西アフリカのセネガルとマリに行ってきた。世界遺産、西アフリカの音楽、ダンスに触れるのが今回の旅の目的だ。日本からの観光客はまだまだ少なく情報も少ない(今回は英語のガイドブックlonly planet社の「West Africa」と、さらにフランス語圏の為「指差しフランス語」を持参した)。
セネガルは、サッカーのセネガルナショナルチームやパリ~ダカールラリー(現在パリ~ダカールラリーは通称で、実際、2003年はマルセイユ~エジプトのコースだった。)で知られている国で、かつて西アフリカの代表的な奴隷のつみだし港だったゴレ島とジュッジ鳥類国立公園が世界遺産に指定されている。マリは独自の神話の世界を持つドゴンのトレッキング、ジェンネの大モスクと月曜市、伝説の「黄金の都」トンブクトゥが世界遺産に指定されている。
日本からはパリ乗換が一般的で、今回はダカール(セネガル)から入りバマコ(マリ)から帰ることにした。
通貨はセーファーフラン(CFA)でマリでも同じ。(セーファーフランは西アフリカのセーファーフランと中央アフリカのセーファーフランがある。)
ダカールは西アフリカの玄関口の大都会で
ダカール市内ではイファン博物館、サンダガマルシェ、ケルメルマルシェ、カテドラル、グランドモスク、アフリカ大陸最西端のアルマディ岬(ここより西はカボベルデ~大西洋~アメリカだ。)、ダカール駅(マリのバマコまで国際列車が走っている!)を見学。
ゴレ島(世界遺産)はセネガルの首都ダカールの沖合い数キロのところに浮かぶ島だ。ダカール港へ入る手前の要衝にあるこの島は、植民地時代から要塞の島として、またフランス人による奴隷貿易の基地として使われ、栄えた。観光の目玉は奴隷の家(MAISON DES ESCLAVES)は1777年に建てられ、奴隷集積場として使われていた建物。奴隷商人らによって捕らえられた人々は、ここから新大陸への旅立ちを強いられた。
今は平和な観光地になっていて、のんびりと落ち着いた雰囲気が漂っている。家並みや路地の風景が美しくアーティストやミュージシャンが多く住みついている。
CDショップでセネガルの世界的に有名なミュージシャンの
ユッスー・ンドゥールのCD購入。
http://www.youssou.com/
※ ホンダ、ステップ・ワゴンのコマーシャル・ソング「オブラディ・オブラダ」(もちろんビートルズのカバー)のおかげで、日本人で彼の歌声を聞いたことのない人は、いないかもしれないくらいです。しかし、残念ながら、その歌を歌っているアーティスト、ユッスー・ンドゥールのことを知っている人は、いまだにほんのわずかかもしれません。彼は、西アフリカのセネガルが生んだ世界的ポップ・アーティストであるとともに、アフリカの文化において重要な意味をもつグリオの伝統を継承する家系に属する者でもあります。)
ダカールからバマコ(マリ)へはair senegalで移動。飛行機の中で日本人に出会う。彼はブルキナファソ在住の海外青年協力隊員でブルキナファソとマリの国境近くの村で農業を教えているらしい。マラリアの薬を分けていただく(ありがとう)。
マリでは世界遺産を3つ訪れるのとマリの音楽、ダンスに触れるのが目的だ。
バマコはマリの首都だが、ダカールから来ると非常に田舎に感じる。
通貨はセネガルと同じセファーフランなので両替は特に必要ないが手持ちが少ない場合はバマコで必ず両替しておこう。
注)バマコ以外の都市は基本的に両替はできないと思った方がよい。
日中の気温は38~40℃でめちゃくちゃ暑い。(4月は一番暑いらしい。)
田舎(観光地)は水も高いのでできるだけバマコで買っていこう。
ニジェール川沿いの街セグー
バマコから次の都市セグーの景色は荒涼とした大地にバオバブの木といった感じだ。セグーはニジェール川沿いののんびりとした落ち着ける街だ。途中、道端や村々で山積みのマンゴーを行っていたので買ってみる。1個10円くらい(激安!)
セグーではニジェール川沿いを散歩してみる。川で洗車をする人や、洗濯をしている女性達や、水浴びをする子供たちでにぎわっている。
ジェンネ
セグーからモプティに行く途中、バニ川(ニジェール河の支流)の渡しを越えるとジェンネの街が見えてくる。ジェンネにはユネスコの世界遺産に指定されているグランド・モスクがある。特に月曜には大きな市が立ちたくさんの人々であふれかえり昼頃がピーク。土で作られているスーダン様式のその巨大なモスクと、多くの活気あるマリの人々とカラフルな原色を使った女性のファッションに感動!
水の都モプティ
モプティはマりの第2の都市でやはりニジェール川に面している古くからの交易都市だ。今でもニジェール川で取れた魚などを交易する風景が見られる。
隊商によってサハラをはるばる運ばれてきた岩塩も港に山積みになっている。
モプティでのお勧めは、幾何学模様のシーツや織物、毛布類、独特のパターンの水瓶など。サンガやジェンネ観光など旅行者にとってもここは重要な足場。
夕方、ピナスと呼ばれる小舟でニジェール川下りをし近くの小さな村々を訪れる。ここでも川で洗車をする人や、洗濯をしている女性達や、水浴びをする子供たち、中州でサッカーをする子供たちでにぎわっている。
『黄金の都』トンブクトゥ
モプティからトンブクトゥへは飛行機を利用(約1時間)。
かつて多くの探検家を魅了してきた『黄金の都』トンブクトゥは他の都市と大きく違い砂漠の中の街だ(トワレグ族の地)。その昔、ニジェール川交易のサハラ砂漠の南の終点。砂漠をラクダで越えてきた塩はここで船に乗せられ、上流からやってきた金と交換された。
また12~16世紀400年にわたりマリとソンガイ王国での交易の中心地として栄えたトンブクトゥ。1424~25年のサハラ越えのメッカの巡礼の際に大量の黄金をふるまい、カイロの金相場が下落したと言われている。これが黄金帝国マリと言われる所以だ。またトンブクトゥは、イスラム文化の学園都市としても隆盛を極める。180以上に及ぶコーランの神学校では、法律、歴史、医学、文学、天文学までも教え、多くの留学生をかかえていたという。黄金郷を目指し多くのヨーロッパ人が都への到達をもくろみ、倒れていった。そして19世紀初めについに泥の遺跡と泥の固まりの活気のない町を目にしたのだった。それでも黄金の幻を求め、旅行者は現在も後を絶たない。僕もそんな一人だった…。
神話の世界ドゴンの村(サンガ→バナニ村→イレリ村→ティレリ村)
バンディアガラ山地には、ドゴン族の集落が点在している。奴隷狩りを逃れるために、またイスラム化や戦禍を避けるために、この地に定着したと言われている。彼らは、独自の神話世界を持ち、伝統的な生活を送っている。ドゴン族の世界を語るとき、仮面の儀礼祭があげられる。仮面をかぶり、独特な衣装をまとい、どれ一つとして同じステップのない躍動感あふれる踊りだった。サンガに戻り思わずお土産にドゴンの仮面を買ってしまった。
最後に、サンガ~モプティ~セグ~バマコと戻りバマコで西アフリカのマリが生んだ世界的ポップ・ヴォーカリスト、サリフ・ケイタ(彼の血筋はグリオどころか王家の血筋だったのです。それも13世紀に西アフリカ一帯を征服した古代マリ帝国の始祖スンジャータ・ケイタの直系の子孫だったということです。)、アビブ・コワテ&バマダ(お薦めアコースティック・サウンド)のCDを買って帰国の途についた。
出村 隆行
2003年4月