ウズベキスタン~砂漠横断510km

ウズベキスタン~砂漠横断510km


街よし、人よし、料理よし。ウズベキスタンの感想である。
タシケント→サマルカンド→ブハラ→ヒワ→タシケントと周遊してきた。各都市の様子は他のスタッフのブログがあるので、ブハラ→ヒワの砂漠横断について少し記述することにする。


ブハラ→ヒワはキジルクム砂漠を抜ける。この砂漠であるが、いわゆるアラビアンナイト的な、砂が大量にあって、いかにもラクダが似合うような砂漠とは異なる。さらさらした砂ではなく砂利のような感じで、短い草木が生えた広大な大地が広がっている。

移動手段も4DWなどではなく、普通のセダンである。
今回お世話になったドライバーさんだが、初老くらいと思われる御仁(ウズベク人の年齢は予想がつかない。)で、非常に渋い声の持ち主であった。
この声が、映画ターミネーター4でジョン・コナー役を演じたクリスチャン・ベイルによく似ていた為、ジョン・コナーと呼ばせてもらうことにした。あくまでも私と、同行していた友人Tとの間だけであるが。
余談であるが、私とTは特に印象的だったドライバーさんに対してあだ名を付ける事が稀にあり、これは我々のリスペクトの証である。
過去に、菅ちゃん(タイ人・2006年)、川畑さん(インド人・2007年)等が存在する。
ともかく、私、T、ガイドさん、ジョン・コナーでの510kmの道のりの開始である。

朝。ホテルを発ち、1時間ほどで砂漠に差し掛かる。民家がなくなり、ひたすら一本道が続く。が、序盤はアスファルト舗装で、揺れも少ない。
さらに1時間程でジョン・コナーが車を停めた。比較的砂が多い場所で、こんもりと丘のようになっている。典型的な砂漠のイメージに近い。ここで写真撮影とトイレ休憩になった。今振り返ってみると、結局ここが一番砂が多く、砂漠らしい風景だった。
気に入った風景があれば遠慮なく停まってもらうようにした方がいいだろう。基本的に同じような車窓が続くが、砂が多い場所は本当に限られているので。
トイレは当然、青空トイレ。ガイドさんとジョン・コナーは丘の影で済ませたが、私とTはもう少し耐えることにした。男性は楽でいいなとつくづく思った。
それからさらにいくらか走り、砂漠の真ん中にポツンと1軒だけあるチャイハナで昼食となった。ここで私とTは念願のトイレへ。

ところが、きちんとしたトイレはなく、ドラム缶をくりぬいた、なんとも豪快なトイレ?というか、もうそのまんまドラム缶の中に入り、用をたす。
まぁ人目につかないということだけでも有難い。半青空トイレといったところか。
横には建設中のきちんとしたトイレがあったので、近々もっと快適になると思われる。
このチャイハナ店内、・・・正直に書くが、汚い。ハエが多く、靴を脱いで上がる式の台や絨毯も汚れで真っ黒。客は砂漠付近の工事現場で働くおじさんが大半。
私とTはなんともないが、こういった状況に抵抗がある人には厳しいかもしれない。
そういう人は昼食はお弁当にしてもらい、青空の下でゆっくり食べた方がいいだろう。
さて、我々はというと、魚を注文した(というか、これしかなかったようだ?)。砂漠近くの川で獲れるらしい。内陸国ウズベキスタン、後にも先にも魚を食べたのはこの1回きりだった。
白身の魚で、醤油のような味付けがされていて美味しい。やはり島国日本の民。私とTは魚に食らいついた。大皿に大量に盛られていたが、きれいになくなった。
後半も順調に走り続け(砂漠後半も意外に道が良く、ひどい揺れはなかった。)、砂漠の終わりには道が二股に分かれていた。真っ直ぐ進むとトルクメニスタンへ到達するという。
大陸続きであるのを改めて実感した。島国日本では絶対にない事だ。
我々は右へ曲がり、ヒワを目指した。
砂漠が終わると徐々に民家も見え出し、小さな村をいくつも通り過ぎた。
農作業をする人々、牛。のどかな風景が続いた。
いよいよ終盤に差し掛かった頃、ひどい橋に遭遇した。新しい橋が建設中の為、現在は船をいくつも繋いで渡してある。(赤壁の戦いを思い出した。)
船の甲板自体のでこぼこもひどいが、連結部もガタガタで、車体が相当揺れた。狭い船上に対向車もばんばんやって来る。エンストも何回もした。
ブハラを発ち、約6時間。
城壁が見えた。ヒワへ到着である。
最後にひとつ打ち明ける。
・・・実は私は気付いており、かなり心配していたのだ。
砂漠横断中にEを指すガソリンメーターの存在・・・。
船の橋以降、何度もエンストしたのはこれが影響しているのは間違いないと思う。
ともあれ、無事に到着し、別れの挨拶の後、ジョン・コナーの白いセダンは夕暮れのヒワの街へと消えていった。

2009年11月 松井

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