今回はインド南部のアンドラプラデーシュ州政府観光局とエア・インディアの企画手配による研修旅行に参加した。前回のエルサルバドルと同様にインド中では日本には馴染みの薄いアンドラプラデーシュ州の観光資源を日本の旅行業者に実際に見てもらい旅行企画及びツアー作成をしてもらうのが目的だ。しかし、アンドラプラデーシュ州と言われてもピンと来ない人も多いと思う。州名よりハイデラバードと言う名の州都なら、最近、躍進を遂げているインドのIT産業の拠点として知られている。その為、観光地としての知名度はインドの他の都市と比べて遅れているのが現状だ。2002年秋に東京で州政府が観光説明会を行い、 2003年春の予定が延期となり、1年がかりで実施された。
10月9日 東京→ムンバイ→ハイデラバード
今回は東京から旅行会社6名とエア・インディアから1名の計7名にてAI305便にて13:20に出発。今回はまずムンバイまで行くが、バンコク、デリーの2回経由の便となる。(週2便はデリー直行便もある)成田では搭乗口の前で手荷物及び身体検査が再度行われた。ここまでやれば安全な空の旅も保証されて当然だ。バンコクまでカレーを中心とした食事が1回出て、バンコク到着後、機内では搭乗券のチェック、人数の確認、座席上の荷棚にある荷物の個数と持ち主の確認をするほど徹底ぶりだ。当然機内で待機。バンコクまでの機内は閑散としていたが、バンコクから多数のインドの人が乗り込み一気に満席となり機内の雰囲気も圧倒的に変わった。最近はインドとタイの交流も多く、特に出張等のビジネス目的の旅行が目立つ(日本からAIでインドに行く際はバンコク経由よりは週2便の直行の予約が取りやすく所要時間も短いのでお勧めする)。離陸後、食事がまた出る。メニューはここでもカレーを中心としたものだ。ひと眠りしてデリーへ到着。またまた機内待機をして離陸、やっとのことでムンバイに23:50(日本時間02:30頃)に到着ここまで約14時間かかった。もう時間の感覚がない。飛行機からバスにてターミナルビルへ、1階から乗り継ぎカウンターのある2階へと向かい、大阪出発の3名と合流してハイデラバード行きの手続きを行う。荷物は成田からスルーでチェックインしている。ここでも搭乗前に入念なセキュリティーチェックが行われ、ライターなどが取り上げられていた。愛煙家にはつらいところだ。日付も変わりハイデラバード行きの機内も満席だ。離陸が少し遅れた為、軽食が先に出される。いったい今日は何回食事を取ったのだろうか?
10月10日 ムンバイ→ハイデラバード
やっとのことでハイデラバード到着。前日13:20に成田を出発してから到着が05:00(日本時間08:00頃)で、約18時間飛行機に乗っていたことになる。入国手続きを行って手続きカウンターが2列しかなく時間がかかり、荷物を受け取り空港で今回の受け入れ先であるアンドラプラデーシュ州の観光局のガイド、スタッフの出迎えを受けたときには空が明るくなっていた。とりあえずホテルへ向かう。車窓からの風景は公園などが多く、街路樹があり緑が多く、建築物も工事中のものや新旧入り混じっており、閑散としていており、自分が持っていた、とにかく人が多いというインドのイメージとちがっていた。15分程でホテルに到着する。
ここで午前中はホテルのベッドで横になって仮眠と思っていたが、なんと朝食を食べて休憩し2時間後に出発とのこと。
簡単にハイデラバードについて説明したい。ハイデラバードはデカン高原の中央に位置するアンドラプデーシュ州の州都であり人口約300万人を擁するインドで6番目に大きな都市だ。1947年にインドに併合されるまで16世紀から代々ニザームと呼ばれる藩王が支配するインド最大の藩王国の首都として繁栄した。又、デカン高原地方のイスラム文化の中心で、今日でもインドで最もイスラム的伝統を継承した建物が数多く見受けられる。町にはイスラム教徒も多く、チャドルをかぶった女性の姿も多く見られる。街は旧市街地区をハイデラバードと呼び、新市街地区をスイカンダラバードと呼び2つの街の総称がハイデラバード市とされている。
まず藩王国時代の宰相のサラールジャングによって集められた美術品を展示したサラールジュング博物館を見学する。インドの国立三大博物館の一つとされている。藩王の邸宅跡を利用して展示されている、世界各地から集められた美術品には、翡翠細工や象牙細工、ガラス細工などが展示品ごとに部屋が分かれ、特に細密画やコーランの写本が素晴らしく、又、象牙を糸状に削り、縫い合わせた布のようなものに仕上げた高い技術力には驚いた。日本や中国の陶器や日本人形まであった。当時のこの地はイスラム文化が強い状況の中で、仏教やヒンズー教の仏像なども収集されており収集品の幅の広さには感心した。
続いてハイデラバードのシンボル的な存在であるチャルミナールを見学。チャルミナールは4つの尖塔を持つイスラム様式の建築である。この塔の美しさはインド製のタバコの箱に描かれているほどインドでは有名だ。1591年に疫病の終結を記念して建てられたものだ。塔の上からは市内が見渡せて爽快だ。周辺にはイスラム教の寺院、メッカマスジットがあり、旅人が前庭の大理石のベンチに座ると再びこの地に戻って来られるという言い伝えがある。今回はこのベンチには座らなかったので戻ってくるかは運命次第か?チャルミナールを中心とした周囲は町一番の繁華街でもありコ―ランを売る本屋、薬局、貴金属から日用雑貨などを売る店や市場が所狭しと並んでいた。
クトゥブシャーヒー墓地を見学した。かつてのイスラム王朝の歴代王家の大小さまざまな墓が一望できる公園として整備されている。墓といっても日本のようなものではなく、イスラム形式の立派な建物だ。ここからはゴルコンダ城も見渡せる。
夕食後にはゴルコンダ城のある時代の王妃の恋愛をモデルとしたライトアップショーを見学。ここは16―17世紀までハイデラバードを中心としてデカン高原東部を支配したイスラム王朝の城跡だ。郊外の山にありハイデラバードはもちろんのこと、デカン高原のすべての方向を見渡せる、戦略上の要所に建設された。城内には王宮や寺院の他に、水道や空調設備、音響装置などの高度な技術がある。時間の都合で昼に見学できないのが残念だ。
10月11日 ハイデラバード
ホテルを遅くに出発して郊外のアナンダブッダビハールを見学。ここは在住の華僑が建てたハイデラバードで最大の仏教寺院だ。ここの開設式にはダライラマも来た程、有名な寺院でもある。敷地にはインドのブッダガヤからスリランカのアヌラーダブラへと枝分けされ、さらにこの地へと菩提樹の分け木が植樹されている。ハイデラバードを見渡せる高台にある。
続いて郊外にあるラムジフィルムシティーを見学。ここは日本風で言うと映画村だ。映画のオープンセットとして敷地内に山、川、森、町、空港、駅などがありシーンごとに撮影できるようになっている。1992年に設立されたこの映画村は敷地面積が東京都と同じ位だとガイドはいうが?ここでは年間を通じてかなりの数が撮影されている。今回は撮影しているところは見学出来なかったが、日本でも人気のインド映画の撮影シーンが見られると面白いと思う。また敷地内には2つのホテルがあり一つの都市のようになっている。
10月11日 ハイデラバード→ナーガルジュナサガール
今回のメインである仏跡巡りへと出発する。ハイデラバードの東南160kmに位置する。ナーガルジュナサガールへと向かう。車窓には水牛の放牧や、やしの木が連なるのどかなで広大な風景が広がる。4時間ほどで到着。宿泊先のホテルにて休憩後、再度出発。途中ベンガル湾からインドを西へ流れるクリシュナ川を堰き止めて作ったナーガルジュナサガールダムを通過する。このダムは1955年に日本の援助を受けて作られた。水力発電所を備えており、近郊のハイデラバード市内へ電気を供給している。このダムはエジプトのアスワンダムに続き世界で3番目の貯水量がある。しかしダムの完成に伴い、クリシュナ川の川岸で 1927年に最初に発掘されて以降、その後の調査発掘で見つかった38にも及ぶ仏教遺跡もダム湖の底に沈むこととなった。当時の状況を考えると開発が遺跡保護より優先することは仕方ないが、残念に思う。ダム完成前に調査、発掘が終了した遺跡についてはダム湖にある小島に移築し再現され、発掘物も小島にある博物館(金曜日は休館)へと収蔵された。この小島にある仏教遺跡のことをナーガルジュナコンダ(龍樹菩薩の丘)と呼んでいる。
この地は3-4世紀(イクシュヴァーク朝)の都ヴィジャヤプリーのあった場所とも言われており多数の寺院、僧院、大学、祭壇などが建設された。これらの多くは未だにダム湖へ沈んでいる。ガンダーラからシルクロード、中国、朝鮮半島を経て日本へと伝来した大乗仏教を確立したナーガルジュナ(龍樹菩薩)がこの地に住んでいたと言われ地名の由来となっている。ナーガルジュナコンダの博物館ではダムの完成までに発掘された彫刻やレリーフ仏像など展示され、当時地理的な位置も再現されている。ここで、特別にお釈迦様の骨を見せていただく。他には当時スリランカからのこの地へ留学していた仏僧の宿舎跡のシンハラヴィハール、仏陀の遺品が納められていたストゥーパ(仏塔)のマハチャイトヤなどが移築されている。
見学後、唯一の交通機関である船(往路午前2便、復路午後2便)にて戻り、ダム湖近くのアヌプに移された仏教大学の遺跡を見学。ここには当時ナーガルジュナサーガルへ留学してきた近隣諸国の大学の校舎跡、仏僧の宿舎跡や更にトイレの跡もあった。今回は見学しなかったが円形劇場も近くに移されている。今晩はダム湖に面したプンナミビハールという名前の招待所に宿泊する。部屋にはベッドとシャワー、トイレがありシンプルな作りだが、湖畔に面した風景はきれいだ。但し普通の部屋にはエアコンはない。
10月12日 ナーガルジュナサガール→アマラバディー→ビジャヤワーダ
朝食後、ナーガルジュナサガールから東南にあるアマラバディーへと向かう。到着後、博物館を見学。ここでも特別にお釈迦様の骨を見せてもらう。分骨された歯や骨は仏舎利と呼ばれる特別なケースに入れられている。このケースは一番内側に金製のものを配置しここに骨を入れ、銀製→銅製→鉄製→粘土製と順番に重ねて破損等を防いでいる。又、仏舎利と共に発掘された4世紀に作られた純金製のネックレスを見せてもらう。このネックレスの中心部は仏塔の先端部を模した作りとなっており、金を糸状に加工して組み合わせて格子状に作り上げている。この技術は現在でも難しく高度なものであるという。当時の人たちの高い技術が伺え、現在でも評価がつかない国宝級に貴重なものだという。隣接しているストゥ-パ(仏塔)の跡地から発掘された仏像やレリーフ、彫刻などを見学する。彫刻には仏教誕生以前の蛇、樹木の信仰に始まり、仏陀を法輪や仏足跡などの象徴で示したものが彫られている。
続いてのストゥ-パの跡地を見学する。このストゥ-パは直径51mもあり世界最大と言われている。1-3世紀頃から作り始め増改築を繰り返している。ストゥ-パ自身は57CM×28CM×7.6CMのレンガを積み上げて作られ、周囲を浮き彫りで飾られていていた。これらの浮き彫り彫刻のほとんどはイギリスによって持ち運ばれて大英博物館やチェンナイの博物館に展示されている。19世紀には既に完全に原型を失っており、ストゥ-パ自身については跡形もなく、基礎部分のみ残されている状態だ。イギリスは世界各地でこのような行為を行っており実際にその破壊された跡を見ると残念に思う。
昼食を挟み近くのヒンドゥー教の寺院であるアマレシュワラ寺院を見学。インド人には馴染み深い寺院だという。このお寺を建立する際にアマラバディーのストゥ-パ周囲の石材を持ち去り使用した。現在でも柱などに蓮の花の彫刻など仏教に縁のものが残っており不思議な感じがした。結局この寺院を建立する際に行われた石材の持ち出しの最中に仏像や浮き彫り彫刻などが多数発見された。不思議に思った、地元の役人が当時この地を治めていたイギリス人の役人に報告し、調査が始まったことからアマラバディー遺跡の破壊が始まり、異なる宗教の信仰のよりどころの一方が破壊され、一方が現存しているのは何とも皮肉なものだ。
近郊の都市グンタールにある仏教博物館を見学。ここは小さな町だが収蔵品は貴重なものが多い。近郊の仏教遺跡であるナーガルジュナコンダ、アマラバディー等の遺跡から発掘された仏像や彫刻などが収蔵展示されている。但しそれらは悲しいことに雨ざらしにされており、痛んでいたものもあった。
見学後、車窓からバナナの畑ややしの木等を見ながら8KM離れた郊外あるウンダベリ石窟を見学。ここは7世紀に作られたもので、石窟の中には仏像や壁画多く残っている。但し夕方に行ったので窟内は暗く、見難かった。
10月13日 ビジャヤワーダ→ハイデラバード(→ムンバイ)
朝食後、ハイデラバードへと向かうが、まずコンダッパリフォートの見学に向かう。途中、山道を行くため。バスを降りて4WDの車に乗り換えて再度出発。しばらく道幅の狭い山道をうねうねと登り、山の中程にあるゴンダッパリフォートへ到着。ここは13世紀にこの近辺を治めていた王により作られた山の上にある城塞跡だ。地理的にはムンバイ、ハイデラバード、チェンナイへとインドを横断する道路と海沿いを北からチェンナイへと向かう道路が交差する交通の要所でもあり、見渡すように建っている。ここには、治めていた王様や家族が住んでいた宮殿跡や、ここから山麓への交通、運送機関として利用していた象を留め置く「象舎」の跡、当時の地理的条件を生かしたマーケット跡があり、香辛料やうるし、蜂蜜などが交易されていた。又、給水施設があり、その仕組みは山上にくぼみを作り貯水池のようなものを作り、山から流れてくる雨水を貯め、城塞内には岩をくり貫いた地下水路から水を引いていたという。貯水池の周りには岩にすり鉢上の穴を空けそこへ薬草などの薬になるものを混ぜ入れ、調剤する場所もあった。このようなものは珍しいとのこと。ここの城塞自体がひとつの街のようになっていた。建物を支える柱にはイスラム風文様も施されていた。
見学後、下山し、麓にある工芸品であるゴンダッパリ人形の製作現場を見学、人形の材料は木製。木を彫るようなものではなく、薄く切った板を利用して折り曲げて形を作っていく。
この後はハイデラバードへ向かい、夕食は市の中心にあるフセイン湖の遊覧船上にて観光局主催の夕食を食べて、ムンバイへと向かう。ここで今回のプログラムは終了となる。
10月14日 (ハイデラバード)→ムンバイ(→東京)
ムンバイまでは国内線にて深夜の移動となり相変わらずのセキュリティーチェックが厳しくムンバイへは2:30に到着。ホテルにて仮眠を取り。再びムンバイ空港へと向かい。デリー、バンコクを経由して帰国の途へと向かう。
10月15日 →東京
今回はインドの中でも有名でない南部のアンデラプラデーシュ州のハイデラバードを基点として仏教遺跡を廻ったが、気候も温暖で暑い位だった。観光地としての知名度は北部のインドに劣っているが、違う魅力もあると思う。
羽鳥 貞昭
2003年10月