アユタヤ&コラート

アユタヤ&コラート

7月7日、私は初めてタイの地に降り立った。目的地はアユタヤ&コラート(ナコンラチャシマ)。タイに着いて最初に思ったことは、とにかく暑い!!!気温は33度。全身にうっとおしいくらいに汗がまとわりついてくる。到着してすぐバスでアユタヤへ。バスの中で私は夢中になって外の景色に見入っていた。4人乗りで1台のバイクで移動する家族。トラックの荷台で荷物と一緒になって気持ちよさそうに風を浴びている若者達。手を振ると笑顔でそれに答えてくれる。改めて日本は忙しい国だということをこんな形で実感する。とにかく旅の始まりなだけに、ちょっとしたことにまで大きな感動を覚えてしまう。

この旅は、タイ政府観光庁・タイ国際航空主催研修旅行で、全国各地の旅行に携わる人々が120名招待された。30名ずつ4コースにわかれ、タイのすばらしさを知ってもらい、観光事業の更なる発展を目的としている。私は4コースの中で少々マニアックなアユタヤ・コラートコースに参加した。
アユタヤに着き、さっそくライトアップされたアユタヤ史跡公園を見に行った。かつて栄えたアユタヤ王朝の文明・宗教・美術の結晶がここであり、ユネスコの世界遺産にも登録されている。しかし隣国ビルマとの戦争で、ことごとく破壊され、今ではその残骸を残すのみとなったが、むしろ様々な歴史を乗り越えてきた背景が見えるようで、私にはより美しくより荘厳に見えた。この余韻に浸りながら次の日の朝を迎える。
午前中、アユタヤ市内を観光。ここアユタヤにはかつてのアユタヤ王朝の王宮や寺院建築がたくさんあって、ビルマ軍によって破壊されはしたものの多くの遺跡が存在している。そのうち、まずワットプラマハタートに足を運んだ。ワットプラマハタートは頭のない仏像、木の根に埋まっている仏頭がある遺跡。煉瓦造りですべてが赤茶色のこの遺跡は、空の青と木々の緑とのコントラストが最高にきれいだった。しかし壁はくずれていて、ビルマとの戦争の痕が生々しく残っている。塔にはとうもろこし型のものあれば、釣鐘型のものもある。とうもろこし型はカンボジア式、釣鐘型はスリランカ式で、ちなみに階段型がタイ式らしい。タイは様々な国の仏教が混ざり合って独自の宗教を作り出していたことがわかる。次に向かったワットシーサンペットは最大の王宮建築物であり、3つの釣鐘型の仏塔には3人の王様が眠っているという。かつて、宮殿があったであろう場所には、500年もの年月で土地が隆起し、今にも倒れそうな柱が何十本と立っている。しかし今ここには、たくさんの緑が生い茂り、鳥が鳴き、美しい花が咲き、そしてここへ来て人々が歴史を知り、懐かしむ・・・そんなゆっくりとした時間が流れていた。いつまでもこの場所を大切に残していってほしいものである。
そして、なんと言ってもタイは象!!!観光客用に公園内を象に乗って散策できるツアーがあったので、15分ばかり皆で乗ってみた。これがなかなか楽しくてついついはしゃいでしまった。もちろん象乗りのお兄さんが象の頭の部分に乗って象を運転するのだが、大きな桐のような道具で象の頭をつっつきながら、足で耳をたたいて方向を指示する。少々かわいそうではあるが、象にとってはそんなに痛いものでもないのであろう。実際象に触ってみると、まるでタワシの様で皮膚という言葉にそぐわない肌触りである。私は、公園内を見て周る本来の目的を忘れ、象をずっと観察してこのツアーを終えてしまった。
再び寺院へ・・・チャイワッタナラームは、中心にとうもろこし型の塔があり、その周りに小さな仏塔が左右均等に建てられていて、どこから見ても美しく見事!!!もともとは国王の住まいで、後に王室や高位な人々の葬礼式典の場として使われていたことだけあって、非常に力強い印象を受けた。また頭のない仏像が何体も並んでいたのが不気味だった。
 その日の昼は、メナム川でクルージングランチ。アユタヤは水の都でもあり川から眺めるアユタヤの町はまた違った景色で私達を楽しませてくれた。水辺の家は何本もの柱で支えられた高床式になっていて、車と同じ役割を担っている船が家の前にとまっていた。船は色とりどりで、泥色の川を鮮やかに染め上げていた。ほとんどクルージングも終わりにさしかかろうとした時、寺のお坊さんが大量のパン屑を川に投げ込んでいる風景を目にした。すると、たちまち川から大量のなまずがバシャバシャと音をたてて水面に姿をみせた。その数、およそ何千匹!!!いや、きっと何万といるのだろう。はっきりいって気持ちが悪かった・・・なまずの上になまずがのって、餌を食べようとする。寺の前の川辺はものすごい水しぶきがあがっていて、私はあっけにとられていた。ここのなまずはお坊さんが餌をくれることを知っていてこの一帯に住み着いているのだという。自分達の船の下にも何千匹のなまずがいるのかと思うとゾッとした。
アユタヤ観光を楽しんだ後、いよいよコラートへ。バスに揺られて3時間強!中から見る景色は、日本の田舎を思わせるような一面の水田。人と牛が一緒になって働いている。まるでタイムスリップしたかのように、そこでは時がゆっくり、のんびりと流れていた。このような風景が3時間と続いたものの全く退屈せず、バスで移動できたことに感謝する。この地を訪れるならば、ぜひともこの風景を見ながら旅することをお勧めしたい。
 次の日、朝早くから2時間かけてパノムルン遺跡へ。私がコラートで一番気に入った遺跡である。うっそうと茂る林の中に土産物屋が並び、遺跡へと続く坂道を登る。階段に突き当たり、そこを登ると、空が開けまっすぐに続く道の向こうにパノムルン遺跡が堂々と姿を現す。真正面から眺めると左右均等で、直線的であり非常にバランスのよい遺跡であることがわかる。ここは、もっとも保存状態がよいクメール遺跡で、パノムルンとは「大きな丘」という意味。この遺跡は東方向に向いていて、建物から伸びる道はアンコールワットにまで続いていたという。この道の両側には、ナンラアン柱(処女の女性を意味している)という上部がハスの花の形になっている柱が34本並んでいる。そして中心部へ行く手前に竜王橋という十字型の橋をわたるのだが、この竜王橋は人間界と天界との掛け橋であると信じられている。橋を渡り階段を上るとこの遺跡の中心部へ行き着く。中は見事な彫刻が施されており、自然と壁や屋根に目を見張る。クメール建築は、ヒンズー教の宇宙観に基づいて、すべての装飾や配置に象徴的な意味が含まれている。本当にきれいに保存されていて、ヒンズー教神話の彫刻画に何よりも感動した。パノムルン遺跡では、年に一度だけ朝日が直接通路に差し込むという現象が起こるという。この神秘的な現象を是非見てみたい・・・という思いを胸に、この地を後にした。
バーンプラサートは、発掘された先史時代の土器や人骨をそのままのかたちで、保存している遺跡博物館である。3千年ほど前からここに人々が住んでいた証拠となるもの。まさか3千年後に自分の姿が晒されるとは思ってもみなかっただろう。また遺跡周辺の村も訪ねた。おもちゃみたいなトラックの荷台に乗って村の中を走り抜ける。木がしなってできたトンネルを抜け、全く整備されてない歩道を進んでいると、ぽつりぽつりと人家が見えてくる。この村の収入源は工芸品で、カバンや帽子、楽器を作っては町に売りに出しているらしい。庭先でござを敷き、子供をハンモックで寝かしつけながらお母さんとおばあちゃんがカバンを編んでいた。この民家の庭先で、私はラクの花を見つけた。花言葉は、「愛」。ここで出会った人々は、貧しいながらも皆笑顔がすてきで、まさにラクの花はここで暮らす人たちの愛を貰って生きているんだなぁ、と感じた。
コラートにくれば、これを外すわけにはいかない遺跡。それがピマイである。かつてクメールの宗教的・行政的中心地であっただけに、この遺跡の周りは非常に栄えていて、市場では、色とりどりの野菜や果物、魚や肉、惣菜等が売られていて、とにかく活気がものすごい。そんな町の中にピマイ遺跡はある。アンコールワット完成以前に建てられ、モデルとなったという説も残っているように、アンコールワットにそっくりな形をしている。
ここではライト&サウンドショーを見た。このショーは月に1度しか行わないものだが、今回は特別に開催してくれたようだ。夜、ピマイ遺跡を様々な色のライトで照らし出し、遺跡を浮き上がらせる。そして遺跡の前で、この地の歴史や伝説を現地の中学生30人余りが再現する。事前に日本語の説明もあるので全くわからない事はない。観客は芝生の上で横になってみることができるのですごく気持ちがいい。このお芝居が、またかわいらしくて、結構アドリブでやっているようなところもあり、内容というよりも子供達の表情や一生懸命な姿に心奪われた。その後、いきなり遺跡の裏から花火があがり、ピマイの街に一斉に花が咲いた。「こんな歴史的価値の高い遺跡で、花火をあげていいのだろうか・・・」と思いつつ、やはりこの贅沢を思う存分味わってしまった。
こんなすばらしいラストで私の旅は締めくくられた。今回の旅はまるで、初めて日本にくる外国人が東京ではなく青森に行ったような、そんな旅であった。次は秋田・山形というように、また違ったタイを見に行ってみたい!!!
武政 充知
2002年7月7日

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