青蔵鉄道~列車でチベットへ~

青蔵鉄道~列車でチベットへ~

061218_1.jpg1.チベットへ行ける
列車に乗ってチベットに行けることになった。
1988年、僕は3ヶ月間、中国を列車で旅した。上海から西端のカシュガルまで各地を巡りながら横断し、パミールを越えてパキスタンに抜けた。
しかし、僕は本当は、チベットに行きたかった。でもその頃、チベットでは独立に向けた民族運動が激化していて、中国は外国人の入境を許さず、それは果たせなかった。
今年やっとチベットへ行けるチャンスを得た。「ポタラ宮が見られる!」 しかも、今年開通したばかりの青蔵鉄道の列車に乗って。鉄道ファンの端くれでもある僕は、心の中で小躍りした。


061218_2.jpg2.青蔵鉄道列車に乗る。
チベットへ行く列車は「青蔵鉄路(日本語では青蔵鉄道)」と呼ばれる。僕は、この路線の始発である西寧(中国語では「シーニン」と読む)から乗り込んだが、北京からの直通列車もある。
夜、西寧駅に着くと、すでに乗客たちは駅の入り口に長蛇の列を作っていた。ひと目でチベット族と分かる家族もいる。標高が2,500mほどの西寧の夜は8℃、寒い。
改札を通ると、ホームにはラサまで走る列車が待っていた。それは18年前に僕が乗って旅した「中国の列車」とは似つかぬ最新のピカピカの車両だった。僕が乗ったのは「硬臥車」。つまり2等寝台。3段の寝台で、1部屋に6人が寝る。車内もきれいで、ベッドが狭いのは昔と一緒だが、その清潔さと快適さはまるで別物だ。隔世の感を持ったのはトイレと洗面所。トイレは飛行機のようなバキューム式。ボタンを押すと「バッシュー」と水と共にモノを吸い込んでしまう。洗面所には蛇口が3つあって、3人の客が並んで洗面できる。大きな鏡が付けてあって明るい。
20:07、列車は定刻に西寧を発車した。
※青蔵鉄道について
中国はチベットのラサまで、ついに鉄道を完成させ、今年(2006年)7月、営業運転を始めた。青海省の西寧(シーニン)から、チベット(西蔵)のラサまで。それで「青蔵鉄路」と呼ぶ。全長は1956km。(日本なら博多から東京を経て青森に到るほどの距離。)西寧から途中のゴルムド(格爾木)までの814kmは1984年には営業運転を開始していたが、今年、全線が開通した。
青海省からチベット自治区にかけての高原は「青蔵高原」と呼ばれ、青蔵鉄道はこの高原をほぼ南北に縦断して走る。海抜4,000m以上の部分が1,000km近くもあって、タンクラ(唐古拉)駅は、標高5,072m、「世界一高い鉄道駅」である。
061218_3.jpg3.可可西里(ククシリ)高原
乗り降りする乗客たちで騒がしいので目が覚めた。窓の外は薄明るくなったばかり。もう7時だった。どこの駅だろう?夜9時頃には寝床に入ったので、ずいぶんと眠ったのにちょっと頭が痛い。寝過ぎか。
あとでわかったが、そこはゴルムドだった。ここからが、新しくできた路線で列車はどんどん高度を上げていく。
08:00には外気は1℃。通路に電光掲示板があって、外気温などを表示する。でも車内気温は快適そのもので、外の寒さは全く感じない。日本の列車でも、冬は暖房が効きすぎていて、ムゥッ~っとすることがあるが、そういうようなこともない。
08:30、食堂車に朝食を食べに行った。その頃には外の景色は雪で真っ白になってきた。そこが可可西里(ククシリ)高原。標高は4,700mぐらいらしい。晴れてさえいたら、さぞ、美しい雪景色だろうに、吹雪いていて、白一色でよくわからない。外気温は-4℃。その中を列車は上り勾配の線路をずんずん走っていく。
朝食は10元の定食。メニューは1つしかない。おかゆと饅頭(マントウ:中国風のパン)におかずはかなりしょっぱい山菜のような野菜の塩漬け。
061218_4.jpg食べていると窓の外に「可可西里高原」と書いた石碑が見えた。どうやら峠らしい。線路が下り勾配に変わった。外気温は-5℃。
朝食を食べ終わる頃には(といっても大食いの中国人に合わせた量なのでかなり時間がかかった)雪景色は消え一面の草原に変わった。外気温は-1~+1℃。
09:30頃、草原にガゼルのような草食動物が群れているのが見えた。実はそのあたりは野生動物の楽園であることをあとで知った。「蔵羚羊」という極めて珍しいカモシカを見た、と、隣りの車室の日本語をかなり流暢に話せるおじさんが興奮して語ってくれた。
061218_5.jpg4. 「世界一高い鉄道駅」
しばらく、草原と岩山の景色が交互に続いた。食堂車からは昼食用の鶏のモモ肉がどか~んと載っている
弁当を売りに来た。でも僕は朝食が大量だったのと、運動しないので、おなかがすかず、昼食は抜いた。周りの中国人たちの多くは、カップラーメンにソーセ-ジをちぎって入れて食べている。同じ車両に鉄道警察官が客として25人乗っていて、彼らもラーメンの昼食である。そのうちの1人の若い警官が、昼食のあと、僕をしばらくじっと見ていたが、突然、意を決したように「ワタシはぁ~、日本語をぉ~、少しぃ、勉強しています。」と話しかけてきた。彼の日本語はまだまだだったけど、一生懸命、考え考え会話してくる姿は、中国人にとっては怖い怖い警察のイメージを少し変えさせてくれた。
061218_6.jpg14:15。草原の向こうに低いい雪山が連なる風景のなか、列車は駅に停まった。そこがタンクラ(唐古拉)駅だった。外気は-3℃。小雪が舞っていて、停車しているうちに吹雪に変わった。
タンクラ(唐古拉)駅は、海抜5,072m、「世界一高い鉄道駅」である。西寧で買ったお菓子のビニール袋がパンパンにふくれあがり、封を切るとポンと音がしてシューと空気が抜ける。確かに高度はすごく高いようだ。でも、想像していた荒々しい景色ではなく、どちらかというと穏やかな優しい山の姿がそこにはあった。ちょっと意外。それに空気が薄いのも自覚がない。列車内は酸素が供給されている、と聞いていたが、列車のドアは開いているので、外気圧と同じになっているはずだ。ということで、あまり、世界最高の駅に来た、という実感を感じられないまま過ごしていた。列車はほぼ1時間停車。2本の対向列車がすれ違っていった。
061218_7.jpg5. ラサへ到着
夕方17:30、早い夕食のために食堂車に行って、夕食を注文しようとすると、示されたメニューには10品ほど書いてある。辛いのはだめ、というと、服務員が勝手に3品選んでくれた。
料理が出てくるのをテーブルに座って待っている間に、列車は大きな湖のほとりにさしかかった。湖面に夕陽が映え、美しい。「措那湖」という駅名票の立つ駅を通り過ぎた。
料理は本格的な中華料理。やっぱりうまい。ビールも合うし、外の夕景は美しい。最高や。幸福や。
暗くなって景色も見えなくなったので、ほろ酔いの僕は自分の車室に帰って1時間ほど眠った。
21:00。車掌が切符を返しに来たり、ゴミを集めたりいよいよ終着が近づいていたことを感じさせてくれる。1時間半も前だから、ちょっと気が早いなあ、と思ったが。
061218_8.jpgぜったい、ちょっとは遅れるだろう、と思っていたのに、列車は定刻22:30にラサ駅にすべり込んだ。たいしたもんだ。ラサ駅は、これまた近代的で、きれいで、巨大だった。中国の鉄道のイメージは全く変わった。
ラサ駅から車で市内に行くと、ポタラ宮がライトアップされて、夜の闇に浮かび上がっている。実に美しく、神々しい。ついに僕はここへ来た。
旅行期間:2006年 10月15日から10月22日までの8日間  小澤 誠

シルクロード・中央アジア・チベット・アムドカテゴリの最新記事