルクンの丘へ。なんとここからもエベレストがきれいにみえるというのだ。シャンボチェへ行く体力がない人におすすめのポイントだ。
展望台からの雲の懸からないエベレスト、アマ・ダブラム、ロッツェなどの山々の姿はまさに絶景。街を抜けると急登が始まる。
この道はシャンボチェ(3720m)への道で、ナムチェなどの子供たちがクムジュン村(シャンボチェの先)にある学校へ通う通学路にもなっている。 所謂、世界一の過酷な通学路だ。このナムチェ・バザール辺りを境にしてヤク(チベット牛)が増えてくる。 ゾッキョは低地(温暖地)、ヤクは高地(寒冷地)に順応しているらしい。 急勾配が続いたが一時間ほどで丘の上の「シャンボチェ・パノラマホテル」へ到着。
ホテル内の敷地からエベレストがみえる文句なしのホテル。ヌプツェ7855mのギザギザした頂稜から頭を出したエベレストやローツェをはじめ、突起の鋭いアマ・ダブラム(母の首飾り・6812m)、三角形のかっこいいタムセルク6623mやその左の氷雪の帽子を被ったカンテガ6779mなど、周囲グルっとヒマラヤの大パノラマだ。レストランはエントランス横のほか最上階にもあり、なんとここはホテルの中にいながらにしてエベレストが見えお勧め。世界最高峰を見ながらの食事は格別です。昼食後、高度順応もかねて、パノラマホテルより徒歩約40分のところにあるデラックスホテル「エベレストビューホテル」まで足を延ばした。
眺望はパノラマホテルのそれとさほど変わらないが文句なしのデラックスホテルで一階のレストランからはもちろんエベレストがみえます。その後、ホテルへ。夕食後、しばしガイドさんと歓談。夜には満天の星空が広がり至福の夜を過ごしました。寒い夜でしたが湯たんぽサービスもあり、ぐっすり眠れました。
4:トレッキング折り返し(シャンボチェ~ナムチェ~モンジョ~パグヂィン)
早朝朝焼けのエベレストを拝む。雲が晴れたエベレストやはりすばらしい。
朝食はもちろん最上階のエベレストビューの食堂にて。本日は目玉焼き、味噌汁、キャベツの千切りにおかゆという日本食。久々の日本食にほほが緩む。このホテルはほかにも日本食メニューがあるのだそうだ。
朝食後、雲ひとつかからないエベレストを再度写真に収め、8時過ぎロッジをあとにした。
ナムチェ・バザールからパグディンまでの長い道のりをアップダウンしながら徐々に高度を下げたが、「歩き」としては最も過酷な1日だった。
このナムチェからの下り、エベレストの最終展望箇所で立ち止まり、私たちは振り返ってエベレストとローツェに最後の別れを云った。今日もよく見える。一時間ほどでモンジョ着。当初の予定ではモンジョ泊だったが余力があるため予定変更してバグディンまで下る。三時過ぎにはバグディン着。実に一日で1200m下がったことになる。5時過ぎに早めの夕食をとり就寝。
5:トレッキング最終日(パグディン~ルクラ)
トレッキング最終日ルクラに戻る。約4時間の道のりは体は慣れていたもののモチベーションの欠如と連日のトレッキング疲れがでて思うほどペースはあがらなかったがお昼には無事ルクラ着。長いように思えたトレッキング終了。
達成感で感無量だ。午後はゆっくりルクラを散策。お土産を買ったり、カフェでチャーを飲んだりして過ごした。
6:カトマンズへ
朝カトマンズへ向け出発。欠航になることを心配していた飛行機も順調にルクラ空港を飛び立ちカトマンズへ向かった。高山病で苦しむことなく無事過ごせたことが何よりの収穫だった。 ありがとう遥かなエベレスト。 さらばヒマラヤの人々。
カトマンズの町には2日間滞在。昼間はホテル視察や人や車でごった返した街中を散策し、トレッキングで筋肉痛の足をマッサージで癒しながら、夜は禁酒解禁とばかりに、日本料理店「ふるさと」で久々のビールを飲みご満悦。ここ数日間のトレッキングを振り返り店員と盛り上がった。
エスニック雑貨が好きな私にはたまたないデザインの雑貨などがあふれ、ただ歩いているだけでも楽しい町なのだが、あまりの交通渋滞と鳴り止まぬクラクションには少々カルチャーショックを覚えた。狭い路地を人ばかりか車も自転車も牛も通る。すべてが整理されておらずごちゃ混ぜだ。
帰りにたまたま隣に乗り合わせたネパール人(日本10年在住)によれば、ここ2,3年でカトマンズは交通量が倍増し、物価も高騰、低所得者には住めない町になってしまったそうだ。日本の田舎の方が土地が安いというから驚きだ。
普段明らかに運動不足だったため、行く前は本当に登れるのかどうか不安も大きかったが、天気にも比較的恵まれ充実の研修となりました。寒さ対策を十分にし、ゆっくり登れば十分登れると確信しました。次はチトワン国立公園などを訪れちがったネパールの側面もみてみたいです。
2010年3月 渡邊