列車に乗ってアユタヤへ~タイ王国の旅~

列車に乗ってアユタヤへ~タイ王国の旅~

アユタヤへの観光といえば、観光バスを利用したり、片道をチャオプラヤ河のクルーズに乗ったりするものが一般的である。しかし、タイ国鉄もアユタヤを通っている。鉄道マニアの僕は、エアコンもついていない普通列車でアユタヤにいっていようと思い立った。
4月のバンコクは暑季の始まり。最高気温は摂氏40度近くになるらしい。2002年4月6日、全日空NH915便にてバンコク・ドンムアン国際空港に着いた。表に出るとムワーっと熱気が身 体を包んだ。


本来ならばドンムアン駅から列車に乗ってフォアラポーン駅まで行きたいところだが、いかんせん23時を過ぎている。すでに列車は無い。それではしょうがない、とチケットタクシー乗り場に並び、ホテルに向かった。
4月 7日、目覚めると快晴。今日も暑くなりそうだ。お粥の朝食をとり、ホテルの前でタクシーをつかまえてフォアラポーン駅へ。タクシーの運転手がどこまで行くのかと尋ねる。アユタヤまでというと、運転手はアユタヤ出身との事。家族の写真などを見せながら、1日チャーターで1000バーツ、バンパイン宮殿も行くぞと積極的に勧誘する。カメラと三脚を見せて、俺はカメラマンで、タイの鉄道写真を取りに来たから列車で行かなきゃいけないんだ、と言う。じゃあしょうがないな、とそれ以上は勧誘を止め、アユタヤ自慢をはじめた。
そうこうしているうちに車はフォアラポーン駅へ。上野駅を10分の1位の大きさにしたような雰囲気の駅である。改札口の前に切符売り場がある。切符売り場の上のテレビモニターがチケット販売中の列車を表示している。8時35分発ピッサヌローク行き普通201列車の窓口でアユタヤまでの3等切符を購入。15バーツ、日本円で45円とは恐れ入った。タイにくるたび物価が安い国だとは思っていたが、ここまで安いとは思わなかった。
改札を通りぬけ8番フォームへ。列車は16両編成で思ったよりも長い。客車はいろいろな種類があり、背もたれが木のもの、ビニールのもの、ロングシート、クロスシート、荷物車との合造車などさまざまである。前から8両目の背もたれがビニールのクロスシート車に席を決めた。
何やらタイ語のアナウンスがホームに流れ、8時35分、汽笛一鳴、定刻に発車した。列車のドアは空いたままだ。フォアラポーン駅はバンコクの中心駅なので構内が広い。日本の国鉄で使っていた12系客車を見かけた。
今日はタイの祝日。アユタヤに遊びに行くグループや、里帰りする家族連れなどでほぼ8割の乗り。僕の席も小さい子供を連れた家族連れが相席だ。3歳くらいの男の子がかわいくて、隙 を見て写真を撮ろうと思うのだが、撮ろうと思うと逃げて背もたれの影に隠れてしまう。お母さんが撮ってもらいなと促すがなかなか言うことを聞かない。まあ、それならいいやと写真を撮ることはあきらめた。
ところで先ほどから通路を行く物売りの多い事。ジュースやビール、お菓子にお弁当、ガイヤーン(タイの焼き鳥)、アイスキャンディー、何だかわからない寒天質の甘そうなお菓子、新聞・雑誌、宝くじなどの売り子がひっきりなしに来る。冷房がない車内で売れているのはアイスキャンディーとビニール袋に入ったアイスコーヒー。何だかわからない寒天質のお菓子は全然売れず、売り子が何度もいったり来たりしている。
のどが渇いてきた。ビニール袋に入った飲み物はちょっと抵抗があり、氷はなんとなくお腹を壊しそうなので、缶のペプシコーラを買う。10バーツ。列車代と5バーツしか変わらない。(その後ビールに氷を入れて飲むことを覚え、僕のお腹はタイの氷では壊れない事が判明したが、この時はタイ入国2日目なのでまだ少々ビビっている。)
バンコク市内をこまめに停車する。どの駅からも大勢の人が乗り込んでくる。お休みを田舎ですごしたり、旅行に行ったりする人が多いのだろう。いつのまにか満席になってしまった。
9時32分、空港のそばのドンムアン駅を発車。この辺りがバンコク市街地のはずれなのだろう、発車すると広大な田んぼが広がり、先ほどまでのごみごみした町並みの風景から一変しての どかな田園風景となった。駅と駅の間隔も離れて、列車も今までののろのろ運転から、手のひらを返したようにスピードをあげた。90km/h~100km/hで走っているようだ。客車が古いのでゆ れも大変激しい。デッキのドアを開けて久しぶりのデッキ乗車を楽しんだ。スピードを出すと風通しも良くなる。気のせいかも知れないが少し涼しくなった感じがした。

田園風景の中を走ること40分、10時12分、バンパイン駅に到着。バンパイン宮殿の最寄駅である。アユタヤまであと一駅。1時間49分の汽車旅も終わりに近づいた。右側にアユタヤ遺 跡の中でも有名なワット・ヤイ・チャイ・モンコンの仏塔が見え、10時26分、ほぼ定刻にアユタヤ駅に到着した。
改札などはなくホームに直接ソンテゥの客引きが一杯いる。同じ列車で到着したのだろう、日本人観光客も何人か見うけられた。客引きの一人と交渉し、バンパイン宮殿込み昼食込み800バーツで手を打った。

帰りはバンパイン駅から16時くらいの列車に乗車した。列車は20分ほど遅れて到着した。7両編成の日本製ディーゼルカーである。帰りの切符には座席番号が入っており、指定席かと大喜びしたが、その番号は単に便宜的に入れられていただけで、7号車何番と打ちこんではあるがその席には人が座っており、指定席でも何でもなかったのである。列車は混雑しており、バンコクまで立ちっぱなしかと思われたが、車掌さんと仲良くなって最後部の運転席に座らせてもらえた。
列車はちょっと前の日本ではどこでも聞くことの出来た、僕自身には耳慣れたのディーゼルエンジン音を響かせながら、遅れを取り戻す為に凄いスピードで突っ走り、バンコク・フォアラ ポーン駅にはほぼ定刻に到着した。
次回はバンコク→チェンマイの寝台列車など、もう少し長い列車の旅を楽しもうと思う。
石井清史
2002年4月6日

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