2019年、2度に渡る私の西アフリカ6か国周遊も最後の2か国トーゴとガーナが残るのみ。西アフリカ最大の国マリは以前行ったことがあるが、ベナンは今回の計画では入っておらず、その他にもいくつか残っているので、それらはまた次回に置いとこう。
呪術市場にて
あー情けないトーゴの両替
コートジボワールのアビジャンから、トーゴの首都ロメの空港までは所要1時間半。エチオピア航空の子会社のアスカイ航空はハブ(拠点)がロメである。西アフリカではメジャーな航空会社だとわかるほどフライト数は多い。なんとロメからニューヨークまで直行便のフライトも飛んでいるのにはびっくりした。
トーゴはギニア湾に面し、東西をガーナとベナンに挟まれるように位置する南北に細長い国だ。ここもフランスの植民地だったため、教育を受けた国民の40~45%はフランス語を話すが、通常の人は皆ローカル言語であるエヴェ語やカプイェ語とかいう言葉を話しているそうだ。この国でも54言語がある。ホテルでは英語がある程度通じるものの、フランス語の方が全般的に通じやすいようだ。
空港に着いて、イエローカードを丁寧にチェックされ、出入国カードもその場で記入。イミグレーションではあれこれしつこく聞かれて、税関でもポリスに色々質問されて、ちょっとうるさい国だなあという印象であった。
さて両替をどうしようかと考えていたとき、出迎えてくれたガイドさんがいつも使っている仲間のお得な両替屋があると紹介してくれた。レートがいいらしいので、空港で両替せずにそちらに頼むことにした。ところが、ドルから両替してもらって手元にもらった紙幣を見て愕然とした。ええー?!セーファーCFAではないか!!コートジボワールでも使っていた同じ通貨なのだった。西アフリカ8か国で共通の通貨である。しくじった!!コートジボワールで、もう使わないから出国前に使い切らなきゃいけないと思い込んで、空港で無理して欲しくもないけどやたら高いブリキのコップを買ったのだった。下調べもせずに適当に旅行しているから、お粗末な話である。しかも後でわかったのには、ガイドの知り合いの両替レートは、空港の両替所のレートより悪かった。あーあ、情けない。お得な両替屋・・・というせりふに乗ってしまうなんて、私としたことが。ここはアフリカだぞ!旅のプロがちゃんちゃらおかしい・・・と反省しきり。
呪術市場
呪術市場
呪術市場にて
呪術市場
呪術市場
呪術市場
呪術市場 ブードゥーの儀式に使う品々
呪術市場 ブードゥーの儀式に使う品々
ロメの観光時間は最短記録更新!
何はともあれ、観光に出かけよう。トーゴという国を語るのにここの土着宗教であるブードゥー教をはずしては語れない。ガイドさん曰く、国民の36%くらいがブードゥー教を信仰しているそうだ。彼自身もブードゥー教徒だ。山や川などに宿る精霊を信じ拝む自然崇拝の宗教で、呪術も一般的に行われる。呪い・・・なんていうとちょっと怖い気がするが、ここでは呪術は儀式としてごく当たり前に日常的に行われており、黒魔術みたいにおどろおどろしいものではないそうだ。
ロメの空港に着いて、まず向かったのが市内観光での見所ナンバー1と言われるMARCHE DES FETICHEURS , ブードゥー教の呪術市場だ。あいにく、天気は最悪で、しとしとと雨が降り空もどんよりと暗い中、その市場に近付くと、なんだか暗いムードの寂れた場所。そして私は目を瞠った。屋根はあるものの、板張りの粗末な台の上には、所狭しと呪術や儀式に使われる動物の頭や頭蓋骨、蛇やライオンの皮、仮面や黒っぽくて不思議なさまざまな人形が並べられているのだ。ぎっしりという感じで並んでいるその風景は、まさに怪しい!!のひと言。おどろおどろしい空気がその辺に満ち満ちている。雨が降って暗い天気の中、足元はぬかるんでドロドロ。なぜかこの市場にはそれさえふさわしい気がした。
そこにいる数人の売り子はみな無口で、積極的に売りつけるでもなく、写真を撮ってもとりわけ怒ったりもしない。その中の一人のカラフルなドレスを着た女性がこちらに近付いてきた。おもむろに袋から出して自分の手の甲に小さな骨を乗せて言った。
「カメレオンだよ」
カメレオンの骨らしいが、これは砕いて薬にするそうだ。病気によく効くので人気があるとか。ガイドさんもよくこの骨を家族のために買って帰るのだとか。この市場では儀式のために普通にいろんなグッズを皆さんが購入するとか。儀式によって自分たちは祖先に守られていることを感じられるんです。ガイドさんがそう言った。
なんとなくブードゥー教のことがわかってきた。
呪術市場
博物館
トーゴの中の最も大切なブードゥー教の聖地は?と聞くと、ロメから約50㎞に位置するGLIDJIという町だとか。毎年8月末から9月にそこでお祭りがあるそうだ。
ロメから1泊2日でトーゴの奥地へ足を延ばせば、340㎞北部内陸地にはソコデがある。ここではブードゥー教の炎の儀式なんかも見られるのだ。もっともっと奥深いブードゥー教の世界が広がっていると聞いたが、今回はあいにくその聖地へも行けないし340㎞もの辺鄙な場所へなどとうてい行く時間がないので、あいにくロメにて1泊だけ。
市内の博物館もちょっと見学した。ナショナルミュージアム国立博物館、と聞くと立派に聞こえるが、ほとんどすべてブードゥー教にちなんだ展示物で、言っては悪いがあまりにもしょぼい(見る人が見たら興味深いのかも)博物館だったから10分で終了。よって合計1時間余りで私のトーゴ観光は終わってしまったのだ。ごめんなさい。
観光後ランチを食べようと向かったが、なぜか胃が気持ち悪くなってダウンした。ホテルにチェックインしてそのまま夕方まで寝込んだのだった。しょぼいと言って罰が当たったか?
トーゴはいいことがなさそうだが、実はホテルはよかった。トーゴでナンバー1の2FEBRIER HOTEL(2月2日という意味なので独立記念日だろう)は独立記念広場に面している5つ星ホテルだ。ロケーションがいいのと高層で眺めがよかった。まさにロメ1番のホテル。ひいては国一番の高級ホテルだ。
そして何より気に入ったのが、ホテルの上階にあったアジア料理のレストラン。ネパール人のシェフがいて中華料理が驚くほどハイレベルだったのだ。昼に胃が悪かったのがウソのように食欲もりもり湧いてきて完食した私であった。
ブードゥー教の市場もインパクトが大で、ロメでは最短観光時間を見事更新したものの、ユニークな観光名所としていつまでも記憶に残る存在であった。
ガーナ編
露天の女性たち
バナナ以外にも取れたものを露天で売る
バナナ以外にも取れたものを露天で売る
ケープコーストの港
フィッシュマーケット
コロレブ病院にて
予想外のガイドさん登場にびっくり
カラフルなブルー地に黄色いクジャクの羽の模様のワンピースを見事に着こなして登場したのが、ガーナ人女性ガイドのコニーさん。ガーナ人らしくふくよかでたくましい肝っ玉母さんのような頼れるガイドさんだ。しかも20年間も日本で暮らしていたそうで、なんと六本木でカラオケバーのママさんをしていたという異色の経験がある。日本語もうまいけれど、とても優しくてチャーミングで気配りのできる人であった。訊いて知らないことも適当に答えず、ちゃんと携帯でボスにチェックして正確に答えてくれるところなど、日本人っぽいのに感心した。ガーナでこんなにきめ細やかな対応をされるとは予想もしていなかった。彼女の案内でアクラの観光に出発した。
コロレブ病院
コロレブ病院
コロレブ病院
アクラに来るなら必ず訪れる場所
ガーナと言えば野口英世を思い出す人が多いかと思う。黄熱病の研究にその身を捧げた偉人だ。ここガーナの首都アクラの町にある国立のコルレブ病院で半年ほど滞在して黄熱病の研究をしている間に、自身も発症して51歳で死亡した。なのでこの病院の敷地には野口英世記念館があり、今も観光客を受け入れてくれるのだ。
建物の一室が研究所になっていて、今でも学生たちが使用している。野口英世の手紙や写真、新聞などが展示され、壁には「忍耐」という直筆の書も飾られている。庭には日本庭園があって、石碑や灯篭が立てられている。日本とガーナの懸け橋となったことをうかがい知ることができた。
マーケット
マーケット
マーケット
フィッシュマーケット
フィッシュマーケットにて
フィッシュマーケットにて
フィッシュマーケット
フィッシュマーケット
ガーナの混沌としたパワフルな市場では撮影バトルだ
地元の地元民のための市場は、外人には本当に冷たい。特にガーナは顕著であった。魚市場は新鮮な魚が所狭しと並べられ、カラフルな衣装の女性たちが並んで売っている。写真を撮ったら絵になりそうだ。遠くの方から望遠で狙うが、近くではなかなかうまくいかない。
写真はなかなか撮らせてくれないし、勝手に撮ったのがバレたら激怒される。まず、撮ってもいいですか?と謙虚に頼んでも、あっちへ行けー!と追い払われる。排他的で喧嘩腰の女性たちだ。ガイドのコニーさんが、いろいろ説明して頼み込んでもらった。
そうしたらやっと5シディ払えば魚だけは撮ってもいいと言う。それでも顔はNGだ。観光客が来ないから慣れていないのだろうが、写真1枚撮るのさえ一筋縄ではいかない。ガーナの市場はさすがに最強だ。仕方がないので、コニーさんが話をしている間に、数枚の隠し撮りをして終了。
後で行ったエルミナの魚市場では、写真を撮るためにガイドさんが小さい魚を30匹も買ってくれた。そうしたらやっと数枚の写真を撮らせてくれたのだった。それが撮影バトルの最後の手段となった。
「カメラもカバンも気を付けて!!」コニーさんが叫ぶ。スリやひったくりはここでは当たり前で、リュックは前に抱っこするようにして、野菜や果物、魚に干し魚の強烈な臭いの中、人込みをすり抜けるように進んでいく。
少し行くと布地屋さんが並んでいた。ガーナの女性がワンピースなどを作る生地が売られている。民芸風のガーナらしい生地が並ぶ中に、目を引いた独特でセンスのいい模様のブルーの生地を発見。家で使えそうなのでお土産にしよう。ただし切ってはくれず6ヤード丸ごと買うしかなく、全部で65シディ(約2000円)で購入する。持ち帰りに若干嵩張ったが、これはお気に入りのベッドカバーなどに重宝しているのでよかった。
棺おけ工場
ジェームスタウウン灯台
ガーナの初代大統領の博物館とか、海辺の町ジェイムズタウンの灯台なども見に行ったが、ここでもっともインパクトのあった見所は棺桶工場であった。ガーナでは棺桶は楽しくて愉快だ。その人の生前の職業にちなんだ棺桶を作るそうだ。魚屋さんには赤い魚の形の棺桶。文房具屋さんだと大きな鉛筆型。自動販売機で商売していた人には、自動販売機の形の棺桶だ。こんなにふざけていいものなのか、とも思えたが。ここでは派手で明るく楽しい棺桶こそが望まれているようであった。お国柄を感じた。
ケープコースト城にて
ケープコースト城
ケープコースト城
エルミナ城とケープコースト城は必見
アクラの町から車で約3時間、港町エルミナは1482年ポルトガル人によって作られたサハラ以南で最古のヨーロッパ建築であるエルミナ城があって、これは是非見ておくべきガーナでの必見スポットであろう。
周辺国やガーナで集められた奴隷が船に載せられアメリカ方面へ送られた出発地点としてガーナで3か所あるが、そのひとつとして知られているのがエルミナ城で世界遺産に指定されている。内部見学はグループごとにガイド付きで廻る。奴隷が収容されていたスペースは暗くて狭い。いるだけで気持ちが悪くなって、耐えられず外に飛び出した。すると灼熱の太陽が照り付けていて、思わず日陰を探して逃げ込んだ。
エルミナ城から東へ13㎞程にあるもう一つの奴隷の積み出し港がケープコーストであった。ケープコースト城は上は城だが、下の方は奴隷の留置場だった。こちらは気分も治っていたので丁寧に見学した。男女別で狭くて真っ暗なところに1000人位まとめて詰め込まれたという。
DOOR TO NO RETURN 2度と戻れない扉。そこから出ると船が待っていてアメリカ、カリブ、ハイチなどへ船出していった。ドアの内側へは戻れない。ドアの外にはDOOR TO RETUN と書かれていた。幸運にも戻って来れた人がそのドアから中へ入ると、すぐ右側には「ようこそ」とガーナの言葉で書かれているのだ。
城の上は要塞であった。大砲が今でも並び大きな丸い弾丸が積み上げられたまま残されている。要塞の隙間から外を覗くと、そこはビーチと港で、小舟がたくさんあって漁師や子供たちがいっぱいいて、海で遊ぶ子供たちの歓声がして活気に満ちている。
果てしなく暗い過去を持つ城では、相反する明るいムードいっぱいの今があった。
ケープコースト城
H.ココナッツグローブホテルにて
コロレブ病院にて